ちょっと
へんな話をします
トイレに入ったとき
便座にすわるとき
ドアをぴっちり閉めてしまわずに
細く開いておくのが
好き
ただし
他人のいないときに
限る
そうすると
ときどき
人でないものが通っていくのが
見える
ときどき
のぞきに来る
顔がある
のぞきに来る
目がある
できれば
廊下は真っ暗にしておくのが
最良だが
あかりがついていても
かまわない
廊下があかるくても
人でないものは通っていく
のぞきに来る
顔はある
のぞきに来る
目はある
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
ちょっと
へんな話をします
トイレに入ったとき
便座にすわるとき
ドアをぴっちり閉めてしまわずに
細く開いておくのが
好き
ただし
他人のいないときに
限る
そうすると
ときどき
人でないものが通っていくのが
見える
ときどき
のぞきに来る
顔がある
のぞきに来る
目がある
できれば
廊下は真っ暗にしておくのが
最良だが
あかりがついていても
かまわない
廊下があかるくても
人でないものは通っていく
のぞきに来る
顔はある
のぞきに来る
目はある
気温が
もう
24度も25度もある
でも
空気はなぜか涼しく
気持ちよく
汗をかかないで
いられる
見上げれば青空
むこうには
まっしろく沸きたつ真夏の雲が
大きな入道のように
いくつも膨らんでいる
よく上る坂道の鉄柵には
はやくも
ずいぶんヒルガオが巻き付いていて
しかも
ピンクの花を
たくさん咲かせている
夏をこれから飾り
繁茂していくものたちが
どんどん背丈を伸し
張り出し
面積をひろげていこうとしていて
それでもまだ
湿り気が少なくて
さわやかさが肌にはあって
いい初夏だ
いい初夏だ
人生はマラソンだ
などと
陳腐な比喩を
たまには
言ってみたくもなる
ゴールは死
速く走っても
ずいぶん差をつけられて
遅れてしまっても
死
だれのゴールも
死
こんな
チープな比喩を弄びながら
人生は
徹底的に設計ミスをした
くだらないアトラクションであり
出来の悪いイベントだ
と知れ
と
だれかに言っても
みたくなる
ゴールは死
速く走って得たトロフィーも
遅れてゴールした結果の悔しさも
なにひとつ
ゴールのむこうへは
持って行けない
持って行かないで済む
車の往来の多い
すっかり夜になった表通りに沿って
舗道を歩いていく
道とは不思議なものだ
自分と同じ生存条件にある人間たちが
そこここを歩いており
同時刻
同じ場所を
行き交ってはいる
ところが
知っている人はふつう誰ひとりおらず
どこの誰よりも他人どうし
さらに言えば
他人という以上に
ただ「此処」の「今」をともにしているという他には
過去にも未来にも
仕事の上でも
どんな人間関係においても
人生的になんの接点も持たない
異界の者どうし
そんな存在たちが
右にも
左にも
前にも
後ろにも
蠢いていて
まっとうに「人間でござい!」
と見せている
少し時間が経ち
少し歩き続けて行ってしまえば
この地上で
金輪際見かけることもなく
顔をあわせることも
なくなってしまう
こちらも
むこうの存在たちも
同じ「人間」だと思い込んで見ているから
不安にもならず
慌てもしないのだが
ふと思い返して
考え直してみると
なんと異様この上ない事態だろう
なんと不思議な
抽象的な
非人間的な場を
当たり前の
ありきたりの
日常そのもの
だなどと
思い込んで
平気で行き来したりできている
ものだろう
道とはすでに異界である
5月5日が立夏だったので
いま
日本はもう夏
夏に入った
と
思うと
それだけで
うれしくなる
幼かったころ
すごく若かったころ
立夏
ということは
あまり
意識しなかったけれど
5月は楽しかった
季節がかってに楽しげに振舞いだし
3月末や4月のような
春先の不安定さがグッと減って
5月というだけで
楽しかった
楽しい
というのに
学校だの
社会のあれこれだのは
ずるずるとあり続けたので
いつもそこが
残念だった
せっかく
5月がうきうき招くのに
せっかく
夏が手まねきし続けるのに
人界はいつも
つまらない枠組みを
押しつけてくるばかり
夏まつりが
あるじゃないか!
って?
いろいろなイベントが
準備されるじゃないか!
って?
古びた他人の脳が
古びた規範から編み出した
所作としきたりで参加者を縛り上げる
ああいう罠のこと
ね
そんなものは
なんにもなくていい
ただ夏があり
青空を流れていく雲があり
どんどん繁茂していく雑草があり
虫がつぎつぎ出てきて
野良猫もどこかの犬も顔を出し
鳥たちはパン屑を狙って集まり
蛇もトカゲも
日当たりの中を滑っていき
小さな川も大きな川も
いつでも釣りに来いよと誘っている
そんな5月であるだけで
いい
そんな夏があるだけで
いい
正直なところ
楽しいことばかり
どうして
この世を厭うひとがいるのか
わからない
見えるもの
感じるもの
聞こえるもの
すべて
楽しいことばかり
なにひとつ
みずからを慰撫するため
じぶんで作り出したものなど
ない
のぼってくる時の陽も
沈んでいく太陽も
あがったり下がったりする気温も
吹いてくる風も
そう、ちょっと強すぎる感じで
吹き来る風さえも
とてもじぶんの細工ではできない
無償の賜りもの
睡眠が足りない時のボーッとする頭も
重いものを持って歩き過ぎた時の
背にすこし来る疲れも
おもしろい仕組みになっているなあと
楽しくてたまらない
そりゃあ人界を見れば
わがままに乱暴なことをやってやがる
という事例は
枚挙に暇もないが
人間というものの価値づけを
徹底して低くとっておけば
戸外に歩きに出た際に
昨日もきょうも切り裂きジャックされないで
済んでよかった
みんながみんな人殺しってわけでも
この世はないようだわい
などと思っておけば
それだけのこと
正直なところ
楽しいことばかり
爆撃したり
虐殺をしたりする連中は
いつ
二倍も三倍もの
とんでもない規模のお返しを受けて
ソドムになったり
ゴモラになったり
するだろう?
と想像たくましくして
ああ
楽しいことばかり
どうして
この世を厭うひとがいるのか
わからない
大金持ちで
巨大な邸宅や別荘をいくつも持って
マーラーゴふう美女を
妻にしたり娘に持ったりしても
もはや魅力のかけらもない
鈍くさいセイウチのからだを動かして
権力を掌握しているふりを
かなしくも健気に続けなければならない
あの面倒臭さでは
ゆっくりプルーストに浸ることもできまい
ボードレールの詩の難しいところを
熟読玩味し直す気力体力も
どうにも保てまい
『神々の黄昏』全曲を
しっかり聴き直そうという根気も
なかなか引き出して来れまい
素粒子論の理解を進めるために
数学の不得意なところを
学び直そうとなど挑戦もできまい
もちろん
日本語で『源氏物語』を再読する暇もなかろうし
『太平記』をしっかり読了もできまいし
面白すぎる『宇治拾遺物語』を
つらつらつらと読みふけることも
できまい
できまい
ああ
楽しいことばかり
死の二日前に
マサヒコは
めったに見ないような夢を見た
そのことを
妻レイコに語った
見たこともないようなきれいな場所で
美しい花が
遠くまで
咲き広がっていた
(「美しい」という語彙は
マサヒコの日常会話にはない
せいぜい「きれい」が使用されるまでで
「美しい」という日本語を使うことは
恥ずかしくてできなかった
はずだ)
めったに見ない
というより
「こんな夢は見たことがない」
と
妻に語った
霊能者の笹原留似子が
手術中に死にかけた際に見た
いわゆる
三途の川周辺の光景を
語っている
https://www.youtube.com/watch?v=SvWu6V37_kc
それはそれは美しい光景
だと
笹原留似子は言う
「そっちに魅了されて
夢中です」
「お花畑がひろがっていて
蝶とか鳥が飛んでいて
川のせせらぎが…
こんな細い川が流れていて…
またげます
またぎかけました」
三途の川
というものが
大きな川なのではなく
ひとまたぎできるほどの
細い小川であるのが
笹原留似子の体験談では
おもしろい
またいで
川の向こう側に
足をついてしまえば
戻っては
来れないらしい
見たこともないような
美しい風景に魅了されて
川をまたいで
足を向こう側に着地させて
マサヒコは
戻ってこなかったのだろう
「お花畑がひろがっていて
蝶とか鳥が飛んでいて
川のせせらぎが…
こんな細い川が流れていて…」
戻ってこないのが
当たり前だろう
美しい風景に魅了されて
そちらへと向かうこと
こそ
なすべきこと
だ
から