2025年8月28日木曜日

ちょいといい日本料理屋で

 

 

 

 

幸せとは、みずから自身の外へ出ることである。

オルテガ・イ・ガゼット

 

 

 

 

ちょいと

いい日本料理屋で

ディナーしていたら

ベトナム人客が四人入ってきて

左側に座った

 

その日の料理には

汁物として

無花果が汁に浸っているものが出た

 

まわりを焼き

中にも熱を通した無花果を

かつおぶしの出しのほのかに効いた汁で

茹でたものだが

汁にも

無花果の味が染み出て

繊細な舌でないと

そこは

味わい尽くせない

 

ベトナム人のごく若い女性が

これはなにか?

と料理長に聞いていた

料理長はスマホで翻訳を出し

見せてやっていたが

こちらからも

無花果だ

フィグだ

とフランス語で言ってやった

 

英語でも同じだが

ベトナム人だからフランス語のほうが

きっとわかるだろう

と思って

言ってみたのだった

 

ごく若い女性は

こちらを向いてうなずいたので

話は伝わったらしい

 

それ以外のベトナム人は

ブランドものをいろいろ付けている母親と

地味なオジサンふうの父親と

たぶん

案内役をかねている

日本に馴染んでいる男で

この男は

すぐわきに座っていて

ある程度

日本語もできる

お笑いの中川家・礼二が

メガネをかけたような顔をしている

 

話したついでに

この男に

どちらから見えたの?

と聞いてみたが

返答はなく

こちらを見向きもしなかった

 

応答がないので

それだけで

話かけるのはやめたが

ははあ……

と思った

 

      *

 

ベトナム人は

ダメだな

と思ったのである

 

ずいぶん

早急な判断だし

拙速だし

正しい考察態度ではない

 

しかし

これが欧米人なら

なにがしかの反応を返してくるし

他のアジアの人間でも

返してくる人が多い

インド人や

パキスタン人だと

ぶっきらぼうかもしれない

バングラデシュ人や

ネパール人は

もっと反応してくれる

 

経済成長さかんなベトナムと聞くが

しばらく成長していくうち

ベトナム人は

対人関係における

こういう愛想のなさで

必ず壁に当たることになるだろう

いまひとつ成長仕切れずに

経済成長のほうはいつか衰え

結局は下請け国に

留まり続けるだろう

 

ずいぶん

早急な判断だし

拙速だし

正しい考察態度ではないが

一瞬で

こんなことを

考えてしまったのだった

 

      *

 

それにしても

静寂を旨とする店で

そういう中で

料理長が静かに腕をふるい

話に適切に応じてくれるのが素敵な店なのに

ベトナム人たちは

ごく若い女性をべつにして

席についたまま

携帯電話でしゃべる続けるし

そうでなければ

大きい声でしゃべり続けているし

カツオのたたきには

トウガラシを要求するしで

日本料理そのものの味わいを楽しむ気は

あまりないようだった

 

どのように食べようが

その人が楽しめればいいとはいえるが

まずはこの店が

どんな味を提示してくるか

黙ってそれを味わってみるのが

ちょっといい店ではふつうの食べ方だと思うのだが

出されてくるものを

最初から味を変えて食べようとするようでは

いつまで経っても

世界のあれこれを本当に知ることはできまい

ということは

世界を支配することはできまい

ということでもある

 

      *

 

ベトナム人が帰った後も

一時間ほど残って

デザートのフルーツジュレや

抹茶や小豆や練乳から始まって

生姜味やほうじ茶味まで含めての

いろいろな味のかき氷や

カルダモンや山椒で味を付けた

南九州の佐多宗二商店の

変わり種のうまい芋焼酎などを楽しみ続けたが

料理長の言うには

外国人客の席での携帯電話使用には悩まされる

ということだった

わたしたち日本人客がいっしょにいたので

彼は内心でひやひやだっただろう

 

もし日本人の客がおらず

外国人客だけの時は

携帯電話でしゃべったりしていても

放っておいたらいいですよ

日本人だけが携帯電話に神経質なのは事実だし

外国人は違う概念を持っているから

放っておいたらいいですよ

 

携帯電話の良し悪しということでなしに

静かでさっぱりした空間のなかで

一品一品ていねいに出されてくる料理を

客のほうでも

神経を研ぎ澄まして繊細に食べていく

という必要を感じられない者は

その時点で

もう日本料理には

入り込めないのである

 

放っておいたらいいですよ

と言う

しか

ないのだ

 

      *

 

ベトナム人の母親や

ごく若い女性が入った後のトイレに

妻が入ったが

後で聞くと

ずいぶん荒れていた

ということだった

 

トイレットペーパーはだらだら出ているし

使った後のタオルは

洗面台の脇に投げ捨てられている

 

ブランド品をふんだんに付けた母親は

たぶんどこかの社長か

社長夫人かもしれないと

妻は踏んだが

出てくる際にトイレを

どう整えてくるか

そこに文化のレベルも出れば

人品のレベルも出る

 

しかも

日本という場所が

ひとりの客のトイレの使い方まで

無言でいて

徹底的に監視し続ける世界であることに

注意できないとなれば

世界に飛び立とうとする商売人にとっては

先々思いやられるとしか

言いようがない

 






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