2024年4月28日日曜日

ちょぱちょぱ

 

 

 

言葉が傷ついたら詩人は介抱しなければならないのに

ぼくの目にするものは死語ばかり

死語の世界で生きていることは

ぼくはあの世の人かもしれない

田村隆一「羽化登仙」

 

 

 

 

ずいぶんとひさしぶりに

亀戸天神まで

藤の花を見に行った

 

むかしむかし

よく歌仙を巻いていた頃

歌人たちとも見に来たことがあって

夕暮れからは

どこかの飲み屋に入って

畳に座りながら

歌仙となった

 

あの時に入った飲み屋は

どこの

どのあたりだっただろう?

と思いながら

十三間通り商店街や

その東側の

ごちゃごちゃした飲み屋街を

ちょっと彷徨ってみる

 

今となっては

見当もつかないが

飲み屋の集まっていたどこかで

参加者みな

ずいぶん飲みながら

六時間ほどは

歌を作り続けた

 

その時の歌人たちとは

今ではもう

連絡も取っていない

というより

取りようもないひとたちもいる

四人ほどは

死んでしまっているし

生き残っていると思えるひとも

もうどこかで

老婆となっているだろう

 

亀戸の夕暮れは

どこか

ちょっと汚いような

せまい

せわしない店に

ひとを誘う

淡い魔力がある

道のむこうの

細道のさらにむこうに

入ってもよさそうな店が

ないものか

と思いながら

彷徨を楽しんでみたりする

 

けれども

蔵前橋通りの鳥長で買った

焼き鳥数本と

山長で買った串団子と柏餅を

暗くなっていく

香取神社の境内でのんびり食べたので

結局どこの店にも入らずに

帰途についた

 

香取神社は

ちょっと古い時代の生き残りが

日本のあちこちで見慣れてきたような

懐かしい神社っぽさがあり

ベンチに座って

串団子の醤油だれを

ちょぱちょぱ

子どものように味わっているだけでも

こころの故郷となった

 

暮れてしまうと

香取神社の参道の両脇に並ぶ

手作りの燈籠のあかりが

あたたかい

 

死んだあの歌人たちも

いっしょに

このあかり

あのあかりと

眺めながら

歩いているのかもしれなかった

 

街を出歩く際には

朝から夜まで

ビール缶を手放さなかった

清見糺なども

あいかわらずロング缶を持って

わきに来ているのかもしれなかった

 

死んだひとたちも

それなりに

いそがしくしているようだから

こんな折りでもないと

なかなか

こっちの世界に

戻っては来れないのだろう

 

参道をゆっくり歩いて行く程度なら

あっちの世界なりの

いそがしさのなかでも

ヒョッと

やって来れたりするのだろう

 

 



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