2024年9月7日土曜日

『ヒトラーのための虐殺会議』 あるいはハイドリヒ


 

 

「ユダヤ人がふたたび人々を世界戦争に巻き込むなら,

ボルシェヴィキ化は成らずユダヤ民族滅亡となるだろう」

このヒトラー総統の予言が実現するわけです

彼らが戦争を望むのなら

厳しい運命ですが、自業自得です

したがって、同情する必要はありません

 

 

映画『ヒトラーのための虐殺会議』

(マッティ・ゲショネック監督、2022)を見ていたら

こういうセリフがあって

昨今と今後の世界情勢にふたたび関わってきそうな事態の

「予言」にも聞こえるようで

興味を惹かれた

https://www.youtube.com/watch?v=UgGBBllL9Gs


https://www.youtube.com/watch?v=6EYBaxnCqwY

 

 

このあたりのセリフの流れは

もうすこし広く眺めると

次のようになる

 

「ユダヤ人問題の最終解決を実施せよ」

と総統はおっしゃっています

ここで議論する総合的な解決策とは

この「最終解決」のことです

 

我々の準備も大規模かつ複雑になり時間を必要としました

 

対象は国内のユダヤ人にとどまらず

ヨーロッパ全体に及ぶわけですか?

 

ウラル山脈に至るまでのユダヤ人を根絶すること

それが目標であり

運命が我々に与えた任務です

 

ヨーロッパ全体とは… これまた新しい視点ですね

 

前からあった目標に、いま、着手するだけのことです

「ユダヤ人問題を片づけるように」ということです

 

「ユダヤ人が再び人々を世界戦争に巻き込むなら,

ボルシェヴィキ化は成らずユダヤ民族滅亡となるだろう」

このヒトラー総統の予言が実現するわけです

彼らが戦争を望むのなら

厳しい運命ですが、自業自得です

したがって、同情する必要はありません

 

 

映画『ヒトラーのための虐殺会議』 のドイツ語原題は

Die Wannseekonferenz》で

「ヴァンゼー会議」となる

 

「ヴァンゼー会議」は

1942120日正午

ベルリンのヴァン湖畔にある親衛隊所有の邸宅で開かれた会議で

「ユダヤ人問題の最終的解決」が議題とされた

 

ヒトラーの命令を受けて

当時この問題は国家的な総力をあげて取り組むべき事業とされたが

省庁間で組織的かつ横断的な調整が必要とされていた

そのために

「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれる冷酷さで有名な

国家保安本部代表のラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将を議長とし

外務省、法務省、内務省、国務省の国務長官や事務次官など

関係各省庁の高官たちが集められた

そのうち8名は博士号を持つ知識人である

参加者たちはみな各自の立場からきわめて知的に冷静に議論に参加

約90分の会議において

1100万人のユダヤ人に対する

移送・強制収容・強制労働・計画的殺害・死体処理などについて

合理的かつ効率的と思われる方策が決定された

ナチス・ドイツ崩壊時に多くの記録資料は焼却されたが

このヴァンゼー会議の議事録は残っていたとされる

親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの秘書

インゲブルク・ヴェルレマンが作成した速記議事録をもとに

議事録がアイヒマンによって書かれたとされている

この議事録はアメリカ軍が1947年に外務省の文書の中から発見したが

ドイツ国内ではそれが原本かどうかについては議論があり

さらにアイヒマンが作成したという証拠も実はない

とはいえ会議の出席者たちの間で交わされた書簡や

メモやレポートや日記などの一次資料の存在することから

ヴァンゼー会議と議題の存在自体は事実であったとされる

 

 

なぜユダヤ人を殲滅しなければならないか

そのWhyが一切議論されず

効率性と合理性重視のもと

Howだけが冷静に論理的に議論されるところに

この会議の特色があるのだが

興味のある人は

『ヒトラーのための虐殺会議』 (Die Wannseekonferenz)を

実際に鑑賞したり

ヴァンセー会議についていくらか調べたらよろしかろう

 

 

ところで

ヴァンセー会議の議長を務めた

史上稀に見るような悪の権化

ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ親衛隊大将は

191㎝という金髪長身のスマートなゲルマン男で

海軍時代は「金髪のジークフリート」と呼ばれていた

この冷酷無比な男についての情報収集は

わたしの年来の興味対象であり

いわば趣味のひとつとなってさえいる

 

 

国家保安本部の初代長官で

ナチス・ドイツの警察権力を掌握し

ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ実力者だったが

エンスラポイド作戦による暗殺目的の手榴弾攻撃をプラハで受けた

腹部と肋骨部に車のスプリングと金具の破片が食い込み

「負傷による感染症」で1週間後に38才で死んだ

投げつけられた手榴弾にイギリス軍が開発した生物兵器の

ボツリヌス菌が込められていたとか

ハイドリヒの権力増大を危惧したヒムラーが

じつは適切な治療をさせないようにしたとか

嘘とも本当ともつかぬそんな話が付いてまわるのも

この男の面白いところである

 

 

ハイドリヒの死に関してさらに加えれば

ヒトラー出席の下に行われた葬儀では

ベルリン・フィルがワーグナーの『神々の黄昏』の

葬送行進曲を演奏したのも物語的興趣を添えてくれる

指揮者は誰だったのだろう?

演奏が遅すぎるとしてヒトラーに「軍楽隊長」と揶揄され

戦中は主にオーストリアで演奏していた

クナッパーツブッシュではなかっただろうし

フルトベングラーでもなかったかもしれない

ヒトラーに好意的だったクレメンス・クラウスあたりだったか?

 

 

ハイドリヒの死に関してさらにさらに加えれば

彼の暗殺を行ったヨーゼフ・ガブツィク曹長やヤン・クビシュ軍曹ら

亡命チェコ軍人の関係地に大がかりな報復が行われたことも見落とせない

チェコ全土に戒厳令が出された上で

ハイドリヒが治療中の時点ですでに157人が射殺され

鉱山労働者集落リディツェ村が暗殺者たちを匿ったとして

村民のうちの男性200人を銃殺し

女性と子どもを強制収容所送りとした

プラハの教会の地下に隠れていたヨーゼフ・ガブツィク曹長らは

居場所を突き止められて自決し

その際に教会の司祭や助手らも殺された

暗殺者たちを助けていたとしてレジャーキ村でも虐殺が行われ

その後も1357人が即決裁判で死刑にされた

ハイドリヒほどの悪魔ともなると

まことに多くの巻き添えを伴って地獄へと向かうのである

 

 

身長191㎝の長身で金髪碧眼だったハイドリヒは

しゃべると甲高い声で早口だったので「雌ヤギ」と陰では呼ばれた

細くて釣り上がった目だったので

彼の上官ヒムラーは「モンゴル人」と陰口したともいう

腰も大きかったようで外見がスマートとは言えなかったらしい

しかしスポーツのセンスには秀でていて

フェンシングでアムステルダムオリンピックの選手に選ばれている

乗馬やスキーや飛行機操縦にも秀でていて

近代五種競技の選手にもなっている

そのためかスポーツマンには温情を与えていたようで

ユダヤ系のスポーツ選手たちをドイツ国外に逃がしたりしている

 

 

面白いエピソードとしては

浴室の鏡の前に立って

自分の姿に向けて銃で発砲することがあったらしい

国際連盟スイス代表カール・ヤーコプ・ブルクハルトによる情報である

父がユダヤ人であるという話があったため

自分のもうひとつの人格を憎悪し

ユダヤ人の血が流れる自分を殺そうとしていたというのだが

ナチス政権下では

そんな話が囁かれるだけでも面倒だったので

彼の複雑な心理状態を示すエピソードと言える

 

 

上官のヒムラーに対しては忠実だったらしいが

陰ではヒムラーのことを「間抜け」と酷評していて

じつは忠誠心などまったく抱いていなかったらしい

ハイドリヒのこういうところがわたしは気に入っている

ヒムラーどころか総統たるヒトラーに対しても

どうやら同じようなことを思っていた

ヒトラーについて

「あの老いぼれが何かしくじったら、自分が真っ先に葬ってやる」

とフェンシング仲間に語っていたという証言がある

ナチスのシステムがもっと粗くもっと古い時代ででもあったら

若者ハイドリヒがヒトラーの寝首を掻く簒奪劇が見られたのだろう

黒歴史好きのわたしは想像するだけでも嬉しくてたまらなくなってしまう

現にナチスのハイドリヒの同僚たちは

ヒトラー暗殺が企てられた1944年の720日事件まで

もしハイドリヒが生きていたら

必ずや暗殺側に加担していただろうと語っている

 

 

さて

いわばオカルト的には

1941年に

ハイドリヒは大失敗をやらかした

ヒトラーから

ベーメン・メーレン保護領副総督に任じられ

実質的にチェコの最高権力者となって

プラハ城内の

聖ヴィート大聖堂を見学した時のことである

安置されていたボヘミア王の王冠を

彼は手で触れ

かぶって見せさえした

「真のボヘミア王でない者がかぶると

1年以内に

その者には死が訪れる」

と言い伝えられてきた王冠だった

彼の死は

9ヶ月後に訪れた

 

 

もちろん

悪魔の申し子ハイドリヒは

安閑として

のうのうとして

死までの9ヶ月を過ごしたわけではない

 

 

妻リナをはじめ

クラウス、ハイダー、ジルケなど幼い子どもたちとの写真を

カメラマンによく撮らせて

新聞などに掲載させ

「人間味ある総督」のイメージづくりに努めたが

他方しっかりと

「プラハの虐殺者」の呼び名の通り

拘束や逮捕や処刑の嵐を演出し続けた

 

 

プラハに到着するやチェコ全土に戒厳令を敷き

首相アロイス・エリアーシを逮捕して死刑判決を下し

(エリアーシはハイドリヒ死後に銃殺刑に処された)

数週間のうちに反体制勢力を領内から一掃し

拘束者は法的措置も無視して即刻銃殺するよう命令し

ヒムラーのプラハ訪問中には記念として

プラハ聖堂前広場で大規模な公開処刑を催した

ハイドリヒ自身誇らしげに語ったところでは

「約90の短波放送を補足し

死刑判決は400ないし500

拘束者数は4000ないし5000に及ぶ。

死刑あるいは拘束を受けた者は

(抵抗運動の)付和雷同者ではなく指導者である」

となった

 

 

韓非子ばりの冷徹な人間論を持っていたハイドリヒは

ナチスに対する抵抗運動は

中産階級のインテリ層から起こるもので

労働者階級からは起こらない

と確信していた

そこで労働者階級を懐柔するべく

労働者の食糧配給と年金支給額を増加させ

チェコで初めての雇用保険を創出させた

リゾートホテルなどを接収して

労働者の保養地として開放したりもした

妻リナとともに労働者の代表団をプラハ城に迎え

代表団の陳情に耳を傾けたという

 

 

本当に労働者階級からは抵抗は起こらないのなら

計算高い支配者としては

今の日本の政府のように労働者の便宜をさほど図る必要もないだろ

ハイドリヒの政策は

やはりナチスの正式名称である

「国民社会主義ドイツ労働者党」ならではの

党是に則った政策であったに違いない

自由でも民主主義でもない方向へ突っ走る「自由民主党」とは

そこのところの仁義の質に

格段の差があると言えないでもない

 

 

ハイドリヒは

ことほどさように興味深いのだが

第一級の小説的人物ハイドリヒにわざと舵を切って

カモフラージュを施した

この自由詩形書きものにおいて

わたしが本当に興味を持っているのは

『ヒトラーのための虐殺会議』の中に載録された

ヒトラーの言葉

 

「ユダヤ人がふたたび人々を世界戦争に巻き込むなら,

ボルシェヴィキ化は成らずユダヤ民族滅亡となるだろう」

 

のほうである

 

ユダヤ人が以前に人々を巻き込んだ世界戦争とは何で

ヒトラーはどのようにそれを見ていたか?

 

そして

「ボルシェヴィキ化は成らず」とは

コミンテルンによる世界共産革命がユダヤ人によるものだったので

やはり「ユダヤ人による世界規模の共産革命は成らず」

と解すべきか?

 

とすれば

ヒトラーの「国民社会主義ドイツ労働者党」運動は

ボルシェヴィキから労働者を奪い返そうとする反共産化運動であったか?

 

ハイドリヒよりも

どうやら

ヒトラーその人に

会わねばならないらしい

 

ヒトラーは

世界共産主義化とユダヤ人化の同一性を

おそらく

見抜いていただろう





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