2026年8月21日金曜日

吾輩は助詞不要論者であるので


 

 

日本語における

文体の違い。

 

ほとんどは下らない。

 

発話者の主語を明記するか、しないか。

これで第一段階の差が決まり、

第二段階の差は、発話者の主語代名詞として

「私」

「わたし」

「わたくし」

「僕」

「ぼく」

「あたし」

「あたくし」

「俺」

「おれ」

「あいら」

「わっち」

「わっちら」

「吾輩」

「余」

などのどれを選択するかで決まる。

 

(日本語の場合、

「私」と「わたし」や

「僕」と「ぼく」の間には

かなりの違いがある。

これには

注意しておく必要がある。

漢字を用いるか、

ひらがなで表わすか、

この間には精神上の深い裂け目がある。

「ワタシ」や「ボク」を使う人が

意外と少ないのも

おおいに注目に値する。)

 

(カエサルが

主語を「私」という代名詞にせずに

カエサルという固有名詞にしたように

日本語でも発話者の固有名詞を用いることは可能だろうが

自分の行為を自分の固有名詞を主語に用いて語るのは

精神的に問題のあるケースもある。)

 

主語にどの単語を用いるかで

作文の雰囲気は大きく変わることになり

どれかを選んで文の流れを起動させた時点で

選んだ単語に帯びさせられている色合いや

歴史や力に乗ることで文はおのずと推進されていく

 

さて。

 

日本語は作文の際に

主語を語らないことが好まれる言語でもあるので

いずれの主語代名詞も

発話者を指すものとして選ばれないことも多い。

 

夕方になって、私は散歩に出た。

 

夕方になって、散歩に出た。

 

これらのどちらにすべきか

と考える時

後者のほうはよりよい文体として

優先されがちではある。

 

少なくとも

谷崎潤一郎の 『文章読本』ではそうだったし

それを継いだ丸谷才一の『文章読本』でも

同じ方向を勧めていた

 

これに反旗を翻したのは村上春樹で

翻訳文体よろしく

あらずもがなの主語代名詞による発話者明示を

たくさんまき散らすことになった。

 

夕方になって、散歩に出た。

 

だけでいいところを

 

夕方になって、私は散歩に出た。

 

夕方になって、わたしは散歩に出た。

 

夕方になって、わたくしは散歩に出た。

 

夕方になって、僕は散歩に出た。

 

夕方になって、ぼくは散歩に出た。

 

夕方になって、あたしは散歩に出た。

 

夕方になって、俺は散歩に出た。

 

夕方になって、おれは散歩に出た。

 

夕方になって、ボクは散歩に出た。

 

夕方になって、ワタシは散歩に出た。

 

などなど

二字から三字、四字ぐらい増しが

平気で行われるようになってきたのが

昭和後期から平成、令和にかけての文体の

つかの間の流行であった。

 

まっことに下らない。

 

下らないこと

この上ない。

 

吾輩は助詞不要論者であるので

 

夕方、吾輩散歩出た。

 

でいいじゃないか?

と思う。

 

「吾輩」でなくても

もちろん

 

夕方、私散歩出た。

 

夕方、僕散歩出た。

 

夕方、わたし散歩出た。

 

夕方、ぼく散歩出た。

 

などでいい。

 

さらには

 

夕方私散歩。

 

夕方僕散歩。

 

夕方わたし散歩。

 

夕方ぼく散歩。

 

などで十分であり

このくらいに至ってはじめて

日本語は効率的に時短に躍動しはじめる

と感じる。

 

助詞ばかりでなく

助動詞も極力使わない方向で

未来の日本語を引き締めて磨き上げていきたいもの

と思う。





マリコの部屋へ


 

 

「言葉」でなにかを

言う

示そうとする

表わそうとする

 

わたしたちは思いがちだが

 

むしろ

 

「言葉」へなにかを

言う

示そうとする

表わそうとする

 

のではないか

よく思う

 

「言葉」は

「言葉」でしかない

 

「言葉」のむこうに

べつのわたしであり得る「人」

はいない

 

もちろん

「言葉」は「人」ではない

 

さらには

わたしが使う「言葉」も

もちろん

わたしではない

 

「言葉」を使う時の

「言葉」を使うという

絶対的な

孤独

 

こんなことを思いながら

マリコの部屋へ

電話をかけて

男と遊んでいる芝居を

まだ

続けている

 

煙草に火をつけては

ひと息

ふた息

吸い込んで

ゆるゆる吐き出してみながら

いくつか

並んで立っているビルを

窓ガラス越しに

眺めて

みている

 

(うそ。

煙草なんて

吸わないから。

吸ったこと

ないから。)

 

 

  

中島みゆき『悪女』

https://www.youtube.com/watch?v=ZkyCrUolctw

 

 

七夕から成瀬巳喜男のほうへ


 

 

今年は819日が

旧暦の77日にあたり

本来の七夕だった

 

一年に

一度

この日だけ

織姫と彦星が会うことを許される

 

古代の中国の伝説や

「乞巧奠(きっこうでん、きこうでん)」という行事に

日本の昔の風習が結びついて

七夕伝説は

生まれたらしい

 

古代中国では

わし座の一等星アルタイルを牽牛星(けんぎゅうせい)

こと座の一等星ベガを織女星(しょくじょせい)と呼んだ

 

日本では

牽牛星は彦星

織女星は織姫星

と呼ばれていた

 

彦星と織姫は
幸福な結婚をしたものの

互いに夢中になり過ぎ

仕事を怠けるようになってしまう

 

天帝が怒って

二人を引き離したが

嘆く二人を憐れんで

年に一度

77日にだけ

天の川を渡って会うことを許した

という

 

日本の新暦では

7月7日は梅雨の頃で

なかなか

夜空は晴れない

子どもたちも若い男女も

七夕の飾りをして

この日の夜空が晴れることを願うが

毎年

晴れることはほとんどなく

また今年も

彦星と織姫は会えなかった

とがっかりする

 

旧暦というものが

かなり正確に季節の推移を表わしているので

わたしはひそかに旧暦主義者なのだが
旧暦にふさわしい行事としては

七夕こそ至上だろう

すでに秋となった819日前後は

晴れる夜が多い

なるべく

彦星と織姫を会わせてやろうと

ちゃんと暦を戻す程度の粋な配慮が

文化というものにはほしい

 

      *

 

ところで

旧暦の七夕の翌日の

820日は

名映画監督の成瀬巳喜男(1905-69)の誕生日であり

ついでに

女優・司葉子の誕生日でもある

 

Xユーザーのnaveさんが

成瀬巳喜男の名作『流れる』についての

黒澤明の評を紹介している

 

黒澤明

「成瀬さんは、短いカットを積み重ねるが、それを継いだのを見ると、決してそうは見えないで、一つの長いカットのように見える。

見事に流れていて、継ぎ目が解らない。

そして、その一見、何気ない平凡な短いカットの流れは、深い河のように表面は静かに、底に急流、激流を秘めて流れて行く。

その腕前の確かな事は、比類がない。」

―黒澤明『蝦蟇の油』('84岩波書店)P239240

https://x.com/nave4000/status/2090208437002981650

 

『流れる』(1956)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=Fa4LHfdIVAQ

 

 

やはり

Xユーザーのnaveさんが

成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』(67)

こんな終盤を引用している

 

今日820日は、映画監督・成瀬巳喜男(1905-69)と、

女優・司葉子(92)の誕生日。

司葉子が、夫を交通事故で亡くすがその加害者の青年(加山雄三)と恋に落ちてしまう女性を演じた、成瀬巳喜男監督の遺作『乱れ雲』(67)の終盤

音楽:武満徹

https://x.com/nave4000/status/2090200887138689278

 

『乱れ雲』(1967)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=QY9bnTfiTRA

 

 

Xユーザーの「高峰秀子」さんによれば

成瀬巳喜男の日常は

このようであったという

 

毎朝九時キッカリにステージに姿を現す。スタッフはその三十分前にステージに入っているから第一カットがまわるのは九時十五分過ぎ。一日のノルマは大体二十カットほどで、夕方の五時前には「お疲れさま」になる。まるで名工のごとく、サラサラと流れるような仕事ぶりであった。

https://x.com/HidekoTakamine/status/2090197117562228985

 

同じXユーザーの「高峰秀子」さんが引用する

女優・高峰秀子の言葉には

このようなものがある

 

(成瀬巳喜男監督との仕事は俳優にとって)マイナスですね。何もおっしゃらないし、教えてもくれないし。だから役者もそこで止まっちゃって上手くなりません。ただ、仕事中はラクでしたよ。勝手に演っていればよかったから。私のような怠けものには最高の演出家でした。

amzn.to/3SWk8Vb

https://x.com/HidekoTakamine/status/2090287712154661185

 

『女の座』(1962)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=iSA2HgWHXhk

 

『女が階段を上る時』(1960)予告篇 

https://www.youtube.com/watch?v=OPjDdS2w8CI

 

『乱れる』(1964)予告篇 

https://www.youtube.com/watch?v=6OFgbXOsStc

 

『放浪記』(1962)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=qFZ61GrdnB8

 

巳喜男《浮云》:小津安二郎影自己拍不出,是其中之一

https://www.youtube.com/watch?v=tTiTlovpbb0

https://www.youtube.com/watch?v=0Fg_HZY2wGM

 

『ひき逃げ』(1966)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=xy3m9TGBQhs

 

『女の歴史』(1963)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=uuE7hl2T0OY

 

 

Xユーザーのnaveさんによれば

成瀬と同じ8月20日が誕生日だった女優・司葉子は

成瀬巳喜男とのこんなエピソードを語っている

 

映画の世界では(成瀬)先生は神様のような方でしたから、(撮影のとき)最初は緊張の毎日でした。しかし、成瀬組には最高の技術を持ったスタッフがそろっていて、悲しい場面なら悲しく映るように、カメラから照明からすべて準備が出来ている。私たちが頑張って芝居しなくてもただそこに立っていればいい。一度、自分の演技が不満だったので「もう一回やらせて下さい」とお願いしたことがありました。先生は「ウフフ」と笑って「じゃあ、やろうか」とおっしゃる。そして撮った後に「で、どこが違うの」って。すべてお見通し。先生に任せておけばいいんだと思いました。

 

(『乱れ雲』(67)の十和田湖でのロケの終盤、プロデューサーの藤本真澄さんが東京から陣中見舞いでお肉を持って来て)そのお肉を食べて、今日はみんなで飲もうということになったんです。私は翌日の撮影に差し支えますから、とお断りしました。ところが成瀬先生が「葉ちゃん、今日は飲んでいいよ」とおっしゃるんです。「明日はラストシーンの大事な撮影があるのに」と不思議に思いながら、お肉につられて、私もお酒をいただきました。

翌日の撮影は、十和田湖の船着き場に立ち、独りで湖をじっと見つめる場面でした。天気待ちで化粧を直していたら、先生が来られて「葉ちゃん、今日はいいんだよ。後ろ姿だけだから」と笑っていらっしゃる。前の晩からちゃんと計算済みだったんですね。高峰秀子さんが愛情込めて「意地悪じいさん」と呼んでいらした意味がよく分かりました。

先生はこの後、体調を崩され、2年後に亡くなられました。「乱れ雲」が遺作になり、十和田湖での私の後ろ姿が先生のラストシーンになりました。入院中に「葉ちゃんの次の映画、何にしようか」とおっしゃられたこと、今でも忘れることが出来ません。

x.com/Silence_Strike…

https://x.com/nave4000/status/2090206309941641558

 

 

旧暦7月7日にあたる

現在の8月19日の本当の七夕のことに

ちょっと触れてみたくなって

ついでに

翌日の20日の成瀬巳喜男の誕生日のことを思い出しての

これといった必要もない

道草である

 

14分で見る「成瀬巳喜男監督」映画/「シネマプロムナード 」 クラシック映画チャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=ognUGfDhAGM

 

『女の中にいる他人』(1966)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=KfML7_tvuGM

 

『鰯雲』(1958)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=jN9-NdyPdZo

 

『娘・妻・母』(1960)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=gDEZhP7vcGo

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZBIGI1lP7NA

 

夜の流れ』(1960)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=EB-FeEGjUhg

 

『おかあさん』(1952)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=D41jeZFXWEQ

 

『あにいもうと』 1953年製作 成瀬巳喜男監督 出演者 京マチ子 久我美子 森 雅之

https://www.youtube.com/watch?v=7hSCEVOo3Fo

 

『銀座化粧』 成瀬巳喜男監督 田中絹代 花井蘭子 東野英治郎 香川京子 岡龍三 1951年

https://www.youtube.com/watch?v=DSgyCd3-TDo&t=2621s

 






2026年8月20日木曜日

岸惠子から『ゴジラ』『ウルトラQ』『快獣ブースカ』へ

 

 

 

女優の岸惠子が94歳で亡くなったそうだが

あまり興味のない人だったので

現代日本語会話で

接客業の女性たちやOL(職業婦人)たちに多用される

「そうだったんですね!」

という受け答えを思わずしてしまいたくなる

 

もちろん

飛び抜けた個性のある女優だったことに間違いはなく

Xユーザーの中田圭さんが思い出させてくれる

こんなCMを見直すと

きれいで明るくてはっきりしていて

好印象な人だったとは思う

 

追悼 岸恵子さん

1983年 資生堂CM ヘアカラー「お久しぶり」

監督・共演:鈴木清順

https://x.com/keinakata/status/2090257505909981582

 

 

多くの映画の中でのさまざまな場面が蘇るが

個人的には日本女性の中の好きではない系の顔立ちだったことが

どうしてもネックになって

「そうだったんですね!」

で済ましてしまいたくなる

 

この点では

映画監督の小林正樹が

どうやら共通の感覚で岸惠子をとらえていたらしく

彼女の顔の特性を生かして映画『怪談』で雪女を演じさせている

Xユーザーの「高峰秀子」さんが

大女優・高峰秀子の言葉を引用してこのあたりのことを書いている

 

「雪女ってイメージからすると、面長ですらりとした美人でしょう?私は雪ダルマなら演れるかもしれないけど、雪女ってタイプじゃありません。怪談じゃなくてマンガになっちゃうよ、小林さん」 小林(正樹)監督はビックリ退散。完成した『怪談』を見たら、雪女はすらり美人の岸惠子さんになっていた。

https://x.com/HidekoTakamine/status/2090031020750024967

 

あの映画の雪女みたいな顔で出られたり

生活の中でまとわりつかれたら嫌だなと思うので

私の岸惠子忌避はけっこう根深い本能的な恐怖から来ているのかも

しれない

 

https://www.youtube.com/watch?v=SkHl2g4ki5E

 

https://www.youtube.com/watch?v=ILei62imsHU

 

 

それにしても

Xユーザーのmoldさんが記していた情報は

映画好きでもうっかり見落としていたりするもので

面白く有益だった

 

岸惠子を一躍有名にした1953年の『君の名は』の

冒頭の東京大空襲のシーンが

なんと怪獣映画の巨匠・円谷英二による特撮だったことだ

 

松竹映画「君の名は」(1953)冒頭の東京大空襲のシーンは、東宝復帰前の円谷英二が特撮を担当した。実際に東京大空襲を経験した人が多かった時代に、このリアルな映像はまさに悪夢を思い出させるものではなかったか。円谷英二はこの翌年、東宝映画「ゴジラ」の特撮を担当することになる。

https://x.com/lautrea/status/2090067044117221480

 

https://www.youtube.com/watch?v=XcqsVqX9Dys

 

『君の名は』の翌年1954年に公開される本多猪四郎の『ゴジラ』は

世界の映画を変革していく記念碑的な映画となったが

ゴジラ出現を伝えるあの特殊技術は円谷英二によるもので

その後日本の少年たちは

ゴジラ系の怪獣映画シリーズの

『ゴジラの逆襲』(1955

『モスラ』(1961)

『モスラ対ゴジラ』(1964)

をはじめとする幾つもの作品や

テレビドラマの

『ウルトラQ』(1966)

「ウルトラマン」(1966)

『ウルトラセブン』(1967)

『快獣ブースカ』(1966)

『怪奇大作戦』(1968)

などあまりに多すぎる作品によって

すっかり洗脳されていくことになった

 

『ゴジラ』

https://www.youtube.com/watch?v=KIBFhpxAcRE

 

『ゴジラの逆襲』

https://www.youtube.com/watch?v=uC0tQK9bJE8

 

『モスラ』

https://www.youtube.com/watch?v=vwvE7drUxAU

 

『モスラ対ゴジラ』

https://www.youtube.com/watch?v=S_DMKmRmdBg

 

『ウルトラQ』

https://www.youtube.com/watch?v=cyR3exmBg-M

 

https://www.youtube.com/watch?v=imD-Rl9lNkw

 

https://www.youtube.com/watch?v=gBt0vrC8ZCY&t=40s

 

https://www.youtube.com/watch?v=Os9RcofWwwc

 

https://www.youtube.com/watch?v=gRFLTV2zZz0

 

『ウルトラマン』

https://www.youtube.com/watch?v=DHQUr5rudUI

 

https://www.youtube.com/watch?v=S0Wa9hYx0Oo

 

『ウルトラセブン』

https://www.youtube.com/watch?v=iCuz2D7br78

 

https://www.youtube.com/watch?v=ilWOznryK8g

 

https://www.youtube.com/watch?v=4o8KuIePBII

 

https://www.youtube.com/watch?v=IVHfPTohZ1Y

 

『快獣ブースカ』

https://www.youtube.com/watch?v=137L2gISSTQ

 

https://www.youtube.com/watch?v=a64H5TRzU9o

 

https://www.youtube.com/watch?v=S-bU9MWtLDM&list=PL7oRqKpiwLsrOn_oUD-yIc2TpV9qzjTCz

 

 

 

忘れないように付言しておくが

今でも国際的に人気ナンバーワンを競う純日本映画である

小津安二郎の『東京物語』も1953年公開で

今からふり返ると

『東京物語』や『ゴジラ』や『君の名は』がもつれ合って

日本映画として示現していた時代が

あの1953年や1954年あたりであったことに

やはり驚いておくべき必要はある

 

『東京物語』

https://www.youtube.com/watch?v=ih7usk8w2NY

 

https://www.youtube.com/watch?v=Kv-lO8aPOK8

 

https://www.youtube.com/watch?v=PQALLTjf3GI

 

https://www.youtube.com/watch?v=hOcA2eV6WCg&t=7527s

 

 

ところで

Xユーザーの神山彰さんが

こんなことを記していた

 

岸恵子というと川島雄三監督に「何故この映画撮るのか」と質し「生活の為に決ってるじゃないですか」と答える川島を軽蔑、以後川島作品に出ず、事情は知らずフランスで監督と結婚、長くパリ在住、晩年「岩波書店」から自伝という立派すぎる「国際派女優」ぶりに最後まで苦手で好感持てず。妄言多謝。

https://x.com/kamiaki1950/status/2090048382861787345

 

ところが

これは神山さんの記憶違いで

他のXユーザーのホッタタカシさんが訂正している

 

>「何故この映画撮るのか」と質し「生活の為に決ってるじゃないですか」と答える川島を軽蔑

 

それは今村昌平です。

岸惠子(当時19歳)は、電車内でこういうしょーもない映画に出されることの悔しさを友人に愚痴ったら、後ろにいたのが川島雄三。腹を立てて二度と岸を起用しなかったのは川島。

https://x.com/t_hotta/status/2090081118414647483

 

ホッタタカシさんは

さらに

こうつけ加えている

 

川島の回想では芸術づいた岸惠子が「ああいう映画に出るのは本当に悔しい」と談話を出したので、「それなら降りた方がいい」と言ってやったことになってますが、『君の名は』以前の作品なので、まだ岸さんがド新人の頃。彼女の証言の方が正しいのでは。川島は酒乱だし女性観も古そうです。

https://x.com/t_hotta/status/2090113437573808261

 

川島雄三は

1952年に『とんかつ大将』を公開し

『新東京行進曲』や『東京マダムと大阪夫人』を1953年に公開して

1956年の『州崎パラダイス赤信号』や

1957年の『幕末太陽傳』に向かいつつあった

 

今村昌平のほうは

1951年に入社した松竹大船撮影所で

小津安二郎の助監督を務めたり

松竹大船助監督部の幹事を務めていたが

まだ自分の映画を撮ることができておらず

仕事にも収入にも不満を感じて

1954年に日活に移籍した

1957年の川島雄三の『幕末太陽傳』の脚本は今村が書き

浦山桐郎の『キューポラのある街』の脚本も手がけた

『盗まれた欲情』でようやく監督としてデビューするのは

1958年のことである