この地球のすばらしさ
いのちのすばらしさ
そして
宇宙のすばらしさ
など
など
など
を
感極まって
勢い込んで
語るひとびともいる
わたしも
そう思う
しかし
そういうひとびとと
わたしが違うのは
このすばらしい地球がなくなる時のすばらしさ
すばらしいいのちが消滅することのすばらしさ
そして
すばらしい宇宙がまったき無となった時のすばらしさ
をも
知っている
こと
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
この地球のすばらしさ
いのちのすばらしさ
そして
宇宙のすばらしさ
など
など
など
を
感極まって
勢い込んで
語るひとびともいる
わたしも
そう思う
しかし
そういうひとびとと
わたしが違うのは
このすばらしい地球がなくなる時のすばらしさ
すばらしいいのちが消滅することのすばらしさ
そして
すばらしい宇宙がまったき無となった時のすばらしさ
をも
知っている
こと
善い人であれ!
と
どこの文化でも勧められるし
善い人というのは
憎しみや嫌悪や恨みや執着を持たない人
というイメージを
どこの文化でも
たぶん
提示してくるだろう
しかし
この世で生きのびていくにあたっては
ひとつや
ふたつぐらいは
憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っておく
というのも
嗜みのひとつである
これこれを憎んでいる
嫌悪している
誰々を恨んでいる
何々に執着している
と
わざわざ
公言しておくのにも
香ばしい人間味がある
こうした公言をしておくことには
じつは大きな効用があって
とりたてて
たいした憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていなくても
まるで
それらを持っているかのように
カモフラージュすることができる
不思議なもので
憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っている
と大げさに公言し
演出し続けていると
内心では
憎しみや嫌悪や恨みや執着は
だんだんと
痩せ細っていく
ええと……
いったい
自分はなにに
憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていたのだったっけ?
と自問したりすることも
多くなってくる
憎しみや嫌悪や恨みや執着さえ
いつまでもべったり粘着していられないほど
心や意識や魂の表面の変貌ははやい
数十年もすれば
それらは骨董品となってしまう
あの頃は
あんな憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていたものだった!
と懐かしむのも
ちょっとは楽しいかもしれないが
もともと風の性質を持つ心や意識や魂が
いっそう強風になっていく際には
吹き飛ばされていくそれらを掴んでいられる腕や手さえ
いつのまにか
なくなっていることに気づくだろう
しばらく信号待ちしてから
歩き出した。
歩行者信号が
青
に変わったので。
ところが
歩行者信号の青
が
きょう
なんだか
異様に
うつくしいのだ。
見とれてしまった。
歩きながら
見とれる。
歩きながらだって
見とれる。
澄んだ
きれいな輝きで
うつくしい
なあ
きょうの青
は。
道をわたり終わった先の
べつの道の
鉄柵には
もう
ヒルガオがいくつも咲いていて
可憐に
うつくしかった。
ヤブガラシも
鉄柵に
どんどん繁って
蔓をのばしていっている。
若い葉が
やわらかそうで
なかなかうまそうに見えるが
ヤブガラシって
食べられるのだろうか?
スマホを出して
サッと調べてみたら
なんと!
若い蔓先や葉は
塩ゆでして
しっかりあく抜きすると
食べられるそうだ。
ワラビやモロヘイヤに近いぬめりと
ピリッとした辛さがあって
うまい
と書いてある。
おひたしも
天ぷらも
あえものも
炒め物も
いけるそうな。
ヤブガラシを出す
天ぷら屋なんてあったかな?
季節の味として
ヤブガラシを出す
日本料理は
あったかな?
夢だったのか……
夢だったことになるのか……
まるで
(ひとつの湯からさほど温度差のない別の湯に移るように)
現実と呼ぶべきなのであろうこちらの世界に戻ってきて
からだを動かし
布団から身を起こして
そうして
夢
とよぶべきなのであろうこれまで居た世界で聞いた
「息がつまるようだった……」
ということばを思い出していた
その世界でも
まずまずは
平穏に暮らしていた
いっしょに暮らしていたのは
フランス人女性だった
ように
思う
ときどき
彼女は
出張でいなくなるのだった
数日のこともあれば
1週間ほどになることもある
どこに行くのか
いちいち
わたしは聞かなかった
その世界で
わたしは
そういう人だった
ある時
いなくなる時の彼女が
じつは
かなりの危険地域や
普通はひとの行かない地域に
行っていることが
わかった
簡単に言えば
調査
なのだという
しかし
めんどうな計器などは
あまり持って行かないらしい
身ひとつでその場所に行き
しばらく
滞在する
滞在する
といっても
ただ
一個所に立ち尽くしている
だけ
だったり
するらしい
ついこの間は
極地の
まだ誰もひとが入ったことのない地域に
たったひとりで行った
という
「そこで
どうしているの?
立ち尽くしているの?
何日も?」
そう聞くと
うなずいて言った
「そう。
人間は誰もおらず
ほかの生物さえおらず
周囲を見渡しても
雪や氷の白さが広がっているだけで
なにも見えない。
なにも見えないというのは
もちろん
不正確。
だって
白さが無限にかなたまで広がっていて
沈まない太陽があって
太陽のひかりがあって
音のなさがあって……
この風景と環境だけがあること
この風景と環境しかないこと
で
今度ばかりは
息がつまるようだった……」
それでは
ほかの場所では
どうなの?
やっぱり
「息がつまるようだった……」
の?
そう聞いてもいいかな?
そう聞いたほうがいいのかな?
と思ったが
聞かなかった
そのうち
聞いてみるかもしれない
聞いてみないかもしれない
わたしは
そういう人だった
けっこうな報酬をもらっているのだろう
とは想像した
でも
めんどうな計器も持たずに
めったに人が行かないような
危険地帯と呼べるようなところへ
けっこう易々と行って
数日
ずっと立ち尽くしている
という彼女が
家にいる時には
なんということもないように
陽光であかるくなっている畳の上のローテーブルで
緑茶を淹れたりしているのが
なんだか
すごい
と思った
だから
といって
どう
すべきか
態度を変えたり
なにか
もっと特別感を感じて生きるように
すべきなのか
わからない
めったに人が行かないような
危険地帯と呼べるようなところへ
あちこち
行っている彼女でさえ
「息がつまるようだった……」
という
極地の風景を
ちょっと想像してみた
そんな風景のなかで
数日
ただ立ち尽くしてきた彼女と
畳の上にいる
のは
ちょっとすごい
が
わたしとしては
そんな風景とはかかわりなしに
彼女の意識の皮膜一枚で
遮られ続けて
このままで居ればいいのかな?
と
思った
わたしは
そういう人だった
いまの
このわたしが
ではない
まるで
(ひとつの湯からさほど温度差のない別の湯に移るように)
現実と呼ぶべきなのであろうこちらの世界に戻ってきて
からだを動かし
布団から身を起こして
あちらの世界を
ちょっと思い出し直している
このわたしが
ではない
物質や
物質が生み出す諸条件や
富や
生存への不安や
新しいもの好き(=ひとつの物への凝視力の欠如)から発生してくる
心身の欲望や
それらに不必要なまでに機械的に支配され切った
一部の人間たちが(病人とみなしてよい)
巻き起こし続ける渦
人界は
これらから出来ている
これらから出来ているだけで
不用の過度の動きが
人界では
つねに大波となって荒れまくっている
物質や
物質が生み出す諸条件に馴染み
それらを適切に使いこなしさえすれば
地球上では
はるかに穏やかに
静かに
落ち着いた意識で
乗り物である肉体を数十年維持できると
賢い者たちは
生得的に知っているが
心身の欲望に支配され切った病人たちが
本来穏やかで整ったものであり得る人界の秩序ばかりか
地球の物質的環境自体をも
撹乱し続けてしまう
そうして
人界の病人たちがたえず作り出し続ける嵐で
もう
何千年も
何万年も
地球は
静まる暇もない
こういう場所を
訪れてみようと思ってしまった責任は
訪問者にある
とはいえ
ひとたび訪れてしまって
肉体が機能停止するまでは
この環境を離れられないゲームの規則を
受け入れても来た以上は
人界の病人たちによって無限に作り出される嵐の中でも
いくつかの価値觀を守りながら
生きのびるほかない
守るべき価値観とはなにか?
肉体の機能が良好に動く期間を少しでものばし
人界と関わりなしに機能し続けている地球環境の特性に触れ続け
観察し
研究し
味わい続けるのを最上とすること
しかない
肉体や
肉体と密着した心や意識や精神も
訪問者が創り上げたものでない以上は「自然」であるから
それらを密に観察し続けるのも
地球環境の研究の一部となる
この点では
肉体の機能不全や故障さえも
「自然」研究の重要な対象となり
わざわざ地球を訪問してきたからこその
希有な経験となる
これら
地球環境と地球生物としての心身環境の研究に役立つならば
人界の同じ関心を持つ人々の考察や研究や記録も
大きな価値を持ってくる
重要なのは
生存不安や集中凝視力欠如から来る病に
ゾンビのように過度に支配された病人たちの作り出す
地球環境にふさわしくない過った価値観に
感染しないことである
そうした過った価値観は
しばしば
文化と自称したり
芸術やアートと自称したり
つねに
「新しい時代の」
「先端的な」
「未来の」
などの形容を伴わされて
人間たちの注意力と時間と労力と富を
大がかりに奪っていく
ある動きや現象が
なにを集めていくか
なにを奪っていくか
収奪の裏にどのようなシステムがあらかじめ作られ
準備されて
吸い上げはどこへなされていくか
それを冷静に見れば
病人たちの価値観という
太古から続いてきている軍団の動きが
見抜けるだろう
神でもなく
宗教家でもなく
地球環境への訪問者のうちのただ優れた研究者であり
他の訪問者たちの導き手だったイエス・キリストが
人に取り憑いた悪霊に
「お前たちは何と言う名だ?」
と問うた時
「我が名はレギオン(軍団)。我ら数多きがゆえに」
と悪霊たちは答えたものだった
数の多いものは
なんであれ
「レギオン」の支配下に入る
これは
イエス・キリストも
ブッダも教えなかった
地上の公理だが
彼らがこのことを教えなかったのは
すでに「レギオン」から出て
それと距離を取って集まって弟子たちにだけ
教え語ったためである
近代の政治は
多数決制というかたちで
「レギオン」を政治制度に引き込み
社会や国家の中核に据えた
「レギオン」が中核に居座った大集団のせめぎ合う世界に
なにが起こるか
それは
見ての通り
と
いえよう
「レギオン」を引き込まない
ごく限られた人数の集団だけで
地球環境の基本法則に則った生存をしようとする他には
地球上で幸福に生きていく方法は
まったく存在しない
地球環境を主とし
それにのみ従う極小集団であっても
ある一定数以上のメンバーを抱えるようになった瞬間から
「レギオン」の支配下に下る
そのようになった集団は
メンバーである人間を豚とするか
そこから追い出されれば
多数の豚に取り憑き
やがて
暴走して
断崖から海に落ち
溺死を遂げることになる
2026年のいま
まわりに
豚である人間たちはいるか?
人体を持ってはいるが
豚そのもの
と見るべき者たちはいるか?
豚たちは
暴走を始めているか?
落ちていくべき断崖は
すでに
見えているか?
LINEで繋がっているピアニストに
YouTubeの
濱田あやの『ゴールドベルク変奏曲』演奏を送り
https://www.youtube.com/watch?v=xIc33Ulexao&t=559s
ジャン・ロンドーJean Rondeauの演奏も送り
https://www.youtube.com/watch?v=1AtOPiG5jyk
https://www.youtube.com/watch?v=OVdtmPoXX3c&t=325s
ついでに
ティボー・ガルシアThibaut
Garciaと
アントワーヌ・モリニエールAntoine Morinièreの
ギターによる演奏も送ってみたら
https://www.youtube.com/watch?v=mxqNzYPBn6s&t=1161s
おかえしに
ベアトリーチェ・ラナBeatrice Ranaの
『ゴールドベルク変奏曲』演奏を
送ってきてくれた
https://www.youtube.com/watch?v=taXra5Qrg4E
https://www.youtube.com/watch?v=2H6BwVpvNFw
ちょっと
驚きだった
ベアトリーチェ・ラナは
昨今
ぼくも注目しているピアニストだったから
バッハのチェンバロ協奏曲が大好きで
1990年代に熱中して以来
さまざまな演奏を集めてきていて
今でも新しい演奏を探して聴き続けているが
そんななかで
ベアトリーチェ・ラナの演奏は
バッハのチェンバロ協奏曲好きにとって
勘どころを心得た演奏をしていて
おやおやおや!
これはちょっと他のピアニストとは違うぞ
と気づいていたから
https://www.youtube.com/watch?v=dOsMjIOSqH4
好きな演奏家を
こうして
音楽のわかる誰かと共有できるのは
うれしい
しかも
このLINE繋がりのピアニストは
若い時にメシアンMessiaenに呼ばれて
パリのコンセルヴァトワールに留学した人なので
玄人中の玄人なのだ
この頃気に入ってる
アレクサンダー・マロフェーエフAlexander Malofeevや
https://www.youtube.com/watch?v=uc3AkWPDGpg
ポリーナ・オセティンスカヤPolina Osetinskayaの演奏も
https://www.youtube.com/watch?v=KiUy5WBHRK4
https://www.youtube.com/watch?v=IwsTSkGHdoI&t=17s
さらに
おかえしに
もうひとつ
ヴァディム・コロデンコVadym kholodenkoの
粒立ったパーセルのGround in c minorも
送っておいた
https://www.youtube.com/watch?v=2IP8Nvi_p8c
パーセルは大好きだが
36歳で病死した
バロック期のこの大作曲家の曲を聴いていると
彼の早すぎる死のことがちらついて
不必要なまでに
悲愴さを曲の背後に聴き取ってしまおうとしがちになるし
深いところで
どこか
意識が乱されるような感じがしてしまう
そんな
悲愴さと乱れを保ちつつ
Ground in c minorを聴く時には
ヴァディム・コロデンコの美しい名人芸よりも
アレクサンダー・マロフェーエフの
まだ若いというのに
衰亡と枯淡を指先から香らせはじめている演奏や
https://www.youtube.com/watch?v=uc3AkWPDGpg
ポリーナ・オセティンスカヤの
どこか朴訥な
即物的な点描的演奏のほうが
ふさわしいような気になる
https://www.youtube.com/watch?v=KiUy5WBHRK4
死
死
死
ということとパーセルを結びつけて
思ってしまいがちになるのは
彼が若くして逝ってしまったからだけではなく
キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』で使われた
『メアリー女王のための葬送曲』
(Funeral Sentences for the Death of Queen
Mary)
の印象の強さもある
https://www.youtube.com/watch?v=AVVpIoeBAO4
https://www.youtube.com/watch?v=87w599dyp3g
https://www.youtube.com/watch?v=xWRcx9LHBJU
https://www.youtube.com/watch?v=5e3izA4EsJk
もっとも
パーセルの死については
真偽不確かな
というより
まず外れているであろう伝説として
こんな話もある
大変な酒好きだったパーセルが
外で酒を飲んでばかりいて
なかなか家に帰ってこないので
妻が怒って
寒いある夜に
家に入れないようにしてしまった
しかたなく外で夜を明かしたパーセルは
風邪をこじらせて死んでしまった
というものだ
この話が
まず
違っているだろうと思われる理由としては
パーセルが閉め出されたらしい日は
ロンドンの天気はよかったという記録があることもあるし
死の数ヶ月前から病気だったということもわかっており
さらには
死の直前に走り書きした遺書には
全財産を愛する妻に捧げる
と書かれてもいる
ということも
ある
死んだのは
1695年11月21日で
埋葬は26日だった
葬儀はウェストミンスター寺院で行われ
パーセルが教会音楽をたくさん作っておいたおかげで
彼自身の音楽で包まれたという
費用はウェストミンスター寺院が出してくれたというのだから
お得だったというか
役得だったというべきか
ところで
1900年代になると
パーセルは
急に
日本に親しい存在になってくる
パーセルの作品を多く含む楽譜の写本が
1917年(大正6年)に
徳川侯爵に売却され
侯爵家の文庫に
収められたのだった
この文庫とは
1901年に当主だった徳川頼倫(よりみち)が
麻布飯倉の自邸敷地内に開設した私設図書館「南葵文庫」で
ここには
代々伝えられてきた古文書・典籍類が収められた
「南葵」は
紀州徳川家のことを意味する
日本のものが収められたはずの「南葵文庫」に
ヨーロッパの楽譜が収められることになったのは
長男の徳川頼貞がケンブリッジ大学に留学し
音楽学を修めたことによる
頼貞はロンドンで
1917年
合唱指揮者・音楽史家のウィリアム・ヘイマン・カミングズの
旧蔵楽譜・古書籍類がオークションに出たのを幸い
巨費を投じて購入した
この中に
ヘンリー・パーセルの歌劇『ダイドーとイニーアス(ディドとアエネアス)』の
現存するものとしてはおそらく最古の筆写譜を含む
17~19世紀イギリス音楽の
貴重なマニュスクリプトが数多く含まれていた
帰国すると頼貞は
洋風の本格的な音楽ホールを建てて
地下に音楽図書館を併設する壮大な夢を持った
そうして実際に
1918年
日本初の洋楽専用の音楽堂と音楽図書館を設立した
当時の日本では
演奏会を催せる場所としては
上野の東京音楽学校の奏楽堂があるばかりであり
さらには帝国劇場が
多目的ホールとしてリサイタルに使われるぐらいで
音楽専用のホールはなかった
という
頼貞は
手書き楽譜を含む膨大な
かつ貴重な
音楽資料をひろく一般に向けて公開した
父の徳川頼倫侯爵から
「徳川たる者
人様から金銭を貰ってはならぬ」
と固く教えられていたので
閲覧料は一切取らなかった
音楽堂で催されるコンサートもすべて無料で
日本近代の音楽文化を進めるのに
多大の寄与をしたことになる
もっとも
世間からは
「湯水の如く散財する道楽好きの殿様」
と馬鹿にされていたらしい
希有の貴重な存在であり
試みだった
この南葵音楽堂と音楽図書館は
しかしながら
世界大恐慌による経済危機のなか
徳川侯爵家の衰亡によって
1931年
閉館となった
その後
父の徳川頼倫侯爵の建てた「南葵文庫」のほうは
熱海の伊豆山に移築され
「ヴィラ・デル・ソル」という名の洋館ホテルとして営業されている
という
作曲家ベンジャミン・ブリテンは
1956年に来日し
パーセルの『ダイドー』の古譜面を求めて奔走した
という
ブリテンの要請で
1958年から59年にロンドンで催された「パーセル三百年祭」の際
『ダイドー』の古譜面は里帰りを果たした*
*徳川頼倫と徳川頼貞、「南葵文庫」と南葵音楽堂と音楽図書館については、沼辺信一氏のブログ「私たちは20世紀に生まれた」から、面白く貴重な文章の内容を全面的に使用させていただいた。
https://numabe.exblog.jp/7886455/