2026年7月22日水曜日

風を鳴らすからだろうか?


 

 

夏の暑さのなかで聞くべきものといえば

なんといってもバグパイプ

 

Amazing Grace Bagpipes - The Snake Charmer ft. Barcelona Pipe Band

https://www.youtube.com/watch?v=OJi-uKOlLV4

 

Massed Pipes & Drums parade through Deeside town to start the Ballater Highland Games 2018

https://www.youtube.com/watch?v=rpBw0oCO4C8&t=167s

 

 

暑さが吹っ飛ぶ

というより

暑さや寒さとはべつの次元に

意識が行ってしまう

といったら

いいか

 

笙や篳篥や笛

高麗笛などを合わせる

日本の雅楽にも

バグパイプの音響的世界創造のようなところが

ある

 

Gagaku: Wind Instruments

https://www.youtube.com/watch?v=QRZ1eNlzhoA

 

雅楽 【越天楽】

https://www.youtube.com/watch?v=lS3EuUP7Slc

 

E-Ten-Raku

https://www.youtube.com/watch?v=wq5Bo_BmoPU

 

 

みな

風を鳴らす

から

だろうか?

 

 

雅楽まで来ると

高畑勲の『かぐや姫の物語』の

かぐや姫が月へ帰っていく時の天上の音楽も

近いところにある

 

日本お得意の感傷に浸りそうな場面で

悲哀も

喜びも置き捨てられ

音の粒子の踊りだけが

途切れることなく

延々と続いていく

奇跡的な音楽である

 

Princess Kaguya Ending Scene // Tale of princess kaguya...

https://www.youtube.com/watch?v=OFHIZJpT-ew

 

かぐや姫の物語 天人の音楽2018 ver.

https://www.youtube.com/watch?v=IWmX20i6pBc

 

 


生き生きと生きていられる時だけの特権


 

 

夏の気温が上がり

上がり

さらに上がっていくと

それだけで

特別なお祭りの真っ最中

のように感じ

うきうきしてしまう

 

出続ける汗は

たしかに面倒ではあるが

日に何度もTシャツを着替えて

ふんだんに汗を吸わせよう

と決めれば

なんこともない

 

ワイシャツを着て

外出している時には

着替えようもないので

それはそれ

あきらめるしかない

と思えば

これはこれで

なんのこともない

 

一日のうちでも

気温自体がけっこう上下するし

どこからか

ふいにいい風が

吹き込んできたりもして

暑いからこそ

敏感になる感性もある

 

暑さに参っている人を見るのは

けっこう楽しいものだ

36度や37度の暑さを

汗はかきつつも

平気で受けとめていられる体力には

その人のそれまでの心がけが

しっかりと織り込まれている

 

なにかというと

日陰で休憩だとか

冷たい飲み物や氷だとか

不活発にクーラーの効いた部屋で

うつらうつら休んだりとか

そんな生き方の果てには

ひたすら衰弱していく老いしか来ない

 

そんな人たちにつき合うのはやめて

ちょっとでも太陽にあたり

乾いたアスファルトの上で靴裏を焼きながら

ひとりで夏草のわきを歩いて行こう

水だけはいっぱい手に提げて

汗を拭くタオルもふたつは用意して

生き生きと生きていられる時だけの特権の

夏の陽光の下のそぞろ歩きを

ぞんぶんに楽しむことにしよう

 

 

 


2026年7月21日火曜日

ラクリモーサ(Lacrimosa)


 

 

のその
かれるべき罪ある人間

灰の中からよみがえる日


その時には憐れんでください、
しみイエスよ
らに安息えてくださいアーメン

 

 

Lacrimosa dies illa,

qua resurget ex favilla

judicandus homo reus

 

Huic ergo parce Deus

pie Jesu Domine

Dona eis requiem. Amen

 

 

「ラクリモーサ(Lacrimosa)」では

このように歌われるが

はたして

「裁かれるべき罪ある人間

灰の中からよみがえる日」が来るのだろうか


そんな日は来ずに

「涙の日」だけが

最後のひとりまで人類が消滅し切る

まで

続くだけなのではないか?

 

むしろ

よみがえりのなさ

こそが

真の救い

なのではないか?

 

あたかも

原子爆弾で焼かれ尽くして

肉体も精神も

おそらく霊も魂も

瞬時の完全消滅を遂げた

人びとこそが

人類史上の唯一の救われびとたちだった

ように

 

「ラクリモーサ(Lacrimosa)」は

グレゴリオ聖歌と異なる

中世に新たに作られたキリスト教聖歌の曲種のひとつ

「続唱」を意味する

セクエンツィア(Sequentia)の

18番目や19番目のスタンザだが

近代人の耳には

やはり

モーツアルトの『レクイエム』のそれが

いちばん親しい

 

演奏はもちろん

無数にあるが

雷鳴や雨音といっしょに録音された

Lacrimosa, but you're sitting in a castle alone by the fireplace while it's raining #asmr」は

非常に魅力的なものに聴こえる

https://www.youtube.com/watch?v=tTQrSwZ4S84

 

テルミンで演奏された

Mozart | Lacrimosa from Requiem in D minor | Theremin choir and piano

にも

意想外の魅力がある

https://www.youtube.com/watch?v=JxY_KfQfoog&list=RDJxY_KfQfoog&start_radio=1

 

Lacrimosa, but it's even more beautiful

なかなか好ましい音の配置を

している

https://www.youtube.com/watch?v=mt6m63ylw-g&list=RDmt6m63ylw-g&start_radio=1

 

しかし

オーソドックスな演奏形態のものの中では

これは

個人的な好みによる

ということにはなろうが

Gregory Carreño が指揮した

ヴェネズエラのシモン・ボリバル交響楽団

Orquesta Sinfónica Simón Bolívar de Venezuela

の演奏を

最上と思っている

https://www.youtube.com/watch?v=sWHKNNJQBDo&list=RDsWHKNNJQBDo&start_radio=1




架空の夏 架空の街


 

 

何度ぐらいまで

今日という夏の日の気温は

上がったのだろう?

 

帰宅した後で

スマホの天気アプリを開き

ふりかえってみると

36度に達した時間帯を

暑いというより

乾かされるという感じの陽光を受けながら

ゆるゆると歩いてきたようだ

 

昨日までと違って

あまり湿っていないので

36度ほどの中でも

肌の不快感はなかった

 

汗は出続けるが

腕もうなじも頬も

べたつく感じがないのは

気持ちがよかった

 

祝日であり

三連休だったので

歩いていく街のどの道も

ふつうのウイークディの時より

ひとの姿がまばらで

閑散としている

 

祝日に休めない仕事を

もう何十年も続けてきているが

たとえ自分だけ仕事で街に出ている際でも

世間の人びとの姿がまばらで

街中が閑散としているのは

じつは

気持ちがいい

 

仕事のためであれ

やっかいな用事のためであれ

人びとの群れていない

どこか抽象味も増した街を歩いて行くのは

この世の人生での

醍醐味のひとつだと思う

 

FIFAワールドカップの決勝戦のテレビ放映で

スペインが得点した瞬間を

朝食を取りながらたまたま見たけれども

あのスタジアムの満員ぶりには

お可哀想に!

と感じざるを得なかった

どこのどんな催しであれ

ひとが集まりすぎて

屠殺場へトラック輸送される豚たちの

押し合いへし合いのようになった光景を見ると

生のクオリティーが

ふたつも三つもレベルダウンしたように見え

お可哀想に!

と思ってしまう

自分がそこに居合わせたら

すこしでもはやく抜け出そうとするだろう

 

湿りすぎておらず

ひともひどく少ないおかげで

架空の夏のようになり

架空の街のようにもなった

わたしだけの夏の一日を

道端にヤブカラシのつやつやした茎が伸び

ヒルガオのピンク色がぽつぽつ咲き

カラスウリのレース様の花が

ヤブカラシの繁茂した葉の上に開いて

日本の夏のふつうさは

今年もつつがなく豊かだった

 

そうして

ふいに記憶のむこうから

よみがえる

小学生の頃の

テレビCMのちょっとおしゃれな歌*

 

マックスファクターの

夏のパンケーキのCMだったか

砂場を歩む女性が

靴に入った砂を落すために

なにかに寄りかかって

靴を脱いで持ち上げる光景が

しずかな

圧倒的な魅力を

1971年の夏休み直前の子どもに

及ぼしたものだった

 

そのCMの光景を思い出しながら

うんざりするような暑さの中

家までの

昼下がりの

誰も歩いていない長いアスファルトの道を

とぼとぼと

子どもは帰っていこうとしていた

 

  

 

*Summer CreationJoan Shepherd

https://www.youtube.com/watch?v=V1lNAr9B_U4&list=RDV1lNAr9B_U4&start_radio=1

 https://www.youtube.com/watch?v=fBNjH0mo9Uc&list=RDfBNjH0mo9Uc&start_radio=1

 


2026年7月19日日曜日

フーテンの寅んぷ


 

 

なにか

わざわざ言葉で記そう

とすると

今の世の中では

困ったこと

嫌なこと

煩わしいことばかり

つまりは

問題であることばかり

記そう

としがちだが

 

どうして

「蒸し暑かった!」

ざっとまとめて思い返して

終わろうとしてしまう

夏の一日に

たしかに息もつまるほど

蒸した時間もあれば

ふいに楽になって

涼しい風さえ

すこし吹いてきたような時間も

そういえばあった!

と思い出し直そうとしつつ

わずかながら

ぽつぽつ

簡便な言葉で

記したりしようと

しないのだろう?

 

エコロジー思想など

どこ吹く風とばかりに

日本の夏の店々は

冷房をがんがんにかけて

そればかりか

入り口も豪勢に大きく開け放って

舗道を行く人びとにも

冷気をたっぷり分けてくれていて

そんなクーラーや電力の無駄遣いを

ちょっと不愉快に

わたしなど感じてしまうのだが

それでも

それでも

気温が32度を超えて

雷をもたらす雨雲で

たっぷりと湿度が充填された空気の中

きれいきれいに見せた商店の並ぶところを歩いて

外にあふれ出している

別世界の冷気に包まれてみると

「ああ、これはこれで

ニッポンの夏の

今ふうの風物詩!」

魂を奪われてしまいかねない

始末

 

ま、ホルムズ海峡が

今以上に完全に使えなくなるまでは

 

フーテンの寅んぷが

がんばって

石油使用を人類に抑えさせようと

暴れまくっているから

世界のエコロジストたちは

大喜びの

2026年の夏でござ~い!

 

とはいうものの

 

奮闘努力の甲斐もなく

きょうも涙の

きょうも涙の陽が落ちる

陽が落ちる *

 

 

 

*映画『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(第19作)

https://www.youtube.com/watch?v=ddtj5bI22EQ

 

*男はつらいよ 主題歌 (歌詞付き)

https://www.youtube.com/watch?v=qjd-4rrX1K8

 


2026年7月18日土曜日

小説!


 

 

むかし

小説を書く

ということしか望んでいなかった

 

いまもそうだが

 

とはいえ

 

文学

といえば

小説

しか視野に入ってこない人々の繁茂する

視界狭窄の時代に

文学

の側に根を下ろした者は

むしろ

小説

だけは避けたい

思うものだろう

 

消費財として文庫の書棚に

多量に並ぶ

小説

の一冊に時間を溶かすよりも

ロートレアモンにつきあい続けるほうが

どう見たって

文学

であろうし

藤原定家に没頭し続けるほうが

稀少な言語表現の

無限の探訪者

らしい

 

セルバンテスや

ドストエフスキーや

マルケスや

ヘンリー・ジェイムズや

コンラッドや

プルーストに

ならないのならば

なれないのならば

 

女優にもなれざりしかば冬沼にかもめ撃たるる音聴きており

(寺山修司)

 

いまや

大量生産財であり

消費財である

小説

にこだわるのは

ただの

時代錯誤か

情弱

というべきだろう

 

ロートレアモン研究からはじまった

ル・クレジオが

小説

と銘打ちながら

『逃亡の書』や『戦争』や『巨人たち』や『洪水』や

さらには『むこう側への旅』など

散文形式の詩小説の極北を書き上げたのも

むべなるかな

むべなるかな

である

 

晩年のロラン・バルトが

小説創作

へむかって

コレージュ・ド・フランスで

まったく小説的でない

あれやこれやの文学ネタ彷徨を行ったのも

それこそがむしろ

1980年までの沸騰した時代の

小説

だったように見え

むべなるかな

むべなるかな

である

 

ロラン・バルトよりも

クロード・シモンや

ロベール・パンジェや

ジャン・エシュノーズたちのほうが

小説

っぽく装う

のが

うまかったが

彼らの

小説

大量生産消費財としての

小説

を並べる棚

としての

ニッポンの文庫売り場の棚には

たぶん

未来永劫

ほとんど載せられることはなく

あくまで

海外文学

という

珍味の棚に

わずかに載せられるばかり

だろう

 

さて

ところで

 

小説

小説

小説

とばかり視界狭窄し続ける言語界だが

小説

には決定的な弱点がある

 

個別案件しか扱わないことだ

 

特定の名を付けられた

特定の人物たちが設定され

キャラクター付けされ

生活状況が設定され

夢も希望も身体的特徴も人間関係も設定されて

まあ

作者さんたちにおかれましては

ご苦労さま

ことではある

 

個別案件だけ

個別事象だけ

 

けっして普遍は主人公にならない

一般も

全体も

主人公にはならない

 

まあ

小説

であって

大説

じゃないのは

そういうことなのさ

坪内逍遙センセや二葉亭四迷センセなら

説き直してくれるかもしれぬ

北村透谷センセも

もうちょっと長生きしてたら

小説のこのあたりの超弱点について

ジュンジュンと語ってくれたかもしれない

 

それにしても

個別案件だけ

個別事象だけ

 

それって

かなりダメダメじゃない?

 

やっぱり

思う

 

どうしたって

人物再登場法を使って

バルザックみたいに「人間喜劇」体系をやりながら

補完したくなるだろうし

ゾラみたいに「ルーゴン・マッカール叢書」したくもなる

そうしないと

小説

に埋め込まれた

個別案件だけ

個別事象だけ

という弱点の乗り越えは

できない

 

とはいえ

もう

大量の小説群の山を盛りあげるのも

情報過多

モノ氾濫の現代では

流行らない

 

ファン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』みたいに

薄めに

もったいつけずに

風が運ぶお話のように

ペラッと語っちゃう

ような

のも

やっぱり

いいんじゃないかな

思える

 

薄さや

軽さが

なんたって

正義

なのだよ