2024年2月21日水曜日

SNSやYouTubeなど


 

 

古代ギリシア・ローマ以来、トピカ(topicaというのは知識や思考を動かす技能のことをさしていた。トポス(topos)にもとづいてトピック(topic)を動かす。トポスは「場」のことで、そこには記憶や情報がまつわっていると考えられるので、思考が動くにはトポスに絡める技能が有効だとみなされたのである
 その技能がトピカだった。アリストテレス、キケロ、アグリコラ、ルルス、キルヒャー、ライプニッツらが注目してきたが、ここにきて新たにヴィーコが全面的にとりくんだわけである。冒頭にも書いておいたように、ヴィーコはクリティカは「判断の術」で、トピカが「発見の術」だとみなし、クリティカとトピカが追いつ追われつ動くような学を創発させたかったのだ。
 ヴィーコのトピカ論は驚くほどにぼくの〝好み〟に合うものだった。どんな事物や現象についての知識も、それをトポス(分母の場)から切り離さずに、しかもそれを「あとから発見しやすいように知を組み立てておくという方法」が、まさに編集思想の根幹にかかわるものと見えたからである。

松岡正剛「ジャン・バッティスタ・ヴィーコ『新しい学』」

(「松岡正剛の千夜千冊)より)

https://1000ya.isis.ne.jp/0874.html

 

 

 


 

精神の老人たちは

SNSやYouTubeを蔑視し

否定しようとする

 

ムキになってそれらを肯定する必要もないと思うし

その気もないが

全方位の好奇心で生きている者としては

なんでも

どこまでも

覗いてみる

 

人間界というのは

そもそも

どうしょうもなく偏ったおしゃべりや

曖昧で不正確きわまるうわさや情報交換の網の目なのだから

そこにSNSやYouTubeが加わって

ごった煮の闇鍋のような不正確かつ無責任言説領域が

ドッと拡張されたところで

基本のところが大きく変わるわけではない

ただ

それらを伝達したり記憶したりする電子記憶・演算装置が

よくもまあ

容量を無限に増やし続けていっていること!

と感心させられはする

あらゆる物質的なものに限界が来るのは宇宙的法則なのだから

肥大化し続ける電子記憶・演算装置にも

地球内の物理的制約下にある以上

いつかはきれいに破綻するであろうけれど

破綻後は様々な破片となって飛び散って

数千年後の知的生物たちの目にオーパーツOOPARTSとなって

すなわち「out-of-place artifacts」となって

謎解きの対象となっていくのだろう

 

いわゆる宇宙生成の謎とか

人間に至る生命体や意識や魂や霊や

でっちあげの創作ものとはいえ神々だとか

生死や存在や時間や

グッと不愉快なネタになるものの

世界規模の政治経済の裏側で展開され続けている企みや駆け引きなどに

熾烈な興味を持ち続けていると

それらのどれについても楽しい小ネタを展開してくれる

SNSやYouTubeの各コンテンツというのは

無限に面白く

だいたいひとつが10分とか20分ぐらいだとしても

一日に数十個も見ていると

アッという間に一日は暮れていってしまう

べつに世間にむけて公言はしないまでも

長年のキャリアを持つ心霊研究家であり神霊探究家であり

超能力練習実践家でもある以上は

書物でも実地の伝承収集でもSNSでもYouTubeでも

あらゆる神霊や心霊ネタは見ておくのを

フィールドワーク行為における常識としているので

はい

まァ、ほとんどは見ています

 

さて。

 

さて。

 

そういうSNSやYouTubeの観察者の目から見ていると

2025年に日本が滅びるとか

大地震や大津波や

はてはフィリピン海への隕石の落下で大平洋側が消滅するとかいう

いわゆる2025年問題などは

まあ

昔懐かしいノストラダムス流行を彷彿とさせるご愛敬としても

このところ

多くの都市伝説系コンテンツや

スピ系コンテンツの底流に

くっきりと

これまで日本の主権を蹂躙して富を奪い続けてきたアメリカへの

強烈な抵抗精神が浮き出てきていることや

あまりといえば

あまりな

とんでもネタの信じ込みが

非常に知的なはずの理系の人々の言動にも発生してしまっていることや

さらには

やはり知的なはずの理系の人々のあいだに

天皇制への無反省な賞讃が垣間見られるようになっていて

そのあたり

ちょっと気がかりになっている

 

さまざまなとんでもネタの信じ込みや

たとえば

神武天皇が神界から人界に下ったなどというオハナシなどは

いわゆる文系の研究経験を経てきた人間たちにおいては

まったくあり得ないことで

というのも

文系というのは

目の前の文字テキストの内容を

まずは

世評の方向性のとおりにはまったく信じず

書き手や編集者の主張するところとも

まずは分断して

テキスト自体の読みを明確に進め

他方

テキストに関わってくる情報・逸話・うわさ・評価などのたぐいを

べつの物語群として網羅的に視野に収め

この両者をつき合わせながら

さんざんに逡巡して

かなり正確に評定できる部分から

ぽつぽつと言語化していく他はない

というのを

叩き込まれるからなのだが

この最低限の基本的な対象の扱い方ができていない人たちが

目下

大挙してSNSやYouTubeに流れ込んでいて

文系的研究修練を受けていない人々の意識を不用意に染めていっている

ということには

やはり

注意しておくべきだろうし

注視し続けていくべきだろう

 

もちろん

非常に厳密な知的な段取りを採ろうとする誠実な試みやコンテンツ

世界規模で眺めると

SNSやYouTubeには

すでに多量に収録されるようになっている

言語という限られた表象による文書という表現手段以外にも

用いられる表象の種類が格段に増えたという点は

率直に認めておかなければならない

 

 





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