2024年10月13日日曜日

「ずいぶん小さくて平べったいんですね」

  

 

 

外で私を待っていたのは、別の夢だった。

  J.L.ボルヘス『1983825日』

 


 

 

列車の中でパブロ・ピカソは

同じコンパートメントに乗り合わせた乗客から

「なぜ人を『ありのままに』描かないのか」

と尋ねられたことがあった

 

どういう意味か?

とピカソが問い返したら

男は札入れから自分の妻の写真を取り出し

「妻です」

とピカソに言ったという

「ありのまま」ということの実例として

彼は妻の写真を見せたのだろう

 

それに対して

ピカソはこう答えた

「ずいぶん小さくて平べったいんですね」 *

 

再三

反省を迫られる

逸話だ

 

経験豊富な

特筆すべき偉才として

ピカソは

「ありのまま」ということの不可能性を

とうの昔に

思い知っていただろうし

「ありのまま」という観念を捨て去るところにしか

画家の活動がありえないことも

知り尽くしていただろう

 

男が見せた妻の写真は

小さくて薄っぺらい紙そのものとして

ピカソには見え

たとえ人間の顔に似たものが

そこに印画されていたところで

それはただの物であり

ただの紙であり

しかし

それはそれで

世界でたったひとつの物であり

たった一枚の紙として

彼の目には映っていただろう

 

ピカソのこの返答は

たいていの善良なるひとびとが

あまりといえばあまりに多くの錯誤を通してしか

物を

世界を見ていないことを

反省させる

 

わたしがつけ加えることがあるとすれば

こうした厖大な錯誤を通してしか

物を

世界を見ないひとびとが

はたして

善良と見なされうるのか

ということである

 

 



 

*この逸話はThe Dreams of ReasonHeinz R. Pagels, Simon & Schuster, 1988)に見られる。







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