2026年10月11日日曜日

なにをしているか なにをしていないか


 

 

木を愛し

草を愛しているわたしだから

病気でもない木に

このようなことはしないでほしいと思う

 

https://x.com/labbe_tonniere2/status/2108263852232310837

 

 

ひとりの人間の

感情も

思想も

夢も

希望も

まったく重要ではない

 

すべては

なにをしているか

なにをしていないか

それだけで

決まる

 

このように木を切り倒し

なにごとかを為したかのように

よろこんだり

偉がったり

はしゃいだりするなら

その瞬間から

その人は

わたしにとって人ではなくなる

 

 


マレー地区のリュースよ


 

 

結局は謎の中を

知恵は通っていかなければならない

エミリー・ディキンソン

 


 

 

9月29日から10月7日まで

パリでは

2027年ウイメンズ春夏のコレクションだったので

ちょっとパリに行ってみていたが

すべてのコレクション会場に

入るわけでもないので

ハローウィンを先取りした路上でのデモ騒ぎや

大声張り上げ騒ぎなどを

遠巻きにちらちら見たりしていたが

 

なにせ

連帯趣味もないし

主張が嫌いだし

わがミューズはマラルメと同じく

「〈無力〉という近代のミューズ…」でもあるし*

ミルトンの『失楽園』のサタンの言うように

さらにはまた

ジェイムズ・ジョイスの座右銘でもあったように

NON SERVIAM

(われは仕えず)

こそ

わが銘であるし

なにより

エミリー・ディキンソンの書いたように

 

大声で生きるなんて耐えられない

大さわぎはいつも恥ずかしかった

 

のだから

面白くもない人体がごそごそ集まっての

アリごっこ

を見ているのには

すぐに

飽きてしまって

結局は

やはりいつものように古本屋を

ぽちぽち

まわったりして

やはりいつものように

どうでもいいような

どうでもよくないような

本を

またちょっといっぱい買っちゃって

ちゃんと読む

というのではなしに

ぱらぱら

ぱらぱら

あっちこっちのページをめくって

豪華な

贅沢な

蕩尽的な時間の使い方の

最たるものを

またやらかしてしまうためにカフェのテラスにちょこなんと座って

もちろんエスプレッソのドゥブルを頼んで

洋梨のタルトも頼んじゃって

ちゃんと読み直していなかったモリエールの何冊かも

もちろん面白そうだったが

むかし1985年のこと

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグさんの家に呼ばれていった時に

マンディアルグさんがふと洩した言葉

「サドだったら

私はいま

『ジュスティーヌ』が面白いかな…」

この言葉に誘われて

家にあるというのに買い直してしまったポッシュ版の

ベアトリス・ディディエ校訂版の『ジュスティーヌ』を

よく熱が入ってとろとろになった洋梨を舌の上にほろほろさせながら

ページを繰り始めると

ああ

これって三島由紀夫の文体!

って懐かしくなり

そうかサドって三島由紀夫だったんだなやっぱり

と奇妙なふいの納得

 

1985年にわたしをマンディアルグさんに会わせてくれたのは

マレー区住まいの老女リュースで

髪はボサボサ

着ている物はいつもモコモコの古い毛皮だったが

昔はアンドレ・ブルトンの愛人で

本人も美術評論家になりかけたそうだったが

うまく続かなくて

マレー区の文化的放浪女のようになった

らしい人

 

ぶっきらぼうで

いつも

酒の臭いをぷんぷんさせて

議論で激すると

食事の際に握っているナイフを振り回すので

まわりの友人知人たちはヒヤヒヤしていたものだったが

なぜかわたしには親しくしてくれて

あるディナーの時

「アンドレに会わせるわ」

と言ったものだった

アンドレ

なんてフランス人にはいっぱいいるので

「どのアンドレなの? 

ひょっとして、死んでいるはずのブルトン?

降霊会で呼び出すとか?」

などと聞くと

「マンディアルグよ」

というものだから

「へええええええ」

と驚いてしまった

 

リュースはとうに死んでいるはずだが

なぜだか

いつのまにか

リュースとは疎遠になってしまって

どのように老い募っていったか

どのように死んでいったか

わたしには伝わってこなくなってしまった

 

フランスの二代や三代前ほどの世代の

一時期は

もっとも親しくつき合った人たちのうちのひとりで

かつてはシュールレアリストたちと親しんでいた

マレー地区のリュースよ

その霊の安らかならんことを

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=r99lvk32nIY

 

https://www.youtube.com/watch?v=1V2cQhMj9FY

 

https://www.youtube.com/watch?v=yJMkhstsLpY

 

https://www.youtube.com/watch?v=bHucumEDoWU

 

https://www.youtube.com/watch?v=QJAhSRJLhrU

 

https://www.youtube.com/watch?v=eWOl2RhllrE

 

https://www.youtube.com/watch?v=weNFjc2l1Hw

 

https://www.youtube.com/watch?v=kzLdQeh1vBs

 

 

 

 

*マラルメ『文学的交響曲』


わが悦楽



 

船が港に入ると

わたしに最も愛された卵が別れを惜しんで床に落ち

しかし割れず

レストランフロアの奥の

開いていたドアから廊下へと転げまわっていって

その後はどこをどう辿っていったのかわたしにはわからないが

海へと飛び降りた

という

 

アーメン

 

おお 処女なる卵よ

 

海の神はおまえに敬意を表して

きっといつまでも割れることのないように水でやさしく守り

何年も何十年も

ひょっとしたら何百年も

塩のたおやかな海水でおもてを揉んで

ほどよい塩味を中に浸透させて

格別にうまい黄身と白身を育んでいってくれるだろう

 

ここまで

あえておまえの名を言わないで来たが

メアリ・きみこ・クラランス・ジェーンというのが

おまえの名

航海のさなかに卵を食べる時

わたしはいつもひとつひとつに名を付けて慈しみ

しばらくは指で貴重な玉のように回し

手のひらに取っては

両の手のひらでやわらかな餅のようになで続けたりするのだが

たいていは複数個載せてある卵台の上に

それぞれ名の付いた卵たちに

つい今しがたまで触れていた卵を戻しては

べつの卵を取ってみたり

それもすぐに戻して

また別の卵を取ってみたり

 

メアリ・きみこ・クラランス・ジェーンのことは

なぜか

すぐに食べてしまわず

何度も卵台に戻してはまた取り

また戻しては

また取り

をくりかえして

思えば長い逢瀬を愉しんだものであった

 

愛というのか?

これを?

 

永遠に海へと失われてしまった今となっては

おお

メアリ・きみこ・クラランス・ジェーンよ

おまえを適当なところで割って

殻の裏側の

そう

頭蓋骨の裏側のような

処女なる白さを

しっかりと見ておくべきだった

と悔やまれる

 

卵を割って

殻の裏を見ることの

ああ

なんという猥褻!

思えば

それだけを日々愉しみに

待ち望んでの

小さくつましい

わが悦楽!

 



2026年10月4日日曜日

秋も深まってきての怪談


 

 

フランスで騒乱が続いている

マスメディアでは

高校生たちが

学校での教育条件の悪さに対して抗議している

と報じている

報じたがっている

 

しかし

XやYouTubeにアップされた映像を

いろいろと見てみると

路上に出て騒いでいるのは

高校生だけでなく

黒づくめのアンティファたちのような姿も目に付く

 

フランス全土で

騒乱がいっせいに起こっているのも

これまで各国で起こった騒乱を思い出させる

夏にモロッコからスペイン領セウタに流入した不法移民のことも

思い出させる

 

単に高校生たちだけが起こした騒乱ではない

と見ておくのが

やはり正しいのではないかと思われる

 

ともあれ

世界中のニュースは大騒ぎだし

SNSでもたいへんな騒ぎになっている

 

ここでひとつ

怪談じみた話をしておこう

ようやく

秋も深まってきての

怪談である

 

フランスのこの騒乱について

マスメディアより詳しく報じているSNSやYouTubeを選んで

私なりに編集して

フランス語を学んでいたり

フランスに興味のある何人かに

送ってみた

 

結果は

みごとに無反応だった

 

パリの街角情報や

グルメ情報や

観光情報などには

なにかしら

反応してくる人たちなのに

フランス全土を揺るがすような騒乱沙汰には

いっさいの無反応

 

そんなことは起こっていない

とでも

いうように

ピクリとも反応しない

 

こうした無反応は

これまでのフランスでの騒乱の際にも

同じだったし

なんらかの政治的問題の際にも

同じだった

 

フランスが好きだとか

フランスに興味があるとか

だから

フランス語を勉強し始めた

という

日本人のほとんどが

観光や

グルメや

ファッション以外には

フランスについて

いっさい無反応になるのだ

 

とりわけ

社会問題のこととなると

驚きを通り越して

恐ろしいまでに

不感症のようになってしまう

 

怪談

というのは

フランスに興味があって

フランス語もちょっと勉強している日本人の

この無反応さの

あまりの異常さや異様さの

ことである

 

フランスで起こっている

高校生たちの反乱や

それを裏で動かした組織的な勢力よりも

はるかに

日本人の無反応さのほうが

私には恐い

 

今に始まったことではない

 

やさしい

善良な

ごくふつうの日本人たちは

ガザでの虐殺にも無反応だったし

裏の闇の巨大すぎるウクライナ問題にも無反応だったし

諸国で起こる天候異常による災害にもほぼ無反応だし

国内のさまざまな災害にも

自分が当事者にならないかぎりは

まず

無反応である

 

これ以上の怪談が

ほかに

あるだろうか

 

フランスで騒ぎ

建物を壊したり焼いたり

車やバスや消防車を焼いている

高校生やアンティファが異常だとか

それらを間違って解釈したり

わざとねじ曲げて解釈したりしている評者たちが異常だとか

思われるかもしれないが

現に迫ってきている危機や変化に

とにかくも過敏に対応するフランスのほうが

あらゆることに無反応なまますべてを済ましていき

また済まされてもいくであろう日本人よりも

よほど正常な気がしてならない

 



2026年9月27日日曜日

みずいろは涙いろ


 

 

ごく普通に私が使う聖書は

日本聖書協会の新共同訳聖書(2013)で

表紙は黒いビニール装だが

上にライト・グリーニッシュ・ブルーの紙カバーが掛っている

 

その紙カバーは捨ててしまってもいいのだが

ライト・グリーニッシュ・ブルーの色が

またはグリーニッシュ・スカイともいうらしい色が

書庫に置くにはきれいに軽くて

そのまま掛け続けている

 

日本語でならば

みずいろ

みず色

水色

などと呼ばれそうな

その色合いの

軽さは

1973年のあべ静江の「みずいろの手紙」の

軽やかで

はっきりした

日本語発音の快さを

ちょっと

思い起こさせる

https://www.youtube.com/watch?v=qp-_LBQCRnk

 

そのライト・グリーニッシュ・ブルーに

しきりに惹かれて

手に取ってみて

よくドストエフスキーがやっていたように

でたらめにページを繰ってみると

歴代誌下のソロモン王の記述やシェバ女王の来訪のことなどが

2026年の今まさに読み直されるべきこととして

角膜に吸い込まれるように飛び込んできたが

ソロモン王の父であるダビデ王のことに少し戻って

見直しておきたく思い

いくらか遡ると

ダビデ王による神殿建築の宣言の章(歴代誌上28)に突き当たった

そうして

ダビデがイスラエルの長たる者をすべてエルサレムに召集し

立ち上がって言った言葉に

少し驚かされた

 

「わたしの兄弟たち、わたしの民よ、聞け。

わたしは主の契約の箱、

わたしたちの神の足台を安置する神殿を建てる志を抱き、

その建築のために準備を進めてきた。

しかし、神はわたしに言われた。

『あなたは戦いに明け暮れ、人の血を流した。

それゆえ、あなたが

わたしの名のために神殿を築くことは許されない』

と。」

 

今ふうに言えば

「神」と呼ばれる高次存在とチャネリングしていたダビデだが

その「神」は

ダビデが戦いに明け暮れ

人の血を流したから

ダビデが「神」の名のために神殿を築くことは

許されない

と明言していたのだ

 

この言葉は

現代では

巧妙に

都合よく

忘れられてしまっているようだが

ダビデの「神」は

厳しく

想像以上に真の「神」であったことが

こんなひと言からも

わかるように思う

 

旧約聖書は

ユダヤ教に属さない者たちから見れば

ユダヤ人の経典であり聖書であるかに見えるが

素直に読んでみればすぐわかるように

預言者たちによる厳しいユダヤ人批判の書であり

旧約聖書の「神」とユダヤ人の間には深すぎる断層が存在し

その両者は完全に分断された別物であり

ここに逆に

旧約聖書の普遍的な人類的な価値が湧出してくる

 

たとえばエレミヤ書の

 

栄えある都、わが喜びの町は

どうして捨てられたのか。

     (49.25)

 

あるいは

また

 

立て、攻め上れ。

安らかに暮らしている

穏やかな国に向かって、と主は言われる。

       (49.31)

 

などが

ユダヤ教の内外と関係なしに

強くすべての人間の意識を刺激してくる理由が

ここに発生する

 

ところで

私の聖書の紙カバーの

ライト・グリーニッシュ・ブルーの色

またはグリーニッシュ・スカイともいうらしい色

みずいろ

みず色

水色

のほうに寄り添い直して

あべ静江の

「みずいろの手紙」へと向き直ってみると

 

みずいろは涙いろ

 

と

歌われていて

 

   そんな便箋に

   泣きそうな心をたくします

 

と

阿久悠の作った歌詞は

続けられていく

 

ライト・グリーニッシュ・ブルーの色

またはグリーニッシュ・スカイともいうらしい色

みずいろ

みず色

水色

の

紙カバーの日本語訳聖書が

涙いろの

便箋に

たくされた

泣きそうな心

とまでは

もちろん考える必要は

ないのだが

 

お元気ですか

そして

いまでも

愛していると

言ってくださいますか

 

とか

 

愛していると言われた時が

だんだん

遠くなるみたい

手紙読んだら

少しでいいから

わたしのもとへ来てください

わたしのもとへ来てください

 

という歌詞を

聴き直していると

 

神よ、わたしは貧しく、身を屈めています。

速やかにわたしを訪れてください。

あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。

主よ、遅れないでください。

(詩編70.6)

 

といった詩想の

すぐ近くを

あべ静江の明瞭な声は

飛んでいるように

感じられる