うまい演奏者を見ながら
聴きながら
感心
し続けては
来たが
もう
演奏を聴く体験は飽和してしまった
昨年
ふいに
憑きものが落ちたように
映画も
音楽も
演劇も
その他のどんなパフォーマンスも
要らなくなってしまった
こういうことって
あるんだな
と
感心
している
そうなってみると
逆に
うまい演奏者などが
あわれに見える
あんなことに人生を浪費して
バカだな
と
あんなのは
今後作られる高性能のAIでできる
どんな調整もできるAI
ピアノ演奏だって
ホロヴィッツふうにも即座にできれば
コルトーふうにもできる
ミケランジェリふうにもできれば
キーシンふうにもできる
ランランふうにもできる
彼らの演奏情報をぜんぶ流し込んだ上で
すべてを凌駕した演奏だって
すぐに聴かせてくれる
新たなものが生れ得なくなる時代が来る
もともと
新たなものなど
なかったのだから
(超古代遺跡には現代を凌駕したマシンの痕跡が見つかっている)
あたかも特別な優れた時代であるかのように
図に乗り続けたこの数百年の驕りが
潰えるだけのこと
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