2023年3月7日火曜日

人間は男爵から始まる

 

 

だれであれ

ほかの人たちはわたしより

しあわせであろうし

満ち足りて暮らしているだろう

 

いつからか

そう思って過ごすように

なった

 

いったん孵化した爬虫類とちがって

人間の場合は

いかに自立だの

独立だの

孤独だのを保とうとしても

しょせんは白アリの巣のような集落住まいから

出られない

 

そういう集落住まいにあっては

どうかすると

すぐにほかの白アリとじぶんとの比較に陥る

あいつのほうが

いいエサにありついたのではないか

とか

こっちのほうが

巣穴の点では心地よいのではないか

とか

 

けれども

ながいあいだに

多くの

あまりにも恵まれた人びとを見たり

あまりにも富裕な人びとに会ってみた結果

だれもがわたしよりも

しあわせであり

満ち足りており

いっときも時間を無駄にせずに

そのひとならではの人生を謳歌している

と思っておいたほうが

心理の経済上

利益が多いと気づいた

 

このところ

こっちのほうがいいエサにありついている

などと思うようになると

こころはもう

比較と差別と優位感情の追求を柱とするようになり

次には優位感情の維持に

おのずと努めるようになる

そうして

エサのほんのちょっとの質量の差などを

たいそう大きな

重大事として見るたましいに

成り下がっていく

 

大学を卒業する時点で

卒業記念に親からベンツを贈ってもらうような友もいたし

歳上の裕福な愛人からマンションを買ってもらう女性たちもいたし

30歳にもならないうちに

親からマンションを何棟か譲り受けて

一生働かないで管理だけして生きていく知りあいもいた

南洋のリゾート地では

年に半年は休暇のある金融関係の人びとと話し

この次はどこの島に行くから

きみも来ないかと誘われたりしたし

そもそも

わたしの母方の曾祖父は

大きな和菓子屋の若旦那だったことから

仕事はぜんぶ番頭に任せて

長唄や俳諧や色街遊びの好事家として

一生を送った人でもあった

 

エサのほんのちょっとの質量の差など

気にしていると

もっと大きな差のむこう側にのんびりと憩っている人たちが

目に入らなくなってしまう

「オーストリアでは人間は男爵から始まる」

というメッテルニヒの言葉は

現代でも

あまり軽視しないでいたほうがいい

 

反抗というものが

人間の姿をとって降臨してきたような詩人

リバティーンとよばれた

2代ロチェスター伯爵ジョン・ウィルモットは

「王の顔が刻印された下品な硬貨など

使用人しか使わないものだ」

と言い

「おれはあらゆる王政を憎む。

横暴なフランスから

間抜けなイギリスまで」

と言ったが

そういう彼にしたところで

先ずは「伯爵」であった

「伯爵」でなければ

そんな減らず口さえ

叩けないのだ

 

現代も

あいもかわらず

王制と貴族制の時代が続いているが

まさか

そういう事実が

見えないのではないか

現実を忘れてしまっているのではないか

そう推測されるような人びとが

いる

 

たしかに

平民の中に生まれ

税金など取り立てられるのを当然と信じ込まされて

朝から日暮れまで労働に従事するのが

あたかも当然のことのように

思い込まされていたりするのならば

致し方ないかもしれない

 

生まれ育ちや

日々の生き方自体が

もっとも堅牢な目隠しになってしまうことは

今に始まったことではない




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