夢が私を夢見ていた頃
玄武岩でできた小さな城(たしか名はンドル城)は
ムラサキツユクサによく似た(ムラサキツユクサと断言してしまってもよいのだが、わずかに惑いがあるので断言はしないでおく。忘都シセームズの住人ででもあれば必ずすぐに断言してしまうだろう)草の葉の先端部に数週間ほど居住するのを望んで、事実数日ほど住んでみたはずだが、どんな理由からか其処を離れ、宙をしばらく漂ったのちにベツレー湾から船で大海へ出て行った。
これも噂の連鎖の過程を耳にすることで私が聞き及んだに過ぎないことであり、今さら(いや、遠い過去の時点においてさえ)真偽を確認しようもない。
“美しくも崩壊的なルバ茶”を啜りながら私は今これを記しているのだが、この茶の顕著な効能は、頭に(ということはすなわち意識に)浮かぶ固有名詞を映像化や動画化どころか立体化するところにあり、さらには普通名詞や抽象概念をも実体化する力さえある。
もっとも普通名詞や抽象概念の実体化にあたっては、こちらの意識が持つ能力の度合いが大きく作用するらしく、少なくとも私の場合においては、私自身の意思や意向によってこうした実体化を行い得た記憶はない。ひょっとしたら、あれがそうだったか……という経験はあり、あるATMの小さな部屋に入った瞬間に、昔親しかった友人の大きな木造建築の居間に立っていたことがある。その居間は立派な木張りの壁や床や天井が素晴らしかったものの、なぜか天井の四隅には古い汲み取り式便器が逆さまに貼りついていて、便が落ちていくはずの穴が天井の奥へと闇を作っていた。その家の息子であるべき友人の姿はその居間には居らず、かわりにというのでもないが、ピンクのパステルカラーのミニスカートにグリーンとブルーとオレンジがマーブル状になったノースリーブのぴったり身体に貼りついているシャツ姿の若い女が六角形の銀色のお盆を持っていて、ティーカップを其処に載せていたが、それがなんと、やはり、“美しくも崩壊的なルバ茶”なのだった。
若い女は
「じつはベツレー湾からの船出の後が大変でした」
と小さな声で言ったので、
「そうでしょうね」
と私は受け、
「まずは、ちょっとお茶を戴こうかな」
と言うと
「はい。もちろんです」
とティーカップを私の手に渡してくれた。
「これ、略して“崩壊的ルバ茶”とも“崩壊ルバ茶”とも呼ぶそうですね」
と聞くと
「そうらしいですが、私は“美しくも崩壊的なルバ茶”と普段は呼んでおりますし、私のまわりでもそのように呼びなわしています」
「“美し崩壊ルバ茶”なんて呼ぶと、ぼく、好みなんだけどなあ」
そう言うと、
「ほほほ」
とだけ、軽い綿のような音で女は笑った。
(私は綿が床に落ちる時の音や、階段を転がり落ちる時の音を聞いたことがある。「ほほほ」に近い音をしっかり立てるのだが、この「ほほほ」音を聴き取れるようにするためには「ほほほ」耳が開いていなくてはならず、これは万人に等しく与えられている能力というわけではない)
ちなみに、私に“美しくも崩壊的なルバ茶”を持ってきてくれたこの若い女の髪は、ウイッグだったように思うが、ゴールドと紫と黒とビビッド・イエローかビビッド・レディッシュ・イエローが混ざった色だった。靴の色はホワイト。私は女性の靴の呼び方をよく知らないが、薄いかかとのもので、ミュールスリッパシューズとかサンダルパンプス靴とでも呼ぶべき形体のものと思う。
そして、彼女の顔は……
なかったのである。
あった、ともいえる。もし、どろどろと動き止まぬ大きな水の塊を顔と呼べるのならば。
透明な、人の顔ほどの大きさに丸まった水塊が身体の上に乗っていて、どろどろした水の絶えざる動きがもし表情と呼ばれうるというのならば、まことに表情豊かであった。
告白すれば、私は即座にこの顔に恋に落ちたのである。身近で、そして間近で、頻繁に目にしていたいような顔でこれ以上に心奪われる顔に、それまでの私は会ったことがなかったのだ。