2026年5月22日金曜日

貸したバッグが戻ってくる


 

 

数ヶ月前に死んだ人にも

いくつもバッグを貸していた

 

どれも

高価なバッグではないが

それでも

ひとつひとつ

一万円前後はしている

 

どれもまだ新しく

きれいだが

あまり使っていないものを貸したので

乱暴に使われてもかまわない

使いつぶしてもらってかまわない

そう思って貸している

 

相手が死んでしまったが

貸したバッグは

まだ使える状態で残されたし

いくつかは

ほとんど使っていない状態でもあったので

そのうち持ち帰ろうと思った

 

まだ持ち帰ってもいないのに

気持ちのなかでは

しばらく遠出していたバッグたちが

家に戻ってくるのを感じる

仕舞う場所はどこにしようか

その後もべつのバッグが増えたし

置き場所には困るかもしれない

などと考える

 

気持ちのなかでは

戻ってきたバッグたちのイメージからは

貸した先の人の雰囲気や

思い出などがすっかり消えてしまっていて

貸す前にわが家に置かれていた頃の

真新しい雰囲気や

買おうかどうしようかと店で迷って

買うことにした瞬間の

心のときめきめいたものだけが

戻ってきている

 

物のちからか?

 

じぶんで店をまわって探し出し

時間を多少はかけて

神経を費やして

手に入れた品物と

他ならぬじぶんだけの

かかわり方の

ちからか?

 

バッグを貸した相手は

すっかり

消えてしまっている

 

死んだ人がどう使ったか

とか

どう受けとめたか

などは

すっかり

消え失せて

わたしがわたしの決断で買ったバッグたちが

時間など

まったく経たなかったかのように

戻ってくる




2026年5月20日水曜日

わたしが違うのは

 

 

 

この地球のすばらしさ

いのちのすばらしさ

そして

宇宙のすばらしさ

 

など

など

など

感極まって

勢い込んで

語るひとびともいる

 

わたしも

そう思う

 

しかし

そういうひとびとと

わたしが違うのは

 

このすばらしい地球がなくなる時のすばらしさ

すばらしいいのちが消滅することのすばらしさ

そして

すばらしい宇宙がまったき無となった時のすばらしさ

をも

知っている

こと




憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っておく


  


善い人であれ!

どこの文化でも勧められるし

善い人というのは

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持たない人

というイメージを

どこの文化でも

たぶん

提示してくるだろう

 

しかし

この世で生きのびていくにあたっては

ひとつや

ふたつぐらいは

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っておく

というのも

嗜みのひとつである

 

これこれを憎んでいる

嫌悪している

誰々を恨んでいる

何々に執着している

わざわざ

公言しておくのにも

香ばしい人間味がある

 

こうした公言をしておくことには

じつは大きな効用があって

とりたてて

たいした憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていなくても

まるで

それらを持っているかのように

カモフラージュすることができる

 

不思議なもので

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っている

と大げさに公言し

演出し続けていると

内心では

憎しみや嫌悪や恨みや執着は

だんだんと

痩せ細っていく

ええと……

いったい

自分はなにに

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていたのだったっけ?

と自問したりすることも

多くなってくる

 

憎しみや嫌悪や恨みや執着さえ

いつまでもべったり粘着していられないほど

心や意識や魂の表面の変貌ははやい

数十年もすれば

それらは骨董品となってしまう

あの頃は

あんな憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていたものだった!

と懐かしむのも

ちょっとは楽しいかもしれないが

もともと風の性質を持つ心や意識や魂が

いっそう強風になっていく際には

吹き飛ばされていくそれらを掴んでいられる腕や手さえ

いつのまにか

なくなっていることに気づくだろう

 

 

 

2026年5月18日月曜日

歩行者信号の青がうつくしい日

 

 

 

しばらく信号待ちしてから

歩き出した。

 

歩行者信号が

 

   

 

に変わったので。

 


ところが

歩行者信号の

きょう

なんだか

異様に

うつくしいのだ。

 

見とれてしまった。

 

歩きながら

見とれる。

 

歩きながらだって

見とれる。

 

澄んだ

きれいな輝きで

うつくしい

なあ

きょうの

は。


 

道をわたり終わった先の

べつの道の

鉄柵には

もう

ヒルガオがいくつも咲いていて

可憐に

うつくしかった。

 


ヤブガラシ

鉄柵に

どんどん繁って

蔓をのばしていっている。

 

若い葉が

やわらかそうで

なかなかうまそうに見えるが

ヤブガラシって

食べられるのだろうか?

 

スマホを出して

サッと調べてみたら

なんと!

若い蔓先や葉は

塩ゆでして

しっかりあく抜きすると

食べられるそうだ。

ワラビやモロヘイヤに近いぬめりと

ピリッとした辛さがあって

うまい

と書いてある。

おひたしも

天ぷらも

あえものも

炒め物も

いけるそうな。

 

ヤブガラシを出す

天ぷら屋なんてあったかな?

季節の味として

ヤブガラシを出す

日本料理は

あったかな?

 

 

 


いまのこのわたしがではない


 

 

夢だったのか……

 

夢だったことになるのか……

 

まるで

(ひとつの湯からさほど温度差のない別の湯に移るように)

現実と呼ぶべきなのであろうこちらの世界に戻ってきて

からだを動かし

布団から身を起こして

 

そうして

とよぶべきなのであろうこれまで居た世界で聞いた

「息がつまるようだった……」

ということばを思い出していた

 

その世界でも

まずまずは

平穏に暮らしていた

 

いっしょに暮らしていたのは

フランス人女性だった

ように

思う

 

ときどき

彼女は

出張でいなくなるのだった

 

数日のこともあれば

1週間ほどになることもある

 

どこに行くのか

いちいち

わたしは聞かなかった

その世界で

わたしは

そういう人だった

 

ある時

いなくなる時の彼女が

じつは

かなりの危険地域や

普通はひとの行かない地域に

行っていることが

わかった

 

簡単に言えば

調査

なのだという

 

しかし

めんどうな計器などは

あまり持って行かないらしい

 

身ひとつでその場所に行き

しばらく

滞在する

 

滞在する

といっても

ただ

一個所に立ち尽くしている

だけ

だったり

するらしい

 

ついこの間は

極地の

まだ誰もひとが入ったことのない地域に

たったひとりで行った

という

 

「そこで

どうしているの?

立ち尽くしているの?

何日も?」

 

そう聞くと

うなずいて言った

 

「そう。

人間は誰もおらず

ほかの生物さえおらず

周囲を見渡しても

雪や氷の白さが広がっているだけで

なにも見えない。

なにも見えないというのは

もちろん

不正確。

だって

白さが無限にかなたまで広がっていて

沈まない太陽があって

太陽のひかりがあって

音のなさがあって……

この風景と環境だけがあること

この風景と環境しかないこと

今度ばかりは

息がつまるようだった……」

 

それでは

ほかの場所では

どうなの?

やっぱり

「息がつまるようだった……」

の?

 

そう聞いてもいいかな?

そう聞いたほうがいいのかな?

と思ったが

聞かなかった

 

そのうち

聞いてみるかもしれない

聞いてみないかもしれない

わたしは

そういう人だった

 

けっこうな報酬をもらっているのだろう

とは想像した

 

でも

めんどうな計器も持たずに

めったに人が行かないような

危険地帯と呼べるようなところへ

けっこう易々と行って

数日

ずっと立ち尽くしている

という彼女が

家にいる時には

なんということもないように

陽光であかるくなっている畳の上のローテーブルで

緑茶を淹れたりしているのが

なんだか

すごい

と思った

 

だから

といって

どう

すべきか

 

態度を変えたり

なにか

もっと特別感を感じて生きるように

すべきなのか

わからない

 

めったに人が行かないような

危険地帯と呼べるようなところへ

あちこち

行っている彼女でさえ

「息がつまるようだった……」

という

極地の風景を

ちょっと想像してみた

 

そんな風景のなかで

数日

ただ立ち尽くしてきた彼女と

畳の上にいる

のは

ちょっとすごい

わたしとしては

そんな風景とはかかわりなしに

彼女の意識の皮膜一枚で

遮られ続けて

このままで居ればいいのかな?

思った

 

わたしは

そういう人だった

 

いまの

このわたしが

ではない

 

まるで

(ひとつの湯からさほど温度差のない別の湯に移るように)

現実と呼ぶべきなのであろうこちらの世界に戻ってきて

からだを動かし

布団から身を起こして

あちらの世界を

ちょっと思い出し直している

このわたしが

ではない

 

 


2026年5月13日水曜日

レギオン

 


 

物質や

物質が生み出す諸条件や

富や

生存への不安や

新しいもの好き(=ひとつの物への凝視力の欠如)から発生してくる

心身の欲望や

それらに不必要なまでに機械的に支配され切った

一部の人間たちが(病人とみなしてよい)

巻き起こし続ける渦

 

人界は

これらから出来ている

 

これらから出来ているだけで

不用の過度の動きが

人界では

つねに大波となって荒れまくっている

 

物質や

物質が生み出す諸条件に馴染み

それらを適切に使いこなしさえすれば

地球上では

はるかに穏やかに

静かに

落ち着いた意識で

乗り物である肉体を数十年維持できると

賢い者たちは

生得的に知っているが

心身の欲望に支配され切った病人たちが

本来穏やかで整ったものであり得る人界の秩序ばかりか

地球の物質的環境自体をも

撹乱し続けてしまう

 

そうして

人界の病人たちがたえず作り出し続ける嵐で

もう

何千年も

何万年も

地球は

静まる暇もない

 

こういう場所を

訪れてみようと思ってしまった責任は

訪問者にある

 

とはいえ

ひとたび訪れてしまって

肉体が機能停止するまでは

この環境を離れられないゲームの規則を

受け入れても来た以上は

人界の病人たちによって無限に作り出される嵐の中でも

いくつかの価値觀を守りながら

生きのびるほかない

 

守るべき価値観とはなにか?

 

肉体の機能が良好に動く期間を少しでものばし

人界と関わりなしに機能し続けている地球環境の特性に触れ続け

観察し

研究し

味わい続けるのを最上とすること

しかない

 

肉体や

肉体と密着した心や意識や精神も

訪問者が創り上げたものでない以上は「自然」であるから

それらを密に観察し続けるのも

地球環境の研究の一部となる

 

この点では

肉体の機能不全や故障さえも

「自然」研究の重要な対象となり

わざわざ地球を訪問してきたからこその

希有な経験となる

 

これら

地球環境と地球生物としての心身環境の研究に役立つならば

人界の同じ関心を持つ人々の考察や研究や記録も

大きな価値を持ってくる

 

重要なのは

生存不安や集中凝視力欠如から来る病に

ゾンビのように過度に支配された病人たちの作り出す

地球環境にふさわしくない過った価値観に

感染しないことである

 

そうした過った価値観は

しばしば

文化と自称したり

芸術やアートと自称したり

つねに

「新しい時代の」

「先端的な」

「未来の」

などの形容を伴わされて

人間たちの注意力と時間と労力と富を

大がかりに奪っていく

 

ある動きや現象が

なにを集めていくか

なにを奪っていくか

収奪の裏にどのようなシステムがあらかじめ作られ

準備されて

吸い上げはどこへなされていくか

それを冷静に見れば

病人たちの価値観という

太古から続いてきている軍団の動きが

見抜けるだろう

 

神でもなく

宗教家でもなく

地球環境への訪問者のうちのただ優れた研究者であり

他の訪問者たちの導き手だったイエス・キリストが

人に取り憑いた悪霊に

「お前たちは何と言う名だ?」

と問うた時

「我が名はレギオン(軍団)。我ら数多きがゆえに」

と悪霊たちは答えたものだった

 

数の多いものは

なんであれ

「レギオン」の支配下に入る

 

これは

イエス・キリストも

ブッダも教えなかった

地上の公理だが

彼らがこのことを教えなかったのは

すでに「レギオン」から出て

それと距離を取って集まって弟子たちにだけ

教え語ったためである

 

近代の政治は

多数決制というかたちで

「レギオン」を政治制度に引き込み

社会や国家の中核に据えた

 

「レギオン」が中核に居座った大集団のせめぎ合う世界に

なにが起こるか

それは

見ての通り

いえよう

 

「レギオン」を引き込まない

ごく限られた人数の集団だけで

地球環境の基本法則に則った生存をしようとする他には

地球上で幸福に生きていく方法は

まったく存在しない

 

地球環境を主とし

それにのみ従う極小集団であっても

ある一定数以上のメンバーを抱えるようになった瞬間から

「レギオン」の支配下に下る

 

そのようになった集団は

メンバーである人間を豚とするか

そこから追い出されれば

多数の豚に取り憑き

やがて

暴走して

断崖から海に落ち

溺死を遂げることになる

 

2026年のいま

まわりに

豚である人間たちはいるか?

 

人体を持ってはいるが

豚そのもの

と見るべき者たちはいるか?

 

豚たちは

暴走を始めているか?

 

落ちていくべき断崖は

すでに

見えているか?