2026年8月2日日曜日

私らの夢はどこにめぐるのであらう

 

 

 

730日は

立原道造の誕生日であった

 

今年

この日は暑い日で

暑い日にもかかわらず

ちょっとした

中途半端な田舎を

炎天下を

野暮用のために

わたしは行き来して

ずいぶん

汗を流した

 

ゆたかに繁る雑草たちを見

アスファルトに降りて

人など小馬鹿にしたように

逃げもせず

ぽんぽん飛んで歩く

カラスを横目に睨みながら

いかにも

立原道造の誕生日らしからぬ

どろっとした

中途半端な暑さの日だ

と思ったりしたが

空は美しく青く

夏雲は白く輝いていた

 

立原道造が日本橋の橘町に生まれたのは

1914年だから

もう112年も前のこと

死んだのが

24歳のとき

1939年だから

87年前に逝っちゃった人

 

けれども

あなたはぼくにとって

あこがれちゃう

唯一の

日本語の

奇跡的な使い方の

できた詩人で

ほわーっとしていながら

すわ~っとしている

あなたの不思議な詩の高みに

とても行き着けないまま

ぼくは日本語のなかを

ま~だ

さまよって

いる

ですよ

 

近ごろは

あなたの名を

すごい

すごい

すごい

と語る若者も稀で

あなたのあれらの詩は

どれも

なによりも

大事件なのに

新聞紙の一面を飾ったりは

もちろん

しない

 

なので

ときどき

ぼくは

じぶんの意識の第一面に

あなたの詩の

ソネット形式の

とびっきりお気に入りのやつを

大見出しで

あるいは

豆粒みたいな

ちっちゃい字体で

蘇らせる

 


のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――
そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

 

 

 

はじめてのものに

   ささやかな地異は そのかたみに
   灰を降らした この村に ひとしきり
   灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
   樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

   その夜 月は明かつたが 私はひとと
   窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
   部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
   よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

   ――人の心を知ることは……人の心とは……
   私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
   把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

   いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
   火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
   その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

 


   またある夜に

   私らはたたずむであらう 霧のなかに
   霧は山の沖にながれ 月のおもを
   投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
   灰の帷のやうに

   私らは別れるであらう 知ることもなしに
   知られることもなく あの出会つた
   雲のやうに 私らは忘れるであらう
   水脈のやうに

   その道は銀の道 私らは行くであらう
   ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
   夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

   私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
   月のかがみはあのよるをうつしてゐると
   私らはただそれをくりかへすであらう




   晩き日の夕べに

   大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
   だれにもそれとは気づかれない
   空にも 雲にも うつろふ花らにも
   もう心はひかれ誘はれなくなつた

   夕やみの淡い色に身を沈めても
   それがこころよさとはもう言はない
   啼いてすぎる小鳥の一日も
   とほい物語と唄を教へるばかり

   しるべもなくて来た道に
   道のほとりに なにをならつて
   私らは立ちつくすのであらう

   私らの夢はどこにめぐるのであらう
   ひそかに しかしいたいたしく
   その日も あの日も賢いしづかさに?


 

ほんとうに

ぼくらの

わたしらの夢は

どこに

めぐるのであろう?

 

と思いながら

 

知ることもなしに

別れるであろう

大きな大きなめぐりが

用意されている

 

とは感じつつも

ふたたびは

逢わぬであろう

とも知りつつ

 

その先にはもう行かない

夢と

しばらくはなって

 

忘れつくしたことさえ

忘れてしまつた時に

 

ああ

あなたが

習つて

夢に織ったエリーザベトの物語とは

どんな

物語だったか?

 

いたいたしく

賢いしずかさの

ただ

夕やみの

淡い色に身を沈めて
くり返すばかりの

遠い

物語であったか?

 

 

 


しんしんと雪が降り続いている



 

コーヒーを淹れて

書斎の机まで持って行った

 

(書斎といっても

居間とひと続きで

机に座ると

居間がすべて見わたせる)

 

(しかし

出入口は異なっている)

 

(居間と書斎の間の戸を

閉じておくこともできるのだが

住みはじめて以来

開きっぱなしで

閉じたことはない)

 

ついさっき

仕事の小さなひとくぎりがついて

コーヒーを淹れに

キッチンに行ったのだった

 

机にコーヒーを置き

返信すべきSNSがあったのを思い出し

スマホを手に取ると

(よくあることのひとつ)

気にかかるスペインのセウタCeutaへの

モロッコ人の大量流入についてのX

解釈や主張の異なる書き込みが目に付いて

数十を見ているうちに

(あまりに神経が疲れていたものだから)

座ったまま

眠ってしまっていた

 

さて。

 

記しておきたいのは

寝落ちしてしまったことでもなく

セウタ危機のことでもなく

それについての見解の異なる書き込みの間の

問題点でもない

 

寝落ちから

フッと目覚めると

(不思議だ

いつも思う

なぜ目覚めるのか?

なぜ永遠のほうへ失われたままになって

しまわないのか?

まだ?)

コーヒーが目に付いた

 

(なんの不思議もない

さっき自分で淹れて

机の上に持ってきたのだ)

 

そうだ

少し飲もう

 

そう思って

カップに手を伸す

右手を伸す

 

濃い焦茶色の

コーヒーの

静かな表面が見える

 

伸した右手を

しかし

止めてしまった

 

驚いたのだ

 

コーヒーの表面に

雪が

降っていて

しんしんと

丸い

夕暮れの暗さが

領していた

 

このカップには

まだ

手をつけず

机の上に置いたままに

してある

 

しんしんと

雪が

降り続いている

 



2026年7月27日月曜日

見飽きた映画をなお見続ける勇気

 

 

     行くところがわからないほど

     崇麗なものはないだろう

    すべて偶然の神託によるべきだ

    ゴマと火と塩とヴィーナスの

    先見にたよるばかりだ

      西脇順三郎 『生物の夏』in『禮記』

 

 


 

まったく暇のない生活を送り続けているが

用事を前後させられる時には

14時間から16時間眠り続ける

そのぐらい眠ってはじめて

物質と神経電流と精神+霊という幻影とが絡みあった現象界を

ちょっとは生きる気になる

 

この現象界のなににも共感せず

これが価値あれが価値それが価値価値価値価値と

まくし立て続ける無数の口たちの動きを

フジツボの開き閉じ運動のように眺め続けていると

悪く言えば地球の観察と評価のためだけに来た宇宙人のまなざしで

良く言えばその昔の懐かしい博物学者の慈愛溢れる好奇心のまなざしで

もうかなり見飽きたこの現象界の出し物の連続に

まだまだつき合っていかねばならないのかな

まだまだつき合っていく気力を保っていけるかな

とどうしても思ってしまうが

太宰治がどこかで書いていたように

人生とは見飽きた映画をなお見続ける勇気のこと

などとふいに弱気な感慨に陥ってしまわないでもない

 

フランスのジロンド県の大火事もスペインの火事も

スラブ人弱体化のためのあいかわらずのウクライナ+ロシアの

澱んだ泥沼でのちびちびした殺しあいも

そうして儲けのためにアメリカとイスラエルが仕組んだイラン虐めも

そればかりか経歴詐称の女王高市早苗のトカゲっぷりも

もちろん世界が忘れかけているエプスタインの超巨大事件の裏の裏も

SNSが怒濤の情報を吐き続ける現代にあっては

できるだけ広く全部を見続けていて

ほぼ網羅できているとは思っているが

それらをいくら見続けいくら深層情報を仕入れたところで

もはや人類に価値があるとは思えないし

地球や人類や魂を救おうとも思えないのは

ま、これこそ真の覚醒への当然の流れとでもいうことかな?

と思えて微笑ましくさえある

 

人類の暗部・醜さ・どうしようもなさ・不条理さを見続けてはや幾十数年

そろそろ還ってきてもいいというのにあんたも好きねえと

わが友イエス・キリストやブッダやクリシュナや

マハヴィーラや老子や荘子や

その他もろもろの覚者や賢者や妖精たちや地球外理性たちが

けっこう呆れてツンツンと肩や背やおでこを突いてくるけれど

おおわが最大の友にして導き手の"不条理なる運命のデタラメぶり"が

もっと面白いものを繰り出して見せてやるから

祇園祭の特等の見物席に座っているつもりで見続けていておくれよ

ちょっとは暑く熱くなったり火の粉が飛んできたりする時もあろうが

ヨハネの黙示録にも負けない極上のどんちゃん騒ぎを

最後の最後までとくとご覧じろと

どうしてどうしてなかなか引き留めの手を緩めてはくれないのさ

 



2026年7月22日水曜日

風を鳴らすからだろうか?


 

 

夏の暑さのなかで聞くべきものといえば

なんといってもバグパイプ

 

Amazing Grace Bagpipes - The Snake Charmer ft. Barcelona Pipe Band

https://www.youtube.com/watch?v=OJi-uKOlLV4

 

Massed Pipes & Drums parade through Deeside town to start the Ballater Highland Games 2018

https://www.youtube.com/watch?v=rpBw0oCO4C8&t=167s

 

 

暑さが吹っ飛ぶ

というより

暑さや寒さとはべつの次元に

意識が行ってしまう

といったら

いいか

 

笙や篳篥や笛

高麗笛などを合わせる

日本の雅楽にも

バグパイプの音響的世界創造のようなところが

ある

 

Gagaku: Wind Instruments

https://www.youtube.com/watch?v=QRZ1eNlzhoA

 

雅楽 【越天楽】

https://www.youtube.com/watch?v=lS3EuUP7Slc

 

E-Ten-Raku

https://www.youtube.com/watch?v=wq5Bo_BmoPU

 

 

みな

風を鳴らす

から

だろうか?

 

 

雅楽まで来ると

高畑勲の『かぐや姫の物語』の

かぐや姫が月へ帰っていく時の天上の音楽も

近いところにある

 

日本お得意の感傷に浸りそうな場面で

悲哀も

喜びも置き捨てられ

音の粒子の踊りだけが

途切れることなく

延々と続いていく

奇跡的な音楽である

 

Princess Kaguya Ending Scene // Tale of princess kaguya...

https://www.youtube.com/watch?v=OFHIZJpT-ew

 

かぐや姫の物語 天人の音楽2018 ver.

https://www.youtube.com/watch?v=IWmX20i6pBc

 

 


生き生きと生きていられる時だけの特権


 

 

夏の気温が上がり

上がり

さらに上がっていくと

それだけで

特別なお祭りの真っ最中

のように感じ

うきうきしてしまう

 

出続ける汗は

たしかに面倒ではあるが

日に何度もTシャツを着替えて

ふんだんに汗を吸わせよう

と決めれば

なんこともない

 

ワイシャツを着て

外出している時には

着替えようもないので

それはそれ

あきらめるしかない

と思えば

これはこれで

なんのこともない

 

一日のうちでも

気温自体がけっこう上下するし

どこからか

ふいにいい風が

吹き込んできたりもして

暑いからこそ

敏感になる感性もある

 

暑さに参っている人を見るのは

けっこう楽しいものだ

36度や37度の暑さを

汗はかきつつも

平気で受けとめていられる体力には

その人のそれまでの心がけが

しっかりと織り込まれている

 

なにかというと

日陰で休憩だとか

冷たい飲み物や氷だとか

不活発にクーラーの効いた部屋で

うつらうつら休んだりとか

そんな生き方の果てには

ひたすら衰弱していく老いしか来ない

 

そんな人たちにつき合うのはやめて

ちょっとでも太陽にあたり

乾いたアスファルトの上で靴裏を焼きながら

ひとりで夏草のわきを歩いて行こう

水だけはいっぱい手に提げて

汗を拭くタオルもふたつは用意して

生き生きと生きていられる時だけの特権の

夏の陽光の下のそぞろ歩きを

ぞんぶんに楽しむことにしよう

 

 

 


2026年7月21日火曜日

ラクリモーサ(Lacrimosa)


 

 

のその
かれるべき罪ある人間

灰の中からよみがえる日


その時には憐れんでください、
しみイエスよ
らに安息えてくださいアーメン

 

 

Lacrimosa dies illa,

qua resurget ex favilla

judicandus homo reus

 

Huic ergo parce Deus

pie Jesu Domine

Dona eis requiem. Amen

 

 

「ラクリモーサ(Lacrimosa)」では

このように歌われるが

はたして

「裁かれるべき罪ある人間

灰の中からよみがえる日」が来るのだろうか


そんな日は来ずに

「涙の日」だけが

最後のひとりまで人類が消滅し切る

まで

続くだけなのではないか?

 

むしろ

よみがえりのなさ

こそが

真の救い

なのではないか?

 

あたかも

原子爆弾で焼かれ尽くして

肉体も精神も

おそらく霊も魂も

瞬時の完全消滅を遂げた

人びとこそが

人類史上の唯一の救われびとたちだった

ように

 

「ラクリモーサ(Lacrimosa)」は

グレゴリオ聖歌と異なる

中世に新たに作られたキリスト教聖歌の曲種のひとつ

「続唱」を意味する

セクエンツィア(Sequentia)の

18番目や19番目のスタンザだが

近代人の耳には

やはり

モーツアルトの『レクイエム』のそれが

いちばん親しい

 

演奏はもちろん

無数にあるが

雷鳴や雨音といっしょに録音された

Lacrimosa, but you're sitting in a castle alone by the fireplace while it's raining #asmr」は

非常に魅力的なものに聴こえる

https://www.youtube.com/watch?v=tTQrSwZ4S84

 

テルミンで演奏された

Mozart | Lacrimosa from Requiem in D minor | Theremin choir and piano

にも

意想外の魅力がある

https://www.youtube.com/watch?v=JxY_KfQfoog&list=RDJxY_KfQfoog&start_radio=1

 

Lacrimosa, but it's even more beautiful

なかなか好ましい音の配置を

している

https://www.youtube.com/watch?v=mt6m63ylw-g&list=RDmt6m63ylw-g&start_radio=1

 

しかし

オーソドックスな演奏形態のものの中では

これは

個人的な好みによる

ということにはなろうが

Gregory Carreño が指揮した

ヴェネズエラのシモン・ボリバル交響楽団

Orquesta Sinfónica Simón Bolívar de Venezuela

の演奏を

最上と思っている

https://www.youtube.com/watch?v=sWHKNNJQBDo&list=RDsWHKNNJQBDo&start_radio=1




架空の夏 架空の街


 

 

何度ぐらいまで

今日という夏の日の気温は

上がったのだろう?

 

帰宅した後で

スマホの天気アプリを開き

ふりかえってみると

36度に達した時間帯を

暑いというより

乾かされるという感じの陽光を受けながら

ゆるゆると歩いてきたようだ

 

昨日までと違って

あまり湿っていないので

36度ほどの中でも

肌の不快感はなかった

 

汗は出続けるが

腕もうなじも頬も

べたつく感じがないのは

気持ちがよかった

 

祝日であり

三連休だったので

歩いていく街のどの道も

ふつうのウイークディの時より

ひとの姿がまばらで

閑散としている

 

祝日に休めない仕事を

もう何十年も続けてきているが

たとえ自分だけ仕事で街に出ている際でも

世間の人びとの姿がまばらで

街中が閑散としているのは

じつは

気持ちがいい

 

仕事のためであれ

やっかいな用事のためであれ

人びとの群れていない

どこか抽象味も増した街を歩いて行くのは

この世の人生での

醍醐味のひとつだと思う

 

FIFAワールドカップの決勝戦のテレビ放映で

スペインが得点した瞬間を

朝食を取りながらたまたま見たけれども

あのスタジアムの満員ぶりには

お可哀想に!

と感じざるを得なかった

どこのどんな催しであれ

ひとが集まりすぎて

屠殺場へトラック輸送される豚たちの

押し合いへし合いのようになった光景を見ると

生のクオリティーが

ふたつも三つもレベルダウンしたように見え

お可哀想に!

と思ってしまう

自分がそこに居合わせたら

すこしでもはやく抜け出そうとするだろう

 

湿りすぎておらず

ひともひどく少ないおかげで

架空の夏のようになり

架空の街のようにもなった

わたしだけの夏の一日を

道端にヤブカラシのつやつやした茎が伸び

ヒルガオのピンク色がぽつぽつ咲き

カラスウリのレース様の花が

ヤブカラシの繁茂した葉の上に開いて

日本の夏のふつうさは

今年もつつがなく豊かだった

 

そうして

ふいに記憶のむこうから

よみがえる

小学生の頃の

テレビCMのちょっとおしゃれな歌*

 

マックスファクターの

夏のパンケーキのCMだったか

砂場を歩む女性が

靴に入った砂を落すために

なにかに寄りかかって

靴を脱いで持ち上げる光景が

しずかな

圧倒的な魅力を

1971年の夏休み直前の子どもに

及ぼしたものだった

 

そのCMの光景を思い出しながら

うんざりするような暑さの中

家までの

昼下がりの

誰も歩いていない長いアスファルトの道を

とぼとぼと

子どもは帰っていこうとしていた

 

  

 

*Summer CreationJoan Shepherd

https://www.youtube.com/watch?v=V1lNAr9B_U4&list=RDV1lNAr9B_U4&start_radio=1

 https://www.youtube.com/watch?v=fBNjH0mo9Uc&list=RDfBNjH0mo9Uc&start_radio=1