2021年3月1日月曜日

渋谷東急文化会館


 

 

渋谷東急文化会館の一階にあった喫茶店は

「フランセ」ではなかったか

格別の注意をして思い出すでもなしに

ぼんやり思ってきたが

「ユーハイム」だったらしい

 

しかし

文化会館のとなりには

やはり

「フランセ」があったというから

そちらの名前が印象に残って

記憶の中で会館の一階に移動したのだろう

 

1980年代と90年代はわたしには渋谷の時代で

住んでいた下北沢周辺と渋谷だけで

たいていの用は足りていた

毎日のように見る風景の一部を

東急文化会館が占めていた

 

天文少年だった子どもの時には

八階の五島プラネタリウムが憧れの場所だったが

それ以外ではあまり馴染みのないビルではあった

80年代も90年代も

会館には行くべき店もなかったので

ほとんど馴染みはなかったが

あのビルの前で待ちあわせをするのは便利だったので

意識の中では欠くことの出来ない指標ではあった

 

いちど「ユーハイム」で

エレーヌと長くおしゃべりしたことがあった

まだ一緒に住む前で

魂や霊や超常現象や神秘主義の話をするうちに

閉店時間になった

そのような話で何時間も同じ店にいて

やはり閉店時間までいたのは

渋谷パルコの愛山通り側の「マ・シャトレーヌ」もそうで

シャトレーヌは女城主や大別荘の女主人という意味だと

フランス人の彼女から教わった

 

建物とともに

東急文化会館の「ユーハイム」も

パルコの「マ・シャトレーヌ」も

もう消滅しているので

わたしが意識を向ける時に開扉してくれるわたしの記憶だけが

これらを所有保管している

物質的な痕跡を失い

時間的な束縛からもすっかり解放されても

なおも記憶のうちに存在する情報は物語や図像の領域にのみ属する

こうして物語ははじまる

物質界と時間界から放擲されたところから

物語と図像は本当にはじまる

 

東急文化会館の前で

2001年4月28日21時30分

歌人で書家の坂本久美と待ち合わせをした

放送作家やニュース短信の仕事もしていた坂本は

時間を問わず原稿書きに追われていて

ノート型とはいえ重いパソコンをリュックに入れてきていた

学生時代にバレー部の選手だった大柄な彼女が疲弊し切っていた

簡単な食事がいいというので大戸屋で定食を食べ

時間もあまりないがその後オレンジジュースが飲みたいというので

モスバーガーに入って少し話そうということになった

しかしジュースを飲みながらしばらく話すうち

疲れて気分が悪いのでもう帰ることにすると言い出し

また今度ゆっくり話したいから連絡する

今日がせっかく時間をとってくれたのにゴメンなさい

ということになって

疲れ過ぎていて電車では帰れないからと

大通りに出てタクシーを拾って帰っていった

 

それ以降

坂本久美からの連絡は絶え

数年後

共通の知りあいから

坂本久美は進行のはやい胃癌で2001年に死んだ

と聞かされた





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