2026年7月2日木曜日


 


 

理由もなく

好きになること

 

なぜだか

わけも

ぜんぜん

わからないのに

とても

好きになっていること

 

どうしてか

まったく

説明もできないのに

扉を開き切り

受け入れるすべてを

かるく

さわやかな

ひかりと感じること

 

はじめて空を見あげた

乳児の顔のように

微笑んでしまうこと

 

はじめて木々の葉を見た

子どもの目のように

じぶんもみどりに

なり切ってしまうこと




2026年7月1日水曜日

色とかたちを見る


 

 

色とかたちを見る

 

色はどこにでもあり

かたちもどこにでもあるが

身のまわりに

見たい色やかたちが

じゅうぶんに

与えられていない時もある

 

そんな時に

写真を見たり

美術作品や

工芸作品を見て

補填する

 

映画のさまざまなシーンにも

ちょっと見つめていたい

いい色やかたちが見つかることもある

そんな時はうれしい

 

映画がおしつけてくる

ストーリーや

登場人物のキャラクターなどは

どうでもよい

むしろ

無いほうがいいが

色やかたちをすなどるための

因果や因縁の網の目が

ストーリーやキャラクター設定だと見なして

ちょっと我慢する

 

派手な色ばかりや

奇矯なかたちばかりを

求めているわけではない

白からグレー

さらに黒へと進むあたりの

地味な色も楽しい

 

かたちにしても

直線と

あまりに典型的な曲線ばかりを

見たがっているわけではない

言葉で言いあらわし難い

微妙な曲がりぐあいや

ちょっといびつな直線なども

ちゃんと見ると楽しい

 

非人間的だといわれる

超現代的なビルのあちこちも

見ていて飽きないし

大災害や爆撃後の瓦礫のありさまも

なかなか出会えないかたちや色に

溢れている

本当に見飽きない

それらの写真や動画に遭遇すると

見続けたまま

うっかり数時間経ってしまう

 

 

*

 

 

色とかたちを見る

 

思想なんかいらない

 

感情も賞讃もいらない

 

意味も解釈もいらない

 

夢も希望もいらない

 

人間味もいらない

 

非人間味もいらない

 

人間の超克もいらない

 

回帰もいらない

 

「~であり続ける」もいらない

 

 

*

 

 

色とかたちを見る

 

「ただ~」もいらない

 

「いつまでも~」もいらない

 

「今だけ~」もいらない

 

永遠称揚もいらない

 

刹那称揚もいらない





2026年6月26日金曜日

あなたはただのお客さん


 


どの瞬間も

どの場所も

わたしの舞台なのではなく

観客にすぎない

わたし

 

わたし以外の者たちによって

設定された劇を

舞台を

わたしは見る

聞く

触れる

鑑賞し続ける

観察する

 

じぶんに「人生」があると信じ込み

その「人生」の主役であると

信じ込むひとが多い

 

じぶんに与えられた

運命を

生死の個別条件を

モノとの関わり方を

人間関係を

特定の場所や文化への

縛り付けられ方を

すべて

じぶんが詳細に設定した

と認識できるなら

あなたはあなたの「人生」の主役

と思い込んでもいい

 

もしそうでないならば

あなたはただのお客さん

一定時間ひとつの座席に座らされて

因縁や縁起でつかのま集められた

いろいろな要素の乱舞を

見させられていく

 

DNAの踊りや

カルマの叙事詩に至るまで

あなたが統御できず

演出できない

微に入り細を穿つフィクション劇の

無限の上演に

いつまでもいつまでも

本当のじぶんに戻らずに

ただの観客としてのみ

つきあい続けていく上客の

あなた

 

 

 

2026年6月25日木曜日

現実の対立と闘争の世界がそのまま仏の命である


 

 

ゆたかに

ふんだんに

いかにも華やかに

対立の世界や

矛盾の世界や

闘争の世界が

地上には

展開されている

 

荘子ならば

こうした世界を観照し

諦観することで

「無為に任放し、塁外に逍遙する」だろう

そうして

絶対的一の世界に

入ろうとする

 

しかし

曇遷(542-607、東魏・興和四年―隋・大業三年)

『亡是非論』には

こうある

 

「若し『是非』の対立の立場をあやまりであるとし、

それをこえた『無是非』の世界が正しいものであるとするならば、

それはほんとうのものではない。

『是非』対立の立場を悪んだり、拒否することは、

すなわち『是非』のとりことなっているのだ」

「絶対」が「相対」に対立する時

それは

「相対」に対立しているかぎりにおいて

みずから「相対」となっている

 

真の「絶対」は

「相対」をそのまま自らとして

「相対」即「絶対」でなければならないだろう

 

是非対立の世界を離れて

別の世界を求めるのは

曇遷のように考える仏教者の道ではない

彼はむしろ

現実の対立と闘争の世界がそのまま仏の命である

と考える

対立と闘争の世界に

「無心」に住するべきだと

彼は考える

この時代の仏教者のいう「無心」は

「無執着」

ということであっただろう

 

曇遷のこうした論を見ると

この頃の中国仏教は

荘子を超えたのではないかと思われてくる

きわめて実践的な

サバイバル思考に突き抜けた感がある

 

曇遷は饒陽(河北省)の人で

曇静の下で出家し

『勝鬘経』を学んで具足戒を受けた

鄴都では曇遵に学んだ

林慮山に隠棲して

『華厳経』『維摩経』『楞伽経』『地持経』『起信論』を研究し

道場寺では唯識を研鑽した

彭城の慕聖寺、建康の開善寺で『摂大乗論』を開講し

長安に移ってからは大興善寺で『摂大乗論』の普及に努めた

この努力により

北地の唯識研究は

『十地経論』から『摂大乗論』へ移った

といわれる

 

 


 

*『仏教の思想6 無限の世界観〈華厳〉』(鎌田茂雄・上山春平、角川ソフィア文庫)p.109.




2026年6月24日水曜日

偽力から真力への切り替えへ

 

 

2026.6.24の啓示

 

 

  

力の完全な切り替えへ

 

五感で捉えられる要素は

みな

汚れたもの

偽の力である

 

見えるもの

聞こえるもの

嗅げるもの

触れられるもの

味わえるもの

すべて

汚れており

真の力ではない

 

また

それらを表象要素として

発生し

維持される

意識・思念・言語の界も

すべて

汚れており

真なるものとの道を

妨げる

 

肉体と

それに密着した意識体は

肉体と意識体のシステムを

物質界と意識界と思念界の中に保つために

これら偽力を受けざるを得ず

用いざるを得ないが

この偽力からではない真力は

肉体も意識体も稼働させることができる

 

偽力から真力への切り替えを

そろそろ

試みよ

 

そして

五感で捉えられる要素

見えるもの

聞こえるもの

嗅げるもの

触れられるもの

味わえるもの

すべてを

見つつ

聞きつつ

嗅ぎつつ

触れつつ

味わいつつ

完全に否定せよ

それらに

力や富を戻さず

燃料や

栄養を還流させず

衰亡させよ

 

意識も

思念も

言語も

あらゆる表象も

すべて

意識は意識のままとして

思念は思念のままとして

言語は言語のままとして

あらゆる表象はあらゆる表象のままとして

完全に否定せよ

それらに

力や富を戻さず

燃料や

栄養を還流させず

衰亡させよ

 

 

 


2026年6月21日日曜日

夏至


 

 

日本では

621日は

夏至

 

夏の中心

夏のど真ん中

夏の真っ盛り

 

もっとも昼が長く

もっとも夜が短い日

 

明日から

夏は

はやくも衰退に向かうのだ

 

明日から

1年は

はやくも死へと傾斜していくのだ

 

子どもの頃

夏は

8月が最盛期だと

思っていた

旧暦の知識を

なおざりにさせられ

失ってしまった世代に

属していたから

 

成長するにしたがって

しかし

夏は7月いっぱいまでの

ずいぶん短い

華やぎの祭りと知った

 

今年の立秋は

87日なので

夏はせいぜい

86日までなのだ

 

夏といえば

海に泳ぎに行っていた少年の頃

8月のはじめには

もう

クラゲが多くなってきて

海岸も

海上も

なんだかさびしくなってくるのが

感じられて

ちょっと不思議だった

 

旧暦では

もう

秋なのだから

海岸も

海上も

そりゃあ

さびしくなってくるさ

と教えてくれる

大人が

周囲にはいなかった

新暦一辺倒の

ニッポンの

わびしさ

 

 


また いい雨が降っている


 

 

     愚かさ、過ち、罪、吝嗇が

     ぼくらの精神を占領し、ぼくらのからだを働かすものだから

     愛すべき悔いをぼくらは養っているわけだ。

     乞食どもがノミやシラミを養っているみたいに。

 

          シャルル・ボードレール 『読者へ』

 

 

        La sottise, l'erreur, le péché, la lésine,
       Occupent nos esprits et travaillent nos corps,
       Et nous alimentons nos aimables remords,
       Comme les mendiants nourrissent leur vermine.

 

                     Charles Baudelaire  «Au Lecteur»

 

 

 

 

また

いい雨が降っている

 

なかなか

大きな爆発が

ちょっと遠いところでは

あった

ようだし

蚊のかわりに

ドローンが飛んでくる戦場や街も

ある

ようだし

 

テレビで

(まったくサッカーに

興味もないのに)

FIFAなんかを見ながら

手元では

YouTube

ウクライナのドローンに殺される

戦場のロシア兵たちを見て

コーヒーを

飲んでいるうちに

甘い物が食べたくなって

スペインのORANGECHOC

ひとつ

食べてみたり

https://www.youtube.com/watch?v=ZE431fGW5Sw

https://www.youtube.com/watch?v=q0s024xGNTQ

https://www.youtube.com/watch?v=4nZ60BYtLk8

https://www.youtube.com/watch?v=6EBL53CpC4s

https://www.youtube.com/watch?v=u9zjlrzBjr4

https://www.youtube.com/watch?v=ij7vECSQcvQ

 

これが

ごたいそうな添加物混入菓子で

グリセリンやソルビトールや

膨張剤や乳化剤やクエン酸やキサンタンガムなど

ごっそり入っていて

ふだんの健康志向も一発で

吹っ飛ぶね

 

コーヒーにも

添加物菓子の甘味にも

飽きてきて

ジンの水割りの飲み残しを

ちょっと口に含むと

苦みがちょうどよくて

夏にはいいもんだね

こういうのも

 

ちびちび

飲みながら

ドローンに攻撃されて

燃え上がるモスクワの石油施設の映像の

もっと過激なのを

探したりして

国際野次馬連盟会員としては

それなりに

頑張っているのさ

https://www.youtube.com/watch?v=y2emMAPUmQM

https://www.youtube.com/watch?v=pLe40hxVqWs

 

イスラエルがレバノン攻撃を止めないから

イランがまた怒ったぞ

ほうら、ホルムズ海峡再封鎖だ!

ほうら、またまたガキの意地の張り合いがぶりっ返しだ!

っていうか

こんなことを何度もくり返して

儲けてる連中がわんさといるもんだから

そりゃあ停戦も終戦も

来ないわなア

いつまでも

いつまでも

 

わたくしは悪魔なので楽しく拝見させていただいております

 

わたくしたちが

企んで

仕掛けたんじゃありませんのよ

 

あんたら

人間どもの本性じゃないのさ!

儲け、騙し、表面上の親睦、裏切り、殺し、報復、さらなる儲け狙い……

セルジオ・レオーネ(Sergio Leone)がむかし

映画の題名として

うまく名付けたように

ひと握りのドルのために

Per un pugno di dollari / A Fistful of Dollars 1964

https://www.youtube.com/watch?v=bznM9VD1biM

とか

もうすこしのドルのために

Per qualche dollaro in piu / For Few Dollars More 1965

https://www.youtube.com/watch?v=0JPnR7C8mZQ

とか

そんなケチな論理だけで

まわっている

おお、地球よ!

 

It’s still the same old story

A fight for love and glory

A case of do or die

 

As Time Goes By

の歌詞を思い出しもするが

これほど

ロマンチックな世界では

もう

ないし

 

また

いい雨が降っている

 

予言

しておこうか

 

激しい雨のように

各地に

世界中で増産される爆撃ドローンが

これから

降り注ぐことだろう

無人の

カミカゼとなって