この秋
神保町の古本まつりで買った一冊に
1974年発行の「葛原妙子歌集」(三一書房)があり
4000円であったが
はたして
高値過ぎたか
どうか
いずれにしても
滅多に見つからないものなので
仮にどこかで2000円で入手できるとしても
手間や入手にまつわる時間差を思えば
余計に出してしまったかもしれない2000円の元は
あらかじめ取れている
古い物の入手というのは
そういうものである
約400ページあり
「橙黄」「縄文」「飛行」「薔薇窓」「原牛」「葡萄木立」「
すべてを収める
昭和19年から45年までの集大成の価値は
わかる者にはわかる
わからぬ者には
入手したなどと洩す必要さえない
永遠の間隙を静かに保って
あたかも同時代を生きているかのような無視を
黙って向けておけばよい
おもむろにページを繰ると
「橙黄」のはじめ
「霧の花」に置かれた書き付けの
昭和十九年秋、単身三児を伴ひ信州浅間山麓
沓掛に疎開。防寒、食糧に全く自信なし
に
先ずは
打たれる
「防寒、食糧に全く自信なし」
という言い方の
珍しさに
この昭和短歌の女王の
世への心情の調整の仕方を
垣間見る
誰かの手になる選集と違い
次のような後記の読めるのも
作者本人の渾身の集では
うれしい
省れば、私に、
敗戦を機會としている。
戦争に生き残ることによって
遅まきながら生きていることの偶然に刮目したからである。
思えば、
生きているということ自體は、
私自身にとっ
少女時代、
以後、
以來三十年近く、私は、
何よりも、
苦しんだか
さて、近頃の私には、歌を作ろうとするときの心躍り、
否、
これだけがなお、
昭和四十九年二月五日
葛原妙子
「歌おうとする
自分の未成の一首に寄せる
強いあこがれ」
に苦しみ
その結果
「歌われた歌は
實に他愛なく
この憧憬を裏切り績けた」
とは
ものを作ろうとする
多くの人を
頷かせる述懐であろう
「近頃の私には
歌を作ろうとするときの心躍り
否
既にしずかな心揺らぎだけが
確實に信じられる」
というのも
創作者に
かろうじて許される
危うい悟達を
奇跡的に語り得た
貴重な言葉と
思える
わがうたに
われの紋章のいまだあらず
たそがれのごとく
かなしみきたる
「橙黄」
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