2024年5月1日水曜日

押しギリ


 

六月二十五日、朝鮮に動乱が勃発した。

世界が確実に没落し破滅するという私の予感はまことになった。

急がなければならぬ。

三島由紀夫『金閣寺』(1956)

 

 

 


 

切腹した三島由紀夫の首を切り落とす際

三島の首に

四回も

刀を振り当てなければならなかった

 

介錯を任された森田必勝も

うまくいかない森田から刀を引き継いだ

古賀浩靖も

慣れない者が食肉処理をする時のような無様な切り方に

堕していくほか

なかった

 

三島由紀夫の親友で

当時警視庁の人事課長の任にあり

上司の土田国保から命じられて

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・東武方面総監部へ駆けつけた

佐々淳行は

三島由紀夫の切腹の時のありさまを

遺体の状態から推察して

このように

想像している

 

腹に突き立てた刃の先が深く体内に押し込められ、

それが膝から上の半身に

痙攣によるはげしい上下前後動をもたらした。

 

時代劇にあるように

きれいにスパッと切れたわけでは

まったくなかったのだ

 

床に残った血の飛沫の跡、

そして

森田に代って介錯した古賀が血を浴びていないことからして、

さいごは押しギリだった可能性がある。

 

刃を引くことで切れる日本刀で

押し切りをして

どうにか首を切断したというのは

一世一代

世紀の切腹ごっこの大団円としては

いかなるものであったか?

 

三島由紀夫のあとに切腹し

頭部切断を求めた森田必勝の場合にしても

 

古賀が介錯した森田は、

最初から刃を包丁のように使っての押しギリだっただろう。

というのだから

情けない

表面上のパフォーマンスにしか意味のあり得ない

“やらかし”なのだから

せめては

本当に首尾よく一太刀で首を落とせる程度に

森田も古賀も腕を磨いてから

決行すべきだっただろう

どうしても急ぐ必要があった……

などというのは

この場合理由にならない

生涯ただのパフォーマーであるに過ぎなかった三島なのだから

視覚的に映像として現出するものにおける完璧さのみを

求めるべきだったはずなのだ





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