ある大学生から
「軍艦マーチ」を聞いたことがない
と聞かされた
太平洋戦争の時に
軍人として
あるいは軍人を送り出す家族として
あの軽快な音楽を聞いた人は
生きていたとしても
もう90歳以上や100歳ぐらいなので
日本が威勢よく戦争をしていた頃のあの音楽を
身をもって記憶している人が
今の忙しい日本社会を歩きまわっているはずはないのだが
それにしても
たいていの人はどこかで
あの音楽を聞いたことがある
そう
わたしは思い込んできた
https://www.youtube.com/watch?v=A75AQgDBtJI
https://www.youtube.com/watch?v=BmcvsQ6KvKM
しかし
ついに
とうとう
あれを聞いたことがない
という世代が
本当に
現われていたのだった
アメリカによる日本占領期には
あのような軍国主義そのものの音楽は禁止されていたはずだが
占領期が終わると
また聞かれるようになったのだろう
そう推測するのだが
いくら日本人であっても
占領期間中の軍歌の禁止の程度を知っている人や
占領終了後の解禁のぐあいを
実体験として知っている人はもう少ないし
それをうまく語れる人はもっと少ない
歴史の細部のいちいちが
うまく伝承されていくかどうか
本当に
なかなか
簡単なことではないのだ
明治時代以来
ずっと軍国一辺倒で進んできた日本だが
太平洋戦争の前後をふり返ろうとしてみる時には
すぐに
戦争期と戦後とだけにきっぱりと分けて考えがちになるが
太平洋戦争後のありようを考える際には
戦争と戦後のあいだに
アメリカによる占領期をやはり入れて考えてみないといけない
軍国日本にとって
被占領期は相当に屈辱に満ちた時代だったはずだから
この時期の日本人の精神状態を考えないことには
日本人のその後の屈折の度合いも
ひねくれの度合いも
正しく見ていくことはできないはずであろう
戦争も終わり
被占領期も終わって
わたしが生まれた頃には
「軍艦マーチ」はあちこちで聞かれた
パチンコ屋でいつも流れていたし
飲み屋でも流れていた
小学校の運動会の音楽にも使われていて
その頃の日本人は
「軍艦マーチ」と戦争とを完全に切り離して受けとめていた
別の見方をすれば
「軍艦マーチ」さえも戦争と無関係に扱うほど
日本は完全に非戦争化されていた
とも
言えそうに思う
幼稚園の頃や
小学校低学年の頃のわたしは
子どもの入るべき場所ではないパチンコ屋に
ときどきヒョイと入っていって
あちこちに落ちているパチンコ玉を拾っては
小さな遊び道具にしていた
当時のパチンコ屋の入り口はいつも開いていて
子どもでもいつでも入ることができたのだ
パチンコ台が空いていると玉を入れて
大人のようにパチンコで遊んでみたりもした
ときどき大当たりになって
ジャラジャラと玉が出てくることがあり
そうすると
怒られるどころか
パチンコ屋のオヤジが「よくやったなあ」などと褒めてくれて
お菓子をくれたりした
そんなところは
せせこましくなくておおらかで
いい時代であった