あるスピ系のひとの書いた記事に偶然出逢ったので
ちょっと
読んでみたら
ものには予兆とかサインがある
と書いてあった
ふむふむ
そういうこと
あるよね
と思いながら
読み進んでみた
数日前に
昼間
ある車に
うしろから
ほかの車がぶつかるところを見た
とあった
たいした事故ではなく
前の車のうしろにちょっと傷がついたぐらいの
ことだったらしい
そのひとが
昨日
ある駅の前で
じぶんの車から降りたら
うしろに駐車しにきた車が進みすぎて
彼の車に軽くぶつかったという
ふつうなら
ぶつかるはずもないのに
うしろから来た車の運転者は
ちょっと不注意をして
車を進めすぎてしまった
たいした事故ではないものの
彼の車のうしろにちょっと傷がついてしまった
とはいえ
たいしたことはないので
時間がとられたり
面倒になったりするのを避けて
警察も呼ばず
保険会社に電話もせずに
もういいよ
と言って
そのままにしたと言う
このように
じぶんが見た小さな事故と
じぶんが経験した小さな事故との
ふたつを並べて語ってから
このスピ系のひとは
数日前に見た
他人の車どうしの小さな衝突が
昨日じぶんが経験した小さな事故の
予兆やサインだった
と書いていた
おしゃべりならば
べつに
どうということもない話で
そうねえ
予兆とかサインだったかもね
そういうことって
あるかもね
と答えておけば済む
本人がそう感じたのならば
そういうことでかまわないのだ
スピ系でなくても
こんなふうに感じるようなことは
いくらもある
ところが
このひとのスピ系っぽさは
この後
俄然
発揮されることになる
ここで
ハインリッヒの法則を持ち出してきたのだ
ハインリッヒの法則は
「1:29:300の法則」ともいわれる
同じ人間が1件の重い災害を起こしたとした場合
背後には
29件の軽傷災害を起こしており
300回は傷害のない事故を起こしている
とするもので
1回の重い災害の裏には
300回の無傷害事故が隠れており
数千の不安全行動や不安全状態が存在することを
指摘したものである
アメリカの損害保険会社で働いていた
ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒというひとが
膨大なデータを分析して発見した法則だった
論文の該当箇所の翻訳は
次のとおり
傷害を伴った災害を調べると,
重い傷害とは保険業者や(米国の)
傷害を伴わない災害とは,人間や物資,光線などの移動(
報告のある傷害(重い傷害)
傷害を伴うにせよ伴わないにせよ,すべての災害の下には,
(H. W. ハインリッヒ、D. ピーターセン、N. ルース(著)井上威恭(監修)、(財)総合安全工学研究所(訳) 『ハインリッヒ産業災害防止論 海文堂出版(株) 1987年(昭和62年)9月 2版 p.p.59-60』)
ハインリッヒの法則は
重い傷害を発生させる災害の背後に
保険会社に報告されない規模の非常に多くの軽度の災害が起こって
と指摘するものであって
ある軽微な事故が
後に起こる重大事故の予兆であったり
サインであったりすると指摘するものではない
じぶんが見た小さな事故を
後になってじぶんが経験した小さな事故の
予兆やサインであったと「感じた」
とだけしておけばいいのに
わざわざ趣旨の違うハインリッヒの法則などを持ち出してきて
箔付けをする必要はないのだ
逆に
こういうヘンな箔付けを行なうから
スピ系は
必要以上にあやしく思われてしまうことになる
ふしぎ大好き系とか
超常現象大好き系とか
直観や霊感や霊能力などに大いに興味ある系
というのが
スピ系ということならば
わたしも
誰にも負けないスピリチュアル系なのだが
理屈のあわないことを
断固として受け入れない性質も強固なので
世の曖昧模糊スピ系とは
どうしても
おおいに
相容れないところが多くなってしまう
だいたい
このひとが経験したことは
予兆やサインというより
やや時間枠を広めに取って展開された場合の
シンクロニシティ現象
の可能性もあるのだから
すぐに「予兆やサイン」などという表現で塗りつぶしてしまっては
実態を把握しそこねる場合もあるのだ
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