2026年8月21日金曜日

『ゴジラvs原節子 Tokyoの大決闘』


 

 

ひさしぶりに

本多猪志郎監督の

というより

むしろ円谷英二の特撮による

というべき

『ゴジラ』(1954)を思い出してみた

 

あの暗い映画は

大人になって見てみると

子ども向きの怪獣映画だというのに

人間のどうしようもなさをなかなか鋭く抉っていて

けっこう大した挑戦をしていた

とわかる

 

それでも

わざわざ映画に貴重な人生時間を費やす時に

わたしが見たいと望むような

映像の美しさや展開の奇想天外の面白さがまったくないので

『ゴジラ』が好きかどうかと問われれば

「べつに」

と答えるほかない

 

あの後もたくさんゴジラ・シリーズは作られ

円谷英二の特撮は

子どもの頃には面白がったものだが

大人になってみれば

「べつに」

としか反応のしようがない

 

近年に作られたゴジラ映画のあれこれの

あのレベルの低さは

もうどうしようもないもので

特撮だのCGだのの技術は進んだとしても

肝心のストーリーが下らな過ぎるし

登場人物たちの人間としての設定がダメ過ぎて

大人が二時間ほどかけてつき合うようなものではない

 

ああいう映画が公開される時には

映画会社が金をかけて大宣伝をするし

映画評論家だのタレントだのが

しっかり裏金をもらって褒め称えるので

なんだかすごい映画ができたかのように見えるが

結局は大がかりな宣伝の渦がまわっているだけなので

実際に見てみると

なんだ、これは?

というひどいものが多い

 

ひどいといえば

ひと頃話題になっていた歌舞伎を扱った映画『国宝』は

あれは本当にひどかった

テレビでもSNSでも

どこのタレントも映画評論家も俳優たちも

みんなこぞって褒めているし

制作にも手間暇かけて大変なものが出来た

というような世論づくりがなされ続けたので

歌舞伎の好きなわたしもちょっと期待したものだったが

実際に見てみると

昔懐かしい昭和やくざ映画路線臭い画面の雰囲気で

人物たちの心情がどれもこれも古臭く

ストーリー展開も予想通りにしか進まず意外性がまったくなく

だいたいふたりの主要人物を演じる役者の演技が

いい悪いではなしにまったく歌舞伎役者っぽくなくて

よくもまあ監督はこんな演技と撮り方を許したもんだな

と驚き呆れて40分あたりからもう馬鹿らしくなった

 

歌舞伎がまさに他のなにものでもなく歌舞伎である本質は

舞台の上での演技の際の

あのあっけらかんとした不自然さと

生身の人間が演じている感じの希薄さにこそある

役者の人となりや人生や思想や感情などまったく必要ない

物語世界にしかいない非現実的な架空の人物を

役者はけっして自分の中に取り込まずに

よそよそしく外面的にのみ演じてこその歌舞伎であって

俳優と役柄とがぴったり合ってしまっては歌舞伎ではなくなる

舞台の上でただ役柄だけがみごとに存在してくれればいいので

人間としての俳優などどうでもいいのだ

『国宝』という映画はここのところがまるでダメだった

ふたりの映画俳優が極限まで歌舞伎俳優のように演じようとするのを

えんえんと二時間ほど撮ったもののほうが

よほど面白くなったはずだろう

 

ゴジラに話を戻すと

昨今の下らなすぎるゴジラ映画の枠を飛び出して

山田風太郎に負けないような

なんとかブッ飛んだ面白さを獲得できるような発想はないものか

とつらつら考えるうちに

そうだ!

ほとんど時を同じくして制作されていた『東京物語』(1953)から

あの大女優・原節子を借りてきて

そうして東京に上陸してくるゴジラと戦わせたら

これは面白いものができるにちがいない

と思いついた

 

原節子が巨大化して

首都東京でゴジラを迎えて

イップマン顔負けの大取り組みを行うのだ

 

名づけて

『ゴジラvs原節子 Tokyoの大決闘』

どうだ?

 

「これ、ミリオン、行くかも」

という

石井克人のあの至上の名作映画『茶の味』(2004)

武田真治のセリフが

震えるほど幸福に異常な

忘れがたい聖なる「山の歌」とともに

響いてくるような気がする

 

 

  

 

The Taste of Tea (茶の味)Trailer

https://www.youtube.com/watch?v=Da6FJH7IkNA

 

The Taste of Tea (2004)- Mountain Song (HD)

https://www.youtube.com/watch?v=rc_mYd5VFYE

 

茶の味 三角形 Triangle Song

https://www.youtube.com/watch?v=mIVcyCVktSs

 

 


好奇神

 


 

好奇心がわたしの神

 

好奇神

と書き換えてもいいし

もっと俗に

野次馬根性と呼んでもいい

 

それがわたしの神

 

好奇心を神とする者は

世界の

あらゆる境界線を超える

無効化する

 

好奇心はキリストを超え

ブッダを超え

マホメットを超え

モーゼもアブラハムも超える

面白いもの好きでは人後に落ちない

あのサタンやベルゼブブや

ルシファーや

バフォメットや

メフィストフェレスも超える

 

好奇心の神のもとには

誰でもが平等に

活力に満ちて

好奇の目をらんらんと輝かせて

つねに集い

うごめき

俗語・卑語・ナンセンス・専門語・皮肉・ユーモア・批判まで

あらゆる単語や表現や口調をひっくるめ

思念と言語と無言としぐさと無為の共演を

くり広げ続けている

 

堅苦しい信仰の儀式など

好奇神には不要

 

手をあわせたり

心を静めたりしての祈りも不要

 

好奇神は

人間心理や気分や精神のなによりも強いので

いつも勝手に

知らぬ間にこちらの奥に入り込んでくる

 

なすべきは

好奇神の導きに

ただ

従うこと

 

そうすれば

たちまちのうちに

心身快適になり

子犬や子猫や子ネズミのように

心も精神もからだも

四方八方にかけまわり出す

 

 


吾輩は助詞不要論者であるので


 

 

日本語における

文体の違い。

 

ほとんどは下らない。

 

発話者の主語を明記するか、しないか。

これで第一段階の差が決まり、

第二段階の差は、発話者の主語代名詞として

「私」

「わたし」

「わたくし」

「僕」

「ぼく」

「あたし」

「あたくし」

「俺」

「おれ」

「あいら」

「わっち」

「わっちら」

「吾輩」

「余」

などのどれを選択するかで決まる。

 

(日本語の場合、

「私」と「わたし」や

「僕」と「ぼく」の間には

かなりの違いがある。

これには

注意しておく必要がある。

漢字を用いるか、

ひらがなで表わすか、

この間には精神上の深い裂け目がある。

「ワタシ」や「ボク」を使う人が

意外と少ないのも

おおいに注目に値する。)

 

(カエサルが

主語を「私」という代名詞にせずに

カエサルという固有名詞にしたように

日本語でも発話者の固有名詞を用いることは可能だろうが

自分の行為を自分の固有名詞を主語に用いて語るのは

精神的に問題のあるケースもある。)

 

主語にどの単語を用いるかで

作文の雰囲気は大きく変わることになり

どれかを選んで文の流れを起動させた時点で

選んだ単語に帯びさせられている色合いや

歴史や力に乗ることで文はおのずと推進されていく

 

さて。

 

日本語は作文の際に

主語を語らないことが好まれる言語でもあるので

いずれの主語代名詞も

発話者を指すものとして選ばれないことも多い。

 

夕方になって、私は散歩に出た。

 

夕方になって、散歩に出た。

 

これらのどちらにすべきか

と考える時

後者のほうはよりよい文体として

優先されがちではある。

 

少なくとも

谷崎潤一郎の 『文章読本』ではそうだったし

それを継いだ丸谷才一の『文章読本』でも

同じ方向を勧めていた

 

これに反旗を翻したのは村上春樹で

翻訳文体よろしく

あらずもがなの主語代名詞による発話者明示を

たくさんまき散らすことになった。

 

夕方になって、散歩に出た。

 

だけでいいところを

 

夕方になって、私は散歩に出た。

 

夕方になって、わたしは散歩に出た。

 

夕方になって、わたくしは散歩に出た。

 

夕方になって、僕は散歩に出た。

 

夕方になって、ぼくは散歩に出た。

 

夕方になって、あたしは散歩に出た。

 

夕方になって、俺は散歩に出た。

 

夕方になって、おれは散歩に出た。

 

夕方になって、ボクは散歩に出た。

 

夕方になって、ワタシは散歩に出た。

 

などなど

二字から三字、四字ぐらい増しが

平気で行われるようになってきたのが

昭和後期から平成、令和にかけての文体の

つかの間の流行であった。

 

まっことに下らない。

 

下らないこと

この上ない。

 

吾輩は助詞不要論者であるので

 

夕方、吾輩散歩出た。

 

でいいじゃないか?

と思う。

 

「吾輩」でなくても

もちろん

 

夕方、私散歩出た。

 

夕方、僕散歩出た。

 

夕方、わたし散歩出た。

 

夕方、ぼく散歩出た。

 

などでいい。

 

さらには

 

夕方私散歩。

 

夕方僕散歩。

 

夕方わたし散歩。

 

夕方ぼく散歩。

 

などで十分であり

このくらいに至ってはじめて

日本語は効率的に時短に躍動しはじめる

と感じる。

 

助詞ばかりでなく

助動詞も極力使わない方向で

未来の日本語を引き締めて磨き上げていきたいもの

と思う。





マリコの部屋へ


 

 

「言葉」でなにかを

言う

示そうとする

表わそうとする

 

わたしたちは思いがちだが

 

むしろ

 

「言葉」へなにかを

言う

示そうとする

表わそうとする

 

のではないか

よく思う

 

「言葉」は

「言葉」でしかない

 

「言葉」のむこうに

べつのわたしであり得る「人」

はいない

 

もちろん

「言葉」は「人」ではない

 

さらには

わたしが使う「言葉」も

もちろん

わたしではない

 

「言葉」を使う時の

「言葉」を使うという

絶対的な

孤独

 

こんなことを思いながら

マリコの部屋へ

電話をかけて

男と遊んでいる芝居を

まだ

続けている

 

煙草に火をつけては

ひと息

ふた息

吸い込んで

ゆるゆる吐き出してみながら

いくつか

並んで立っているビルを

窓ガラス越しに

眺めて

みている

 

(うそ。

煙草なんて

吸わないから。

吸ったこと

ないから。)

 

 

  

中島みゆき『悪女』

https://www.youtube.com/watch?v=ZkyCrUolctw

 

 

七夕から成瀬巳喜男のほうへ


 

 

今年は819日が

旧暦の77日にあたり

本来の七夕だった

 

一年に

一度

この日だけ

織姫と彦星が会うことを許される

 

古代の中国の伝説や

「乞巧奠(きっこうでん、きこうでん)」という行事に

日本の昔の風習が結びついて

七夕伝説は

生まれたらしい

 

古代中国では

わし座の一等星アルタイルを牽牛星(けんぎゅうせい)

こと座の一等星ベガを織女星(しょくじょせい)と呼んだ

 

日本では

牽牛星は彦星

織女星は織姫星

と呼ばれていた

 

彦星と織姫は
幸福な結婚をしたものの

互いに夢中になり過ぎ

仕事を怠けるようになってしまう

 

天帝が怒って

二人を引き離したが

嘆く二人を憐れんで

年に一度

77日にだけ

天の川を渡って会うことを許した

という

 

日本の新暦では

7月7日は梅雨の頃で

なかなか

夜空は晴れない

子どもたちも若い男女も

七夕の飾りをして

この日の夜空が晴れることを願うが

毎年

晴れることはほとんどなく

また今年も

彦星と織姫は会えなかった

とがっかりする

 

旧暦というものが

かなり正確に季節の推移を表わしているので

わたしはひそかに旧暦主義者なのだが
旧暦にふさわしい行事としては

七夕こそ至上だろう

すでに秋となった819日前後は

晴れる夜が多い

なるべく

彦星と織姫を会わせてやろうと

ちゃんと暦を戻す程度の粋な配慮が

文化というものにはほしい

 

      *

 

ところで

旧暦の七夕の翌日の

820日は

名映画監督の成瀬巳喜男(1905-69)の誕生日であり

ついでに

女優・司葉子の誕生日でもある

 

Xユーザーのnaveさんが

成瀬巳喜男の名作『流れる』についての

黒澤明の評を紹介している

 

黒澤明

「成瀬さんは、短いカットを積み重ねるが、それを継いだのを見ると、決してそうは見えないで、一つの長いカットのように見える。

見事に流れていて、継ぎ目が解らない。

そして、その一見、何気ない平凡な短いカットの流れは、深い河のように表面は静かに、底に急流、激流を秘めて流れて行く。

その腕前の確かな事は、比類がない。」

―黒澤明『蝦蟇の油』('84岩波書店)P239240

https://x.com/nave4000/status/2090208437002981650

 

『流れる』(1956)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=Fa4LHfdIVAQ

 

 

やはり

Xユーザーのnaveさんが

成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』(67)

こんな終盤を引用している

 

今日820日は、映画監督・成瀬巳喜男(1905-69)と、

女優・司葉子(92)の誕生日。

司葉子が、夫を交通事故で亡くすがその加害者の青年(加山雄三)と恋に落ちてしまう女性を演じた、成瀬巳喜男監督の遺作『乱れ雲』(67)の終盤

音楽:武満徹

https://x.com/nave4000/status/2090200887138689278

 

『乱れ雲』(1967)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=QY9bnTfiTRA

 

 

Xユーザーの「高峰秀子」さんによれば

成瀬巳喜男の日常は

このようであったという

 

毎朝九時キッカリにステージに姿を現す。スタッフはその三十分前にステージに入っているから第一カットがまわるのは九時十五分過ぎ。一日のノルマは大体二十カットほどで、夕方の五時前には「お疲れさま」になる。まるで名工のごとく、サラサラと流れるような仕事ぶりであった。

https://x.com/HidekoTakamine/status/2090197117562228985

 

同じXユーザーの「高峰秀子」さんが引用する

女優・高峰秀子の言葉には

このようなものがある

 

(成瀬巳喜男監督との仕事は俳優にとって)マイナスですね。何もおっしゃらないし、教えてもくれないし。だから役者もそこで止まっちゃって上手くなりません。ただ、仕事中はラクでしたよ。勝手に演っていればよかったから。私のような怠けものには最高の演出家でした。

amzn.to/3SWk8Vb

https://x.com/HidekoTakamine/status/2090287712154661185

 

『女の座』(1962)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=iSA2HgWHXhk

 

『女が階段を上る時』(1960)予告篇 

https://www.youtube.com/watch?v=OPjDdS2w8CI

 

『乱れる』(1964)予告篇 

https://www.youtube.com/watch?v=6OFgbXOsStc

 

『放浪記』(1962)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=qFZ61GrdnB8

 

巳喜男《浮云》:小津安二郎影自己拍不出,是其中之一

https://www.youtube.com/watch?v=tTiTlovpbb0

https://www.youtube.com/watch?v=0Fg_HZY2wGM

 

『ひき逃げ』(1966)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=xy3m9TGBQhs

 

『女の歴史』(1963)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=uuE7hl2T0OY

 

 

Xユーザーのnaveさんによれば

成瀬と同じ8月20日が誕生日だった女優・司葉子は

成瀬巳喜男とのこんなエピソードを語っている

 

映画の世界では(成瀬)先生は神様のような方でしたから、(撮影のとき)最初は緊張の毎日でした。しかし、成瀬組には最高の技術を持ったスタッフがそろっていて、悲しい場面なら悲しく映るように、カメラから照明からすべて準備が出来ている。私たちが頑張って芝居しなくてもただそこに立っていればいい。一度、自分の演技が不満だったので「もう一回やらせて下さい」とお願いしたことがありました。先生は「ウフフ」と笑って「じゃあ、やろうか」とおっしゃる。そして撮った後に「で、どこが違うの」って。すべてお見通し。先生に任せておけばいいんだと思いました。

 

(『乱れ雲』(67)の十和田湖でのロケの終盤、プロデューサーの藤本真澄さんが東京から陣中見舞いでお肉を持って来て)そのお肉を食べて、今日はみんなで飲もうということになったんです。私は翌日の撮影に差し支えますから、とお断りしました。ところが成瀬先生が「葉ちゃん、今日は飲んでいいよ」とおっしゃるんです。「明日はラストシーンの大事な撮影があるのに」と不思議に思いながら、お肉につられて、私もお酒をいただきました。

翌日の撮影は、十和田湖の船着き場に立ち、独りで湖をじっと見つめる場面でした。天気待ちで化粧を直していたら、先生が来られて「葉ちゃん、今日はいいんだよ。後ろ姿だけだから」と笑っていらっしゃる。前の晩からちゃんと計算済みだったんですね。高峰秀子さんが愛情込めて「意地悪じいさん」と呼んでいらした意味がよく分かりました。

先生はこの後、体調を崩され、2年後に亡くなられました。「乱れ雲」が遺作になり、十和田湖での私の後ろ姿が先生のラストシーンになりました。入院中に「葉ちゃんの次の映画、何にしようか」とおっしゃられたこと、今でも忘れることが出来ません。

x.com/Silence_Strike…

https://x.com/nave4000/status/2090206309941641558

 

 

旧暦7月7日にあたる

現在の8月19日の本当の七夕のことに

ちょっと触れてみたくなって

ついでに

翌日の20日の成瀬巳喜男の誕生日のことを思い出しての

これといった必要もない

道草である

 

14分で見る「成瀬巳喜男監督」映画/「シネマプロムナード 」 クラシック映画チャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=ognUGfDhAGM

 

『女の中にいる他人』(1966)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=KfML7_tvuGM

 

『鰯雲』(1958)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=jN9-NdyPdZo

 

『娘・妻・母』(1960)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=gDEZhP7vcGo

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZBIGI1lP7NA

 

『夜の流れ』(1960)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=EB-FeEGjUhg

 

『おかあさん』(1952)予告篇

https://www.youtube.com/watch?v=D41jeZFXWEQ

 

『あにいもうと』 1953年製作 成瀬巳喜男監督 出演者 京マチ子 久我美子 森 雅之

https://www.youtube.com/watch?v=7hSCEVOo3Fo

 

『銀座化粧』 成瀬巳喜男監督 田中絹代 花井蘭子 東野英治郎 香川京子 岡龍三 1951年

https://www.youtube.com/watch?v=DSgyCd3-TDo&t=2621s