2026年2月20日金曜日

洗礼者ヨハネの狭量さに注目すると


 

 

 

 

洗礼者ヨハネを殺させたヘロデ王は

近現代小説のキャラクターにふさわしいような

矛盾を抱えていた

 

ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、

彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、

なお喜んで耳を傾けていた

『マルコによる福音書』620

 

このように認識し

態度を示していたにもかかわらず

ヘロデ王は

ヨハネに批難されていた

 

ヘロデ王は

自分の兄弟であるフィリポの妻の

ヘロディアと結婚していたが

このことについて

「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」

とヨハネから批難されていたのである

 

自分たちの結婚について難じられたことで

妻のヘロディアはヨハネを恨み

殺そうと思っていた

 

ヘロデ王の誕生日祝いの宴会で

ヘロディアの娘であるサロメが見事な踊りを披露し

「欲しいものがあれば何でも言いなさい」

「この国の半分でもやろう」

とヘロデ王に言われると

人口に膾炙した有名なシーンとなる

 

なにをもらったらいいかと

サロメは

母ヘロディアにたずねるのだが

ヘロディアはここで

「洗礼者ヨハネの首を」

と娘に言う

サロメはヘロデ王に

「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」

と要求することになる

 

この個所を読むと

宴での気まぐれな発言を

ヘロデ王が取り消せなくなったのを利用して

娘にうまくヘロディアが入れ知恵し

「正しい聖なる人」であるヨハネが斬首されてしまう

という不条理で残虐なシーンと

もちろん見える

 

しかし

見方を変えると

すべては洗礼者ヨハネの狭量から来ている

とも言える

 

「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」

というふうに

ヨハネは律法にこだわっている

彼の「正しい聖なる人」ぶりは

ユダヤ人が作り

守るように伝えられてきている律法を守るところにあり

いくら

「主の道を整え、

その道筋をまっすぐにせよ」

と教えつつ

悔い改めの洗礼を宣べ伝えていたとしても

あくまで

これまでのやり方の枠内での改革を主張していたに過ぎない

 

ところが

洗礼者ヨハネのこうした考え方は

なによりもイエスが鋭く批判する態度そのものである

『マルコによる福音書』の7章にはこうある

 

イエスは言われた。

「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを

見事に預言したものだ。

彼はこう書いている。

『この民は口先ではわたしを敬うが、

その心はわたしから遠く離れている。

人間の戒めを教えとしておしえ、

むなしくわたしをあがめている。』

あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。 

 

イエスが伴っていた集団には

おそらくは

ベンガルの女性聖者のアーナンダマイー・マーAnandamayi Ma

https://en.wikipedia.org/wiki/Anandamayi_Ma

に匹敵する

高度な悟りに達したマグダラのマリアも居り

このマリアはイエスの伴侶だったとも伝えられ

彼女による福音書も伝えられているのだから

「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」

といった考えをイエスが持つはずはなかっただろう

 

霊的な真実のありかたへと脱皮し切れない洗礼者ヨハネの

こうした狭量さに注目すると

『マルコによる福音書』や『マタイによる福音書』における

洗礼者ヨハネのエピソードは

歴史的な出来事の一端を描いた物語として読まれるよりも

霊的進化の寓話として読まれるべきだとわかってくる

 

「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」

などということにこだわり

「人間の戒めを教えとしておしえ」

「人間の言い伝えを固く守っている」ヨハネ段階から

「斬首」を経験して

イエス段階へと進んで行く過程を

洗礼者ヨハネの処刑エピソードは示しており

新約聖書のその他の全編も

霊的進化の過程を

イエスのイメージを使った喩えで伝えようとしているものと読むべきだと

読みにおける態度変更が示唆されているのだ

 

「斬首」され

切り落とされるのは

「律法で許されていない」などとこだわり続ける

精神の旧体制の世俗的知であり

この契機となったのは

「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」

と言われても

「何を願いましょうか」

と母親にたずねるほかないような

無欲な「少女」

インドのクリシュナ神が

毒蛇を征服したあとでカーリヤの頭の上でするように

踊る属性しか帯びていない

新訳聖書の中では

彼女はただ「少女」と呼ばれ

せいぜい「ヘロディアの娘」と呼ばれるだけで

サロメなどとはひと言も呼ばれていない

彼女には現世的な人格が与えられていないのだ

 

内的矛盾を抱え込んだ苦悩の人

ヘロデ王の設定も

寓話によって霊的進化を教えるテキストである福音書においては

偶然ではありえない

悔い改めの洗礼を宣べ伝えつつも律法遵守に固まっているヨハネを

こういうヘロデ王にぶつけ

人格のない軽やかな踊り手である「少女」

古い思考や習俗を切り落とす契機として闖入させるところに

霊的修行に努めたイエスの集団の秘法がある

 

 

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、

「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。

そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、

彼らの中に立たせて、言われた。

「はっきり言っておく。

心を入れ替えて子供のようにならなければ、

決して天の国に入ることはできない。

自分を低くして、この子供のようになる人が、

天の国でいちばん偉いのだ。

わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、

わたしを受け入れるのである。」

『マタイによる福音書』 181-5

 






2026年2月19日木曜日

優先順位

 

  

 

YouTubeでも

どこのSNSでも

インターネット上では

霊能者や予言者の豊作が続いている

どこの国でも

どこの言語圏でもかわらない

 

彼らは「わかる」のだという

「見える」のだという

「聞こえる」のだという

「感じる」のだという

 

なにが「わかる」のかというと

大事なことが「わかる」のだという

あれこれたくさんの動画を見てみると

人に憑いている守護霊や指導霊がどんな人かわかったり

どんな邪霊が取り憑いて悪さをしているかわかったり

過去のどんなことが霊的トラウマになっているかわかったり

未来でどんなことが起こりそうかわかったりする

それらのことが大事なことなのだという

 

大事かどうかは考え方や見方次第だから

それらを大事なことだと思う人がいてもおかしくはないが

数十年ものあいだたくさんの未成年が性的蹂躙され

奴隷化されたり殺されたり人間牧場まで作られていた

エプスタイン事件をあらかじめわかっていた霊能者や預言者は

針小棒大にいろいろなネタを弄くるインターネット界でも

例外なしにたったのひとりもいなかったし

世界経済や日本経済が正確にどう動いていくか

背後にはどのような勢力どうしの争いやもつれがあるのか

これらが「わかる」霊能者も預言者もひとりもいない

ガザ虐殺が続いていた理由を「わかる」という者もいないし

ベネズエラ攻撃を預言していた者もいないし

重大なクーデター未遂が中国であったという国際政治通が多いのに

なんでも「わかる」はずの霊能者や預言者からは

そんな情報を肯定する話も否定する話も聞こえてこない

 

なにを大事とみなすかは人それぞれだとは思うものの

そこらの個々の人にどんな霊が憑いているかとか

守護霊や指導霊がどんな人かなどということよりも

人類史上の一大暗黒事件の露呈といえるエプスタイン事件のほうが

どう考えても重大で世界中の人間たちの精神や魂に

とほうもない影響を与えるはずの事件なのだが

そうしたことについては一切触れることなしに

地方の悪霊が棲み着いた部屋まで出張してお祓いをしたりしている

心霊スポットのトンネルへ出かけていって

カメラをまわしながら懐中電灯を付けて暗いトンネル探訪をしている

 

インターネット型霊能者や預言者には優先順位という考え方がないらしい

どこかの心霊スポットのトンネルに夜に出かけていくよりも

ガザ虐殺の現場の数万人にのぼる死霊たちの現状を霊視したり

エプスタインたちに強姦され殺された少女たちの霊視をしたり

ウクライナ戦争を動かし続けるEUの背後霊を霊視したり

不正選挙の噂の大きいチームみらいの真相を霊視したりするのこそ

優先的に霊力を振り向ける対象だと思われるのだが

彼らの霊力の使い方はどうしたものかひたすら地味にローカルに

私小説的にお新香クサく小中学生のコックリさん的狭さに

なぜだか終始していく傾向がある

 

優先順位

あるいはトリアージュ

取捨選択

トレードオフ

 

なんと言ってもいいが

これらこそ

霊能者や預言者には必要である

 

というのも

生の内実は時間とエネルギーそのものであり

これらは

時空に結びつけられている以上

どうしても有限だからだ

 

どうでもいい小さな除霊や浄霊にばかり

かかずらわっているのは

霊能者や預言者にとって致命的である

 

「わかる」のだといい

「見える」のだといい

「聞こえる」のだといい

「感じる」のだという霊能者や預言者に接して

はたして

数十冊の読書や勉強や

音楽や美術や映画の鑑賞や

街や森や川や山林の散策などで得られる以上のなにかが

「わかる」のか?

「見える」のか?

「聞こえる」のか?

「感じる」のか?

そう問い直しておいたほうがいい

 

心霊系やスピリチュアル系のものを判定する時には

こんな

真の経験的実利面を見ることこそ

効果がある

 

 

 



2026年2月17日火曜日

すぐにサタンが来て御言葉を奪い去る

 

 

 

 

イエスが喩えを用いて話す理由

とされるものが

次のように

『マルコによる福音書』に書かれている


 

イエスがひとりになられたとき、

十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとが

たとえについて尋ねた。

そこで、イエスは言われた。

「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、

外の人々には、すべてがたとえで示される。

それは、

『彼らが見るには見るが、認めず、

聞くには聞くが、理解できず、

こうして、立ち帰って赦されることがない』

ようになるためである。

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見逃しがちになるが

イエスの行動において

じつは

もっとも根源的な矛盾に満ちた

奇妙な行動を

伝えている個所である

 

民衆をして

見ても認められないようにし

聞いても理解できないようにさせ

赦されることがないようにと

イエスは

最初から企んでいる

 

それなのに

どうして

民衆に語るのか?

 

最初から

語らなくてもいいではないか?

 

弟子たちでさえも

もし喩えでのみイエスから語られていたら

理解できなかっただろう

イエスは

弟子たちだけは特別扱いしている


 

イエスは、人々の聞く力に応じて、

このように多くのたとえで御言葉を語られた。

たとえを用いずに語ることはなかったが、

御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

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ひょっとしたら

サタンに餌を与えるためか?

また、ごくわずかの「御言葉を聞いて受け入れる人たち」にも

「三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実」を

約束するためか?


 

種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
道端のものとは、こういう人たちである。

そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、

すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。

御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、

自分には根がないので、しばらくは続いても、

後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。

この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、

その他いろいろな欲望が心に入り込み、

御言葉を覆いふさいで実らない。

良い土地に蒔かれたものとは、

御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、

ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。

                                                                                          41420

 


イエスの語る喩えは

サタンに届き

石だらけのところにいる者たちに届き

根のない者たちに届き

茨の中にいる者たちに届くが

よい土地にいる者たちにも届く

ごくわずかながら

イエスははじめから

「よい土地」そのものである者たちしか

喩えの届き先として

相手にはしていない

 

この差別づけは

遠く

パウロの述懐に繋がっていく


 

この民のところへ行って言え。

あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、

見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、

耳は遠くなり、

目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、

耳で聞くことなく、

心で理解せず、立ち帰らない。

わたしは彼らをいやさない。

『使徒言行録』282627


 

『マルコによる福音書』そのものの記述の

再録といっていいのが

よくわかる個所だ

 

パウロは

イエスが求めたのと同じ姿勢を

民に求めている


 

何を聞いているかに注意しなさい。

あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。
持っている人は更に与えられ、

持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

  42425

 


イエスのこの助言が

素直に伝わっていく相手は

幸せなるかな!

なるのだろう

キリスト教信仰世界に

おいては

 

しかし

「よい土地」そのものである者たちは

それでいいとしても

それでは

喩えについて説明を受ける弟子たちとは

なにか?

彼らはあきらかに

「よい土地」そのものである者たちに

劣っているではないか?

 

ここに

霊的なイエスの策略と

遊戯と

冷酷さが

じつは

ある

 

天使ばかりか

つねにサタンとともにあり

あらゆる悪霊たちに知られているイエスが

人間の条件と

存在の条件に亀裂を入れる危険な遊びをもたらすために

ある意味

非常な悪意を抱いて

人界に出現したと見たほうがいい


 

イエスは四十日間そこ(荒れ野)にとどまり、

サタンから誘惑を受けられた。

その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

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悪霊はイエスを知っていたからである。

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生鮮“食材”

 

 

 

もちろん

エプスタイン問題の情報には

網羅的に触れている

もう20年以上も前から

すべてが

ただの趣味の悪い作り話だと

陰謀論だと

言われていた頃から

 

小さな話だが

いちばんリアルで面白かったのは

女の子たちはエビみたいだと

エプスタインが言っていたこと

頭をむしり取ると

ツルッとした

ただの裸の食材になってしまう

そこがエビみたいだ

と言っていたが

さんざん“食材”を扱ってきたからこその

なんともリアルな言い方

 

ほとんどすべての人の

メンタル崩壊が起こるような

もっと大変な話も

教えてやろうと思えばできるが

やらないでおくよ

 

あなたという意識が

なんの継続性も持っておらず

あなたが思い込んでいるような価値も

そこにはまったくなく

コンビニで吊されて並んでいる安価な商品のように

時間と存在という大食漢に供されるためだけの

“食材”でしかないと

はやいうちからわかってしまうのも

“食材”としての鮮度が

損われてしまいかねないから

 

生鮮“食材”は

生け簀の魚介類や

羽も毟られていない家禽類のように

食べられる瞬間まで生かしておくのが

いちばんいい扱い方だから