愛
理由もなく
好きになること
なぜだか
わけも
ぜんぜん
わからないのに
とても
好きになっていること
どうしてか
まったく
説明もできないのに
扉を開き切り
受け入れるすべてを
かるく
さわやかな
ひかりと感じること
はじめて空を見あげた
乳児の顔のように
微笑んでしまうこと
はじめて木々の葉を見た
子どもの目のように
じぶんもみどりに
なり切ってしまうこと
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
愛
理由もなく
好きになること
なぜだか
わけも
ぜんぜん
わからないのに
とても
好きになっていること
どうしてか
まったく
説明もできないのに
扉を開き切り
受け入れるすべてを
かるく
さわやかな
ひかりと感じること
はじめて空を見あげた
乳児の顔のように
微笑んでしまうこと
はじめて木々の葉を見た
子どもの目のように
じぶんもみどりに
なり切ってしまうこと
色とかたちを見る
色はどこにでもあり
かたちもどこにでもあるが
身のまわりに
見たい色やかたちが
じゅうぶんに
与えられていない時もある
そんな時に
写真を見たり
美術作品や
工芸作品を見て
補填する
映画のさまざまなシーンにも
ちょっと見つめていたい
いい色やかたちが見つかることもある
そんな時はうれしい
映画がおしつけてくる
ストーリーや
登場人物のキャラクターなどは
どうでもよい
むしろ
無いほうがいいが
色やかたちをすなどるための
因果や因縁の網の目が
ストーリーやキャラクター設定だと見なして
ちょっと我慢する
派手な色ばかりや
奇矯なかたちばかりを
求めているわけではない
白からグレー
さらに黒へと進むあたりの
地味な色も楽しい
かたちにしても
直線と
あまりに典型的な曲線ばかりを
見たがっているわけではない
言葉で言いあらわし難い
微妙な曲がりぐあいや
ちょっといびつな直線なども
ちゃんと見ると楽しい
非人間的だといわれる
超現代的なビルのあちこちも
見ていて飽きないし
大災害や爆撃後の瓦礫のありさまも
なかなか出会えないかたちや色に
溢れている
本当に見飽きない
それらの写真や動画に遭遇すると
見続けたまま
うっかり数時間経ってしまう
*
色とかたちを見る
思想なんかいらない
感情も賞讃もいらない
意味も解釈もいらない
夢も希望もいらない
人間味もいらない
非人間味もいらない
人間の超克もいらない
回帰もいらない
「~であり続ける」もいらない
*
色とかたちを見る
「ただ~」もいらない
「いつまでも~」もいらない
「今だけ~」もいらない
永遠称揚もいらない
刹那称揚もいらない
どの瞬間も
どの場所も
わたしの舞台なのではなく
観客にすぎない
わたし
わたし以外の者たちによって
設定された劇を
舞台を
わたしは見る
聞く
触れる
鑑賞し続ける
観察する
じぶんに「人生」があると信じ込み
その「人生」の主役であると
信じ込むひとが多い
じぶんに与えられた
運命を
生死の個別条件を
モノとの関わり方を
人間関係を
特定の場所や文化への
縛り付けられ方を
すべて
じぶんが詳細に設定した
と認識できるなら
あなたはあなたの「人生」の主役
と思い込んでもいい
もしそうでないならば
あなたはただのお客さん
一定時間ひとつの座席に座らされて
因縁や縁起でつかのま集められた
いろいろな要素の乱舞を
見させられていく
DNAの踊りや
カルマの叙事詩に至るまで
あなたが統御できず
演出できない
微に入り細を穿つフィクション劇の
無限の上演に
いつまでもいつまでも
本当のじぶんに戻らずに
ただの観客としてのみ
つきあい続けていく上客の
あなた
ゆたかに
ふんだんに
いかにも華やかに
対立の世界や
矛盾の世界や
闘争の世界が
地上には
展開されている
荘子ならば
こうした世界を観照し
諦観することで
「無為に任放し、塁外に逍遙する」だろう
そうして
絶対的一の世界に
入ろうとする
しかし
曇遷(542-607、東魏・興和四年―隋・大業三年)の
『亡是非論』には
こうある
「若し『是非』の対立の立場をあやまりであるとし、
それをこえた『無是非』の世界が正しいものであるとするならば、
それはほんとうのものではない。
『是非』対立の立場を悪んだり、拒否することは、
すなわち『是非』のとりことなっているのだ」*
「絶対」が「相対」に対立する時
それは
「相対」に対立しているかぎりにおいて
みずから「相対」となっている
真の「絶対」は
「相対」をそのまま自らとして
「相対」即「絶対」でなければならないだろう
是非対立の世界を離れて
別の世界を求めるのは
曇遷のように考える仏教者の道ではない
彼はむしろ
現実の対立と闘争の世界がそのまま仏の命である
と考える
対立と闘争の世界に
「無心」に住するべきだと
彼は考える
この時代の仏教者のいう「無心」は
「無執着」
ということであっただろう
曇遷のこうした論を見ると
この頃の中国仏教は
荘子を超えたのではないかと思われてくる
きわめて実践的な
サバイバル思考に突き抜けた感がある
曇遷は饒陽(河北省)の人で
曇静の下で出家し
『勝鬘経』を学んで具足戒を受けた
鄴都では曇遵に学んだ
林慮山に隠棲して
『華厳経』『維摩経』『楞伽経』『地持経』『起信論』を研究し
道場寺では唯識を研鑽した
彭城の慕聖寺、建康の開善寺で『摂大乗論』を開講し
長安に移ってからは大興善寺で『摂大乗論』の普及に努めた
この努力により
北地の唯識研究は
『十地経論』から『摂大乗論』へ移った
といわれる
*『仏教の思想6 無限の世界観〈華厳〉』(鎌田茂雄・上山春平、角川ソフィア文庫)p.109.
―2026.6.24の啓示
力の完全な切り替えへ
五感で捉えられる要素は
みな
汚れたもの
偽の力である
見えるもの
聞こえるもの
嗅げるもの
触れられるもの
味わえるもの
すべて
汚れており
真の力ではない
また
それらを表象要素として
発生し
維持される
意識・思念・言語の界も
すべて
汚れており
真なるものとの道を
妨げる
肉体と
それに密着した意識体は
肉体と意識体のシステムを
物質界と意識界と思念界の中に保つために
これら偽力を受けざるを得ず
用いざるを得ないが
この偽力からではない真力は
肉体も意識体も稼働させることができる
偽力から真力への切り替えを
そろそろ
試みよ
そして
五感で捉えられる要素
見えるもの
聞こえるもの
嗅げるもの
触れられるもの
味わえるもの
すべてを
見つつ
聞きつつ
嗅ぎつつ
触れつつ
味わいつつ
完全に否定せよ
それらに
力や富を戻さず
燃料や
栄養を還流させず
衰亡させよ
意識も
思念も
言語も
あらゆる表象も
すべて
意識は意識のままとして
思念は思念のままとして
言語は言語のままとして
あらゆる表象はあらゆる表象のままとして
完全に否定せよ
それらに
力や富を戻さず
燃料や
栄養を還流させず
衰亡させよ
日本では
6月21日は
夏至
夏の中心
夏のど真ん中
夏の真っ盛り
もっとも昼が長く
もっとも夜が短い日
明日から
夏は
はやくも衰退に向かうのだ
明日から
1年は
はやくも死へと傾斜していくのだ
子どもの頃
夏は
8月が最盛期だと
思っていた
旧暦の知識を
なおざりにさせられ
失ってしまった世代に
属していたから
成長するにしたがって
しかし
夏は7月いっぱいまでの
ずいぶん短い
華やぎの祭りと知った
今年の立秋は
8月7日なので
夏はせいぜい
8月6日までなのだ
夏といえば
海に泳ぎに行っていた少年の頃
8月のはじめには
もう
クラゲが多くなってきて
海岸も
海上も
なんだかさびしくなってくるのが
感じられて
ちょっと不思議だった
旧暦では
もう
秋なのだから
海岸も
海上も
そりゃあ
さびしくなってくるさ
と教えてくれる
大人が
周囲にはいなかった
新暦一辺倒の
ニッポンの
わびしさ
愚かさ、過ち、罪、吝嗇が
ぼくらの精神を占領し、ぼくらのからだを働かすものだから
愛すべき悔いをぼくらは養っているわけだ。
乞食どもがノミやシラミを養っているみたいに。
シャルル・ボードレール 『読者へ』
La sottise, l'erreur, le
péché, la lésine,
Occupent nos esprits et travaillent nos corps,
Et nous alimentons nos aimables remords,
Comme les mendiants nourrissent leur vermine.
Charles Baudelaire «Au Lecteur»
また
いい雨が降っている
なかなか
大きな爆発が
ちょっと遠いところでは
あった
ようだし
蚊のかわりに
ドローンが飛んでくる戦場や街も
ある
ようだし
テレビで
(まったくサッカーに
興味もないのに)
FIFAなんかを見ながら
手元では
YouTubeで
ウクライナのドローンに殺される
戦場のロシア兵たちを見て
コーヒーを
飲んでいるうちに
甘い物が食べたくなって
スペインのORANGECHOCを
ひとつ
食べてみたり
https://www.youtube.com/watch?v=ZE431fGW5Sw
https://www.youtube.com/watch?v=q0s024xGNTQ
https://www.youtube.com/watch?v=4nZ60BYtLk8
https://www.youtube.com/watch?v=6EBL53CpC4s
https://www.youtube.com/watch?v=u9zjlrzBjr4
https://www.youtube.com/watch?v=ij7vECSQcvQ
これが
ごたいそうな添加物混入菓子で
グリセリンやソルビトールや
膨張剤や乳化剤やクエン酸やキサンタンガムなど
ごっそり入っていて
ふだんの健康志向も一発で
吹っ飛ぶね
コーヒーにも
添加物菓子の甘味にも
飽きてきて
ジンの水割りの飲み残しを
ちょっと口に含むと
苦みがちょうどよくて
夏にはいいもんだね
こういうのも
ちびちび
飲みながら
ドローンに攻撃されて
燃え上がるモスクワの石油施設の映像の
もっと過激なのを
探したりして
国際野次馬連盟会員としては
それなりに
ま
頑張っているのさ
https://www.youtube.com/watch?v=y2emMAPUmQM
https://www.youtube.com/watch?v=pLe40hxVqWs
イスラエルがレバノン攻撃を止めないから
イランがまた怒ったぞ
ほうら、ホルムズ海峡再封鎖だ!
ほうら、またまたガキの意地の張り合いがぶりっ返しだ!
っていうか
こんなことを何度もくり返して
儲けてる連中がわんさといるもんだから
そりゃあ停戦も終戦も
来ないわなア
いつまでも
いつまでも
わたくしは悪魔なので楽しく拝見させていただいております
わたくしたちが
企んで
仕掛けたんじゃありませんのよ
あんたら
人間どもの本性じゃないのさ!
儲け、騙し、表面上の親睦、裏切り、殺し、報復、さらなる儲け狙い……
セルジオ・レオーネ(Sergio Leone)がむかし
映画の題名として
うまく名付けたように
ひと握りのドルのために
Per un pugno di dollari / A Fistful of Dollars (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=bznM9VD1biM
とか
もうすこしのドルのために
Per qualche dollaro in piu / For Few Dollars More (1965)
https://www.youtube.com/watch?v=0JPnR7C8mZQ
とか
そんなケチな論理だけで
まわっている
おお、地球よ!
It’s still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die
と
As Time Goes By
の歌詞を思い出しもするが
これほど
ロマンチックな世界では
もう
ないし
また
いい雨が降っている
予言
しておこうか
激しい雨のように
各地に
世界中で増産される爆撃ドローンが
これから
降り注ぐことだろう
無人の
カミカゼとなって