悲しい歌の好きだった頃
惹かれた子たちの腕は細くて
首は細くて
肩は薄くて鋭くて
夢見がちなのに
実利的
悲しい歌のメロディーは
ぼくの心に染み込んで
惹かれた子たちの
腕や首
肩や夢見を
捨てさせた
悲しい歌のむこうには
メロディーの海や
テンポの野
カデンツァの森がひろがって
悲しみ喜び楽しみは
ただの味覚となりました
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
悲しい歌の好きだった頃
惹かれた子たちの腕は細くて
首は細くて
肩は薄くて鋭くて
夢見がちなのに
実利的
悲しい歌のメロディーは
ぼくの心に染み込んで
惹かれた子たちの
腕や首
肩や夢見を
捨てさせた
悲しい歌のむこうには
メロディーの海や
テンポの野
カデンツァの森がひろがって
悲しみ喜び楽しみは
ただの味覚となりました
「岩屑」という言葉は
古井由吉の『杳子』*を見ていて
はじめて知った
登山家たちが使う言葉かもしれないが
街暮らしでは
なかなか
この言葉には出会わない
山登りをしている主人公が
西の空に黒雲のひろがりを見つけ
追い立てられるような気持で尾根を下り
谷に入っていく
「岩屑」は
谷底の河原に
「流れにそって累々と横たわって静まりかえり
重くのしかかる暗さの底に
灰色の明るさを漂わせていた」
そうして
「岩屑」のこの明るさのなかに
「杳子」が出現する
「その明るさの中で
香子は平たい岩の上に職を小さくこごめて坐り
すぐ目の前の
誰かが戯れに積んでいった低いケルンを
見つめていた」
小説というものが
忘れがたい印象的なシーンを
冴えた映画のように提示することで始まるものだった時代の
とりわけ印象深い冒頭の『杳子』だった
勢い込みたくても
いい出だしが書けないときは
気張らないで
控えめに書きはじめる
というようなことを
かつて
どこかで吉行淳之介が書いていたが
小説であれ
映画であれ
ドラマであれ
あまりに多量に生産されてしまって
すでに個々の作品が存在価値や意義を失うほどに
極限の飽和状態に至ってしまった昨今では
気張らないで
控えめに書きはじめられた小説は
一度といわず
再三
作者自身によって再考や
再編集をされて
これ以上ないほどのシェイプアップを施されてから
発表するようにしてほしいと
読者としては思う
200ページだの
300ページだの
400ページだのを使って
グダグダ細かな雑事を書き込まれても
もう読者はつき合っていられない
せいぜい10ページ程度に凝縮してから
発表せよ
などと思うが
つまりは
ボルヘスになれ
ということか
*古井由吉 『杳子』、1971
これももう
今では古い本になってしまったが
1992年に河出書房新社から出版された
『〔同時代〕としての女性短歌』のなかの対談
「“女性短歌”を貫流するもの」のなかで
瀬戸内寂聴と馬場あき子がこんな話をしている
瀬戸内 短歌をやっている人は時々、「もう、やめる」
馬場 ええ。
瀬戸内 道元禅師が、坊さんは文学などしてはいけない、
馬場 慈円も、言いわけに「自分の癖だ」と言って、つくっていますね。
瀬戸内 あの人たちは、“歌なんかはやめなければいけない”なんて、
馬場 遊びだったんじゃないですか。
瀬戸内 なるほど。
馬場 私はお坊さんの歌にとても興味をもつのですけれども、
瀬戸内 漢詩はいいんですか?
馬場 やはりいけないんじゃないですか。
瀬戸内 いけないでしょうね。でも五山の坊さんなんか、
馬場 そうなんです。特別な詩をつくっていますね。ところが、
瀬戸内 私は西行を書いたんですけれども、西行は「歌は真言だ」
馬場 そうなんです。真言なんです。あの頃のお坊さんにとっては、
論考と違って
文学者どうしの間のおしゃべりに過ぎない
といえば言えるが
肩肘張らずに
気ままに語り出されているために
いろいろな意見が出てきて
とても面白い対談になっており
ここに引いた以外の話にも
興味深いものが多い
「歌は真言だ」というのは
思いつきそうでうまく思いつけないことの多い
というか
気づいてはいるものの
思い出せないでいることの多い
直観的な真実で
こんな対談のなかに
ヒョッと語り出されてあるのは貴重といえる
短歌は一首一首が辞世であり
最期の一首である
とは
よく思うのだが
歌を「真言」と見なすのも
同じことと思える
西行に関連しては
このような話も出てきている
瀬戸内 やはり、歌は枯れちゃだめでしょう。
馬場 最後まで艶(えん)がなければいけないわけですよ。
瀬戸内 艶ですね。西行がそうでしょう。
馬場 美しいものにほのかな憧れがあって、艶でした。
瀬戸内 西行が本当に歌に命をかけて死んだということは、
馬場 納得できますね。
瀬戸内 私は西行を書いて、それでやっとわかったんですが、
馬場 あの方も奔放な女性ですからね。
瀬戸内 奔放な人なんですよね。だから西行の「花」とか「月」
馬場 もちろんそうです。
瀬戸内 だから、あれはみんな恋の歌なんですね。
馬場 「花」がことに恋の歌で、
瀬戸内 そういうところが、何とも言えずいいですね。
西行の「花」とか「月」とかが
すべて恋人を表わすものであり
それらのむこうに待賢門院がいる
とまでは決められないと思うし
純粋に「花」や「月」を愛したとも思うが
女性文学者ふたりの
どこまでも恋を見続けたいという
心の動きはおもしろい
大平洋戦争の時の世相に対して
馬場あき子が
戦後に作ったのではあるが
このように歌っていたのが思い出される
男らは君が代に行つてしまひたり大倭(やまと)の恋もいよよ滅び
ともあれ
短歌や和歌の命が艶にかかっている
というのは確かで
これは再三思い出し直すべき
真理
というか
覚悟
というべきものであろう
さらに言えば
言葉というもの自体が
艶なのでもある
そういえば
中村眞一郎の『恋の泉』を読んでいなかった
と
1962年のこの小説を
新潮社刊のハードカバーで手に入れた
古書店で200円で買った
40歳の戯曲作家の思念の流れから始まり
すぐに
20歳の娘との
あまり描写の臨場感に秀でてはいない
情交場面へと移っていきつつ
思念の流れを豊かにしていく十ページほどを
いくらかうんざりしつつ耐えると
情交相手の若い娘が
日本人ドイツ文学者とフランス女性のあいだに生まれた混血で
そのゆえに
戦争中の日本で苦労したことが語られ
小説は一気に面白みを増してくる
こんな記述も出てくる
優里江は自分と母とが、血液の相違のために、
優里江の父のような知識人は
いわば日本のお家芸のようなもので
21世紀の現代でさえ
ちょっとまわりを見まわせば
いくらでも類型が見出せる
『恋の泉』で中村眞一郎が
みごとに描き残してくれていることに
今さらながらに感心させられる
戯曲作家のほうの態度も
中村眞一郎が書き込んでくれた
貴重なものといえる
「私は事実、自己の念を世間に説くためには、
何事もしなかったし、
それから、また、
その念を秘かに抱きつづけることでさえ、
幾らかの社会的 迫害を受けることは
免れなかったのだが、(……)」
こういう知識人の多いことも
日本の特徴というべきだろうか
政治が傾いていこうと
異様な風潮が社会を染めていこうと
戦争が起ころうとも
自分の意見を説こうとはせず
なにもすることなく
ただ天候の変化していくのを待つように
時勢や世のなりゆきが
しだいに変わっていくのを待つばかりという
お国柄
プルーストの翻訳者でもある中村眞一郎なので
時間とおりおりの自我とが織り成す物語にこそ
『恋の泉』のテーマはあるというべきだろうが
記述の中には
戦中から戦後にかけて
日本社会の中に露呈することになった
さまざまな日本人問題がまき散らされていく
書かれてから60年以上も経ってみれば
むしろそれらのほうの貴重さが
はっきりと感じられてくるようにも思える
降りてくる
ものばかりが煌めいているのではなく
土も
舗石も
微細に燦々と光っている
なんという美が
地を領している日か!
ひとり
証人となって
あいかわらず「無さ」そのものであることを
笛とし
若い蛇として
そこに絡まりつく
陽そのものの
まどろい
窓は
もうすべて払って
すなわち
壁も
すべて
消えていくに
まかせて
草たちも共生者となり
わが心は風
感情はそこ此処の
空気
なにかのなさが花
陽そのものの
まどろいにあわせて
空気も
風も
まどろむとき
目を覚ます
他に依らぬまどろいが
ある
花の論理に街も捧げて
ひんやりと
帰ってくる潤い
風も血流であったか
すべてを運ぶ
絶えざる究極の道であったか
と
気づいている今の
視野を
なおさら
花の論理に転写し
もう
見ない夢の
成分をひとつも無駄にせずに
醗酵過程にある
熱源の秘密のほとりを
抱きしめる
思い出の淡さ
夏への
すずしさの
ように