2024年6月13日木曜日

ヴァルトブルク城の壁のインクの跡


  

ワーグナーの『タンホイザー』は

『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』

Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg

というのが正式名称だから

この作曲家は

ヴァルトブルクのイメージに

よほど感じるところがあったのだろう

 

もっとも

ヴァルトブルクについては

城を作らせた

テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーの伝承のほうが

もっと印象ぶかい

狩りでヴァルトブルクの山に至った時

その山や森林の美しさに打たれて

「待て(wart)、山よ、汝我が城(Burg)となれ!」

と叫んだと言われている

 

本当かどうかわからないが

伝承というのは

適当で曖昧なのがいいところで

そこでは

河の水と海の水とが合流する河口のような性質が

発生する

いわば認識の河口であり

つねに事実と想像力とフィクションが合流しあっている

そうしたところで遊べるかどうかは

世界や宇宙や価値や人間や個人の生というものの見方に

はなはだしく大きく影響する

そうして

それらのものに対する見方というものが

人生を作るのであり

さらに言えば人生そのものである

 

もっとも

ヴァルトブルクについては

城内のある部屋の壁に残されているという

インクの染みにこそ

興味を惹かれる

 

宗教改革者マルティン・ルターが

このヴァルトブルク城の一室で聖書の翻訳に打ち込んでいた時

たびたび悪魔が現われて邪魔をしたそうで

ある時ルターは頭に来て

インク壺を悪魔に投げつけたのだという

 

ルターがヴァルトブルク城に住んだのは

ヴォルムス帝国議会によって追放刑に処せられた際に

ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に保護されて

この城に隠れ住んだためだった

 

ルターを尊敬していたゲーテも

ヴァイマール公国の宰相になってから

この城をたびたび訪れ

絵を描いたり

城の風景を認めた手紙を

文化の理解者であり文人でもあった

シャルロット・フォン・シュタインに書き送ったりしている

 

 




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