2023年11月6日月曜日

無明と慈雲とシルヴァン・レヴィ

 

 

 

久しく無明の酒に酔って

本覚の源を知らず

長く三界の夢に眠って

永く四蛇の原を愛す

 

とは

人間性のかなしさを語った

『性霊集』のなかの

空海の言葉

 

ひさしく無明の酒に酔いしれて

仏性があることを自覚せず

迷いの境涯のなかで夢を追い続け

眠りをむさぼり

つかの間のはかない欲のおもむくままに

つかの間の幻のわが身を愛している

 

といった読解をしておけば

いいだろうか?

 

人間の苦しみの源を考えていくと

五根の不正使用としての妄執が見えてくるが

さらに深く入っていくと

結局は根本的なところについての深い無知が

原因として現われてくる

 

仏教ではこれは「無明」と呼ばれ

空海も先の言葉のなかで使っていた

サンスクリット語ではavidyāという

 

無知ということだが

仏教の説く真理を知らないということで

世界が無常であることや

我というものがない(無我)ことを

深く身に染みてわかっていないことが

無明ということになるだろう

 

世界に常なるものがあると思えば

絶えざる変化を前にして苦しみが生まれるし

じぶんというものがあるなどと思えば

じぶんの変化や消滅を突きつけられて苦しむ

無常や無我という法を知らないと

たちまち苦しみが発生するしくみを

仏教では「無明」のひと言で端的に教える

 

無明がどんな大惨事を引き起こすか

世界がどれほどの大惨事の渦中にあるか

江戸時代後期の僧の慈雲(飲光)

風が吹けば桶屋が儲かる式の惨事発展のさまを

こってりと『十善法語』のなかで

だいたい次のように物語った

 

 

むかしむかし

インドにある貧しい家があった

その家の嫁と姑は

いつも仲が悪かった

 

あるときのこと
嫁が食事の支度をしていると

ほかのことで苛立っていた姑が

やつあたりして嫁を叱りつけた


嫁は怒りと恨みの気持ちを抱いたが

姑と言いあらそうことはできなかったので
やり場のない怒りと恨みを

庭にいた羊に向けてぶつけ

「羊のばかやろう!」と怒鳴りながら
燃えさしの薪で羊の背中を叩いた

 

火が薪から羊の毛に燃えうつり

羊の全身に燃えひろがって

火だるまになった羊は悲鳴を上げて

藁のいっぱいに積まれた納屋へと逃げ込んだ

 

火は藁に燃えうつり

納屋は見る見るうちに

火に包まれてしまった

 

火は風を呼び

となりの家に飛び火し

さらにほかの家々へも

次から次と飛び火していって

村も町も大火に包まれ

国王の所有する象の厩舎にまで

飛び火した

 

火の恐怖から逃れようとして

象たちは囲いを破って逃げ出し

隣国に走り込んでしまった


暴れ込んできた象たちのために

隣国では死傷者が出て

田畑も甚大な被害を受けた

 

これが原因となって
ふたつの国は戦争となり

数十年間も争い続けた


ある家の嫁と姑のあらそいが

国と国との戦争にまで発展してしまったのだ

ちいさな怒りや恨みから起きた罪が

しいては長い年月の災いとなった

 

憎んだり

恨んだりをくり返して

じぶんも他人も

不幸な境遇に沈んでいってしまう

最初に生まれた怒りや恨みは小さくても

そこから出て大きくなった悪業のさしさわりは

日々増大していってしまう

 

真言宗の僧だった慈雲は

密教とサンスクリットを学ぶことから始めて

伊藤東涯に儒学も学び

神道や戒律も学んで

さらには曹洞宗の禅も学んで印可を受けた

いろいろなものをエネルギッシュに学んだ

たいへんな学僧だったが

もはや僧というより本当の学者として

千巻にもおよぶサンスクリット研究の大著『梵学津梁』を著し

呪術的に解釈されがちだったサンスクリット原典の

正確なテキスト読解を志した

『梵学津梁』は東洋学やインド学の泰斗で

コレージュ・ド・フランスのサンスクリット教授だった

シルヴァン・レヴィSylvain Léviに高く評価された

ちなみにシルヴァン・レヴィは

日本と縁が深く

東京大学で講義をしたり

初代日仏学院所長を務めたりしている

「日仏会館学報」を創刊し

仏教百科事典『法宝義林』の編纂を

高楠順太郎とともに開始した

この事典は現在も継続刊行中である

 

現在の国際問題に関わることだが

ユダヤ人のレヴィははやい時期のシオニストで

ユダヤ人の権利の確立のために意識的な活動をした

ユダヤ学会の会長を務めたりもしている

ドレフュス事件ではドレフュス擁護に努めた

世界イスラエル同盟の協議会に参加したり

シオニスト学協議会のために世界をまわったり

世界イスラエル同盟の代表としてパリ講和会議に出てもいる

ところが見落としてならない点だが

ヨーロッパでのユダヤ人の市民権剥奪に繋がるとして

レヴィはパレスチナにユダヤ国家を作るのには反対だった

 

 




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