2026年4月24日金曜日

第三者視点

 

 

映画を見る

 

デレク・ジャーマンの『ブルー』(1993)などと違って

ふつうの

ストーリー仕込みの映画を見る

いうことは

https://www.youtube.com/watch?v=Tc7jvNuKYHM

 

第三者視点だけを持つ

ことであり

第三者視点となることだけを押しつけられる

ことである

 

(いや、他のことも

いくらでも

言える

言える

とは思うが

ここに思念や思考の困難さがある

「他のこと」を

できるだけ多く

思考のラインの中に受けとめようとすると

思考のラインは崩壊する

崩壊してよいのだし

崩壊を呼び込むことこそが誠実なのだが

この狭量な世界では

単純明快な思考の川の維持が

求められ続ける)

 

第三者視点というのは

あるひとつの光景に対しては

ほとんど神の視点

と言えるかもしれない


事態のさなかにある当事者たちが

絶対に獲得できない

自分自身のその時の外貌に対する視点


当事者たちは

自分のその時の姿を

外から見ることは絶対にできないから


そんな視点を

つかのまでも持てる

(「持てる」もひとつの幻想だとしても)

だけでも

映画には独特の価値がある

 

思えば

美術、芸術、アートなるものの数々は

どれも

第三者視点の発生装置であり

この一点においてどれもが共通項を持つ


作品に対する際

鑑賞者はみな

第三者視点を強制される


作者でさえ

制作後の作品に対しては

第三者視点を以て対するしかない


作品はつねに

みずからが作品となった後の

作者の介入権を

峻拒するから


パゾリーニの『奇跡の丘』(1964)

思い出される

https://www.youtube.com/watch?v=U63s0kZ1nVc

 

イエスが逮捕された時

ペテロはイエスを否認する

人々から

「お前はあの男の弟子だっただろう?」

と詰問され

ペテロは否認する


パゾリーニのカメラは

逃げていくペテロを追い

誰もいない細道にまで逃げのびて

涙を流しはじめ

壁に凭れかかって

悔恨から崩れ落ちるペテロを撮り

そこから

徐々にカメラを引き

距離を取って

ただ壁の下に崩れ落ち

ただ泣いている男として

ペテロを撮り続ける

 

第三者視点は

いわば愛そのものだ

 

助けもしない

助言もしない

 

しかし

誰であってもいいような姿で

誰かがなんらかの姿をとっているのを

見続ける

 

場合によっては

名への配慮もいらない

立場への認識もいらない

過去も経緯もいらない

 

ある人体が

ある姿で

ある場所に

その時

いる

 

第三者視点は

すべてを

平等に

そのように見る

 

そのようにだけ

見る

 

その瞬間の姿への

ありようへの

愛だ

 

 

 

それでも雨はよろこび


 

 

ぼくは、ぼくに似た魂を求めていたが、見つけられずにいた。

  ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』、第2

 

Je cherchais une âme qui me ressemblât,

et je ne pouvais pas la trouver.

 Comte de Lautréamont

 Les Chants de Maldoror, Chant deuxième.

 

 

 

 

雨がつよくなっていた。

夜も遅くなり、22時を過ぎていた。

(「夜も更けて」と彼は書きたくなったが、

「更け」た夜とは何時頃のことだろう?

22時は「夜更け」だろうか?)

 

出て行くのは躊躇われたが、少し買っておきたいものがあった。

日課のようにしている4ℓの浄水汲みもしたかった。

 

外に出て、歩き出し、傘にしとどに降り来る雨を受けてみると、

強い雨の中に出て、よかった、と思った。

その気持ちを表わすために、

「出てきてよかった」

「やはり雨はいいものだ」

「夜の闇の中に降り来る雨はさらによい」

などと意識の中で作文してみたが、

これらの日本語作文は、

雨のよろこびを表わすにはもちろん陳腐過ぎ、

ちょっと愚かな感じの行為だ、

と彼は思った。

 

何年も前からよく思うように、

雨は「自分」というものと「自分でないもの」の壁を除き、

世界のうちの「自分でないもの」と一体に成った

かのように彼に強く感じさせる。

その感覚を彼は愛した。

 

7分ほどでスーパーマーケットに着き、

水汲みやわずかの買い物をすませて、

また雨の中を戻っていく。

 

ビニール傘は大きめのものを開いているが、

それでも足元から腿あたりまで雨で濡れ、

背中に背負っているリュックサックの上部も濡れていた。

それでも雨はよろこびだ

と彼は

作文まではせずとも思いを軽く軽く固めた。

単語を主語と助詞と形容動詞の順にしっかりと繋ぎ止めはせず、

それでも雨はよろこびだ

というのにほぼ近い意味の

まだまだぼんやりした塊のままにして

意識の中での軽い概念の浮遊を快く思った

 

数日前よりも気温が少し落ち

厚手のジャケットを着ていても暑く感じない

春の夜22時半になろうとする頃の

強い本降りの雨の中

暗闇の中を歩いて行く

なんという

よろこび

 

(「暗闇」といっても、都会に住んでいるので、

ほうぼうに街頭があり、

自動販売機のあかりもいくつもあれば、

都会の常夜灯でありオアシスであるコンビニのあかりも

一区画ごとにあるので、

「暗闇」が居座るはずの場所は

さまざまなヴァリエーションの濃淡の「薄闇」でしか

ないのだが……

と彼はいつも言い添えておきたく思うし、

注釈しておきたくも思うが、

そんな余言を加えたとしても、

いったい誰に向けられるべきだろうか、

誰が受けとめてくれるだろうか、

『ナジャ』を書いた頃のアンドレ・ブルトンでもなければ

あるいは『マルドロールの歌』のロートレアモンでもなければ

パリについての散文詩を書いたジャック・レダでもなければ

『パリの田舎者』を書いたルイ・アラゴンでもなければ

あるいはあるいは

日本でならば

『日和下駄』や『墨東奇譚』の永井荷風でないならば

などと

彼の意識の中で

強い塊にまではならないものの

無限に観念の玉が出来続けていく)

 

 

 

 

 

2026年4月23日木曜日

日の命名


 

付き添って

わたしの住まいからはずいぶん離れたところにある

病院へ行った

 

付き添うべき相手の住まいまで

まずJRで

1時間以上かけて行く

 

そこから

30分ほどタクシーに乗って

電車もメトロも行かない

バスもまばらな

不便な場所にある病院へ行く

 

大きな病院である

 

傷を縫った後の抜糸を行うだけで

たいしたことではないが

予約した時間を1時間半過ぎても順番が来ず

待たされる

待たされる

 

ぜんぶで2000ページ以上ある

Max Galloの『ナポレオン』を持って行ったので

イエナの戦いのあたりを

ずっと読んでいたが

病院の待合室は気の散るところで

なかなか集中できず

ぐんぐんとは読み進められない

 

予約時間よりも

1時間ほどはやく着いたので

あわせて2時間半ほどは

大きな病院で待たされ続けた

 

本というものが

わたしにはあってよかった!

人生では

何度思ったかしれない

 

付き添った相手は

診察の前にちょっと食べたい

と求めたので

9階にある食堂に行ってみたが

店開きまで30分ほど必要で

まだ開いていなかった

 

しかたないので

1階の簡易カフェで

レンジでチンするのであろうナポリタンでも食べたら?

と勧め

あああああああああああああ

また1階に戻るのか

なかなか9階までは来ないエレベーターを

待って

と思わされた

 

しかし

閉まっている食堂のむこうには

屋上が見えて

ドアが開いていた

 

ドアからむこうに見える

屋上の一部の光景が

なんと

唖然とするほど夢のように美しく

しばらく見とれてしまった

 

エレベーターを待っているので

屋上に出てみる時間はない

すこし離れて

エレベーターを待ちながら

ドアのむこうに見える

意想外の光景に

しばらく

陶然とし続けた

 

住まいから遠くにある

ある大きな病院の屋上の光景を

開いたドアから

しばらく見つめることのできた素晴らしい一日!

 

わたしは

この日を命名し

予期もしなかった光景との出会いを

偶然に対し

あるいは

必然に対し

感謝した

 



済んでいってしまう



 

むかしから

ニュースの情報は飛び交い続け

ひとは驚いたり

そんなものさと知ったかぶりをしたり

訳知り顔に解説したり

そうして

根底からこっぴどく騙されたり

し続けてきた

 

現代では情報の量は海水の塩分のよう

ちょっとした事件についても

無限に出てくる記事や

いい加減な解釈やコメントや

感情的な反応や

 

よほど決心して

鼓膜や網膜に

ニュース情報が当たってくるのを邪魔しないと

ものの数分で

意識も頭も洪水状態に

なってしまう

 

そんな中でも

季節がいよいよ夏に近づいていくのは

わたしには喜び

 

夏の暑さが好きで

まわりの人が悲鳴を上げているのを

見たり聞いたりするのが好きで

40度を超えるのではないか?

などと聞くと

うれしくて

たまらなくなってしまう

 

このところ

何年もエアコンは付けたことがない

窓を開けて

玄関のドアに隙間を作って

この数年の暑さは

ぜんぶ

乗り切ってきてしまった

 

付けようと思えば

エアコンは準備しているが

付けるほどではないな

付けると体調がちょっと崩れるしな

などと思っているうちに

夏の暑さのやつ

へこたれていってしまう

 

もちろん

暑いには暑いから

出続ける汗に

シャツが濡れて

団扇で喉元を扇ぎたくはなる

 

けれども

それで

結局は済んでしまう

 

夏だから暑いさ

済んでしまう

 

夏の暑さは

やっぱり

楽しいものさ

済んでいってしまう

 

 

 

池の上の平良さん

 

 

小津安二郎の『東京物語』を見はじめて

「家中の家具の情報量の多さが気になった」

と言った若者がいた

 

「家具の情報量」

というのは現代らしい面白い言い方だが

こういう言葉でサッと表現されてみると

なかなかうまく言っている

と思わされる

 

たしかに

昭和50年代や60年代の日本の家には

けっこう

家具がいっぱい置かれていた

 

今の家は

壁面収納だの

階段下収納だの

家の中をさっぱりと見せるための

いろいろな収納が作られていて

ひとつの部屋に

家具をふたつもみっつも置くような風景は

少なくなった

 

むかし

井の頭線の池の上が最寄り駅の

世田谷区北沢1-12-4の二階に住んだ時

階下には平良さんという沖縄出身の初老の女性がいて

老いたお母さんと暮らしていた

平良さんがアメリカに暮らす親戚に会うために

アメリカに旅立った時

住まいの管理と庭の水やりを頼まれた

広くないが池もある緑濃い庭に

週に何度か水を撒き

株券がいっぱい仕舞われているという部屋の中を

異常がないかチェックする程度のことで

たいした作業でもないが

夏場だったので庭には蚊がけっこういて

蚊に刺されないように水を撒くのは

なかなか難儀だった

ともあれ

株券がいっぱいある引出しなどを見せられた上で

管理を頼まれたのだから

ずいぶんと厚く信頼されたといえる

 

平良さんの家の中は

それこそ「家具の情報量」が濃密で

居間には箪笥が四つほど置かれ

わずかな中央の空間には小さなローテーブルが置かれ

西の壁際には老母のベッドが置かれていて

それらの間をすり抜けてそろそろと歩かないと

部屋の中の移動は困難なほどだった

もっと広い家から越してきたので

それまで使ってきた家具類を

なんとか詰め込んだ暮らし方だった

 

北側のトイレに繋がる短い廊下には

カラーボックス程度の大きさの書架と

低い丸椅子が置かれていて

書架には本が詰まっており

丸椅子にも本がすこし積まれていた

そのあたりに近づくと

なぜか総毛立った

夏場で暑いというのに

そのあたりはなぜか寒い感じがする

北側なので

同じ家の中でも温度差があるのだろうか

と思った

 

ひと月ほどして

平良さんも老母も帰国し

特に問題もなかった管理中のことをちょっと話し

そういえばーーー

と北側の廊下の寒気のことを言うと

平良さんは

「ああ、あれ……」

と受けてから

こう言った

 

「あそこには

親しかった作家の本や

戴いた手紙や

いろいろな小さなものなどを仕舞ってあるんです。

昔は有名な人でしたが

ご存じかどうか……」

 

名を聞くと

火野葦平だった

 

平良さんは

かつて新宿で沖縄料理屋を経営し

そこでは

文人がずいぶん常連となり

中でも火野葦平とは

かなり懇意の仲になったようだった

 

火野葦平は

福岡県若松市の自宅の書斎「河伯洞」で

1960年1月24日に

53歳で睡眠薬自殺をした

「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、

或る漠然とした不安のために。

すみません。

おゆるしください、さようなら」

という言葉が

書き残されていた

 

平良さんの家の北側の廊下で

わたしが感じた寒気は

著書や手紙や

彼が平良さんに送った物品などに

まだこびり付いている火野葦平の遺恨だったかも

しれない

 

平良さんが営んでいた沖縄料理の名は

聞いたはずだが

もう忘れてしまった

わたしが早稲田大学の大学院に通っていたので

「早稲田の先生がたにも

ずいぶんご贔屓にしていただいて…」

と平良さんは言っていた

仏文学者の新庄嘉章などはよく食べに来たというから

いっしょに平良さんの店を訪ねた人たちも

わたしの先生たちの中にはいたはずだろう

 

新庄嘉章といっても

文芸好きの人たちの間でも

もう誰の口にも上らない

特にアンドレ・ジッドの翻訳で有名だったが

なにかといえば『狭き門』の名を聞かされた時代と違い

いまではジッドももう流行らないし

新庄嘉章の翻訳も

そろそろ古く感じられるようになってきた

かもしれない

ラクロの『危険な関係』などは

新庄嘉章と窪田般彌の共訳でわたしは読んだが

今あの訳を読み直してみたら

どう感じるだろう?

 

早稲田の仏文では比較的派手な装いをしていた

小林茂教授が

新庄嘉章全訳の『ジッドの日記』が1999年に全訳出版された際に

いろいろと話してきかせてくれたが

つねに

あれもこれもと淀みなくしゃべり続ける人なので

どんな話だったか

もう忘れてしまった

 

厖大といっていい量の

フランス文学を生涯にわたって訳し続けた新庄嘉章だったが

流行の推移や

世間の文学青年の好みの推移のせいで

新庄嘉章の訳文がどんな味わいだったか

世の中は

もう忘れてしまった





2026年4月16日木曜日

雨でした わたし

 

 

きのう

415

東京は夜から雨だった

 

むかし

『ローマで夜だった』

というロッセリーニの映画があって

内容はもう忘れてしまったが

題名だけは

どこか拍子抜けさせられるところがあって

ときどき思い出す

 

ローマで夜だった…

東京で夜だった…

東京で雨だった…

などと

意味もなく言いかえて

ひとり遊びが

あたまで

まわり続けたりする

 

夜から雨になったのは

よかった

 

出かけた時

ちょうど降り出してきて

だんだん強くなってくるのを

傘の下で楽しんだ

 

歳を重ねるにつれ

雨が好きになっていくのは

どうしてだろう?

 

雨が外界とじぶんとの境を

いつのまにか

なくしてしまう感じがするからだろうか?

 

それとも

じぶんがじつは

雨だったのを

思い出すからだろうか?

 

雨でした

わたし

ほんとうは

 

ひとり遊びが

また

まわりはじめる

 

ひとり遊びを

雨は

いつも

開始させてくれる