2026年5月13日水曜日

レギオン

 


 

物質や

物質が生み出す諸条件や

富や

生存への不安や

新しいもの好き(=ひとつの物への凝視力の欠如)から発生してくる

心身の欲望や

それらに不必要なまでに機械的に支配され切った

一部の人間たちが(病人とみなしてよい)

巻き起こし続ける渦

 

人界は

これらから出来ている

 

これらから出来ているだけで

不用の過度の動きが

人界では

つねに大波となって荒れまくっている

 

物質や

物質が生み出す諸条件に馴染み

それらを適切に使いこなしさえすれば

地球上では

はるかに穏やかに

静かに

落ち着いた意識で

乗り物である肉体を数十年維持できると

賢い者たちは

生得的に知っているが

心身の欲望に支配され切った病人たちが

本来穏やかで整ったものであり得る人界の秩序ばかりか

地球の物質的環境自体をも

撹乱し続けてしまう

 

そうして

人界の病人たちがたえず作り出し続ける嵐で

もう

何千年も

何万年も

地球は

静まる暇もない

 

こういう場所を

訪れてみようと思ってしまった責任は

訪問者にある

 

とはいえ

ひとたび訪れてしまって

肉体が機能停止するまでは

この環境を離れられないゲームの規則を

受け入れても来た以上は

人界の病人たちによって無限に作り出される嵐の中でも

いくつかの価値觀を守りながら

生きのびるほかない

 

守るべき価値観とはなにか?

 

肉体の機能が良好に動く期間を少しでものばし

人界と関わりなしに機能し続けている地球環境の特性に触れ続け

観察し

研究し

味わい続けるのを最上とすること

しかない

 

肉体や

肉体と密着した心や意識や精神も

訪問者が創り上げたものでない以上は「自然」であるから

それらを密に観察し続けるのも

地球環境の研究の一部となる

 

この点では

肉体の機能不全や故障さえも

「自然」研究の重要な対象となり

わざわざ地球を訪問してきたからこその

希有な経験となる

 

これら

地球環境と地球生物としての心身環境の研究に役立つならば

人界の同じ関心を持つ人々の考察や研究や記録も

大きな価値を持ってくる

 

重要なのは

生存不安や集中凝視力欠如から来る病に

ゾンビのように過度に支配された病人たちの作り出す

地球環境にふさわしくない過った価値観に

感染しないことである

 

そうした過った価値観は

しばしば

文化と自称したり

芸術やアートと自称したり

つねに

「新しい時代の」

「先端的な」

「未来の」

などの形容を伴わされて

人間たちの注意力と時間と労力と富を

大がかりに奪っていく

 

ある運きや現象が

なにを集めていくか

なにを奪っていくか

収奪の裏にどのようなシステムがあらかじめ作られ

準備されて

吸い上げはどこへなされていくか

それを冷静に見れば

病人たちの価値観という

太古から続いてきている軍団の動きが

見抜けるだろう

 

神でもなく

宗教家でもなく

地球環境への訪問者のうちのただ優れた研究者であり

他の訪問者たちの導き手だったイエス・キリストが

人に取り憑いた悪霊に

「お前たちは何と言う名だ?」

と問うた時

「我が名はレギオン(軍団)。我ら数多きがゆえに」

と悪霊たちは答えたものだった

 

数の多いものは

なんであれ

「レギオン」の支配下に入る

 

これは

イエス・キリストも

ブッダも教えなかった

地上の公理だが

彼らがこのことを教えなかったのは

すでに「レギオン」から出て

それと距離を取って集まって弟子たちにだけ

教え語ったためである

 

近代の政治は

多数決制というかたちで

「レギオン」を政治制度に引き込み

社会や国家の中核に据えた

 

「レギオン」が中核に居座った大集団のせめぎ合う世界に

なにが起こるか

それは

見ての通り

いえよう

 

「レギオン」を引き込まない

ごく限られた人数の集団だけで

地球環境の基本法則に則った生存をしようとする他には

地球上で幸福に生きていく方法は

まったく存在しない

 

地球環境を主とし

それにのみ従う極小集団であっても

ある一定数以上のメンバーを抱えるようになった瞬間から

「レギオン」の支配下に下る

 

そのようになった集団は

メンバーである人間を豚とするか

そこから追い出されれば

多数の豚に取り憑き

やがて

暴走して

断崖から海に落ち

溺死を遂げることになる

 

2026年のいま

まわりに

豚である人間たちはいるか?

 

人体を持ってはいるが

豚そのもの

と見るべき者たちはいるか?

 

豚たちは

暴走を始めているか?

 

落ちていくべき断崖は

すでに

見えているか?

 



パーセル逍遙

 


 

LINEで繋がっているピアニストに

YouTube

濱田あやの『ゴールドベルク変奏曲』演奏を送り

https://www.youtube.com/watch?v=xIc33Ulexao&t=559s

ジャン・ロンドーJean Rondeauの演奏も送り

https://www.youtube.com/watch?v=1AtOPiG5jyk

https://www.youtube.com/watch?v=OVdtmPoXX3c&t=325s

ついでに

ティボー・ガルシアThibaut Garcia

アントワーヌ・モリニエールAntoine Morinière

ギターによる演奏も送ってみたら

https://www.youtube.com/watch?v=mxqNzYPBn6s&t=1161s

おかえしに

ベアトリーチェ・ラナBeatrice Rana

『ゴールドベルク変奏曲』演奏を

送ってきてくれた

https://www.youtube.com/watch?v=taXra5Qrg4E

https://www.youtube.com/watch?v=2H6BwVpvNFw

 

ちょっと

驚きだった

 

ベアトリーチェ・ラナは

昨今

ぼくも注目しているピアニストだったから

 

バッハのチェンバロ協奏曲が大好きで

1990年代に熱中して以来

さまざまな演奏を集めてきていて

今でも新しい演奏を探して聴き続けているが

そんななかで

ベアトリーチェ・ラナの演奏は

バッハのチェンバロ協奏曲好きにとって

勘どころを心得た演奏をしていて

おやおやおや!

これはちょっと他のピアニストとは違うぞ

と気づいていたから

https://www.youtube.com/watch?v=dOsMjIOSqH4

 

好きな演奏家を

こうして

音楽のわかる誰かと共有できるのは

うれしい

 

しかも

このLINE繋がりのピアニストは

若い時にメシアンMessiaenに呼ばれて

パリのコンセルヴァトワールに留学した人なので

玄人中の玄人なのだ

 

この頃気に入ってる

アレクサンダー・マロフェーエフAlexander Malofeev

https://www.youtube.com/watch?v=uc3AkWPDGpg

ポリーナ・オセティンスカヤPolina Osetinskayaの演奏も

https://www.youtube.com/watch?v=KiUy5WBHRK4

 

https://www.youtube.com/watch?v=IwsTSkGHdoI&t=17s

 

さらに

おかえしに

もうひとつ

ヴァディム・コロデンコVadym kholodenko

粒立ったパーセルのGround in c minor

送っておいた

https://www.youtube.com/watch?v=2IP8Nvi_p8c

 

パーセルは大好きだが

36歳で病死した

バロック期のこの大作曲家の曲を聴いていると

彼の早すぎる死のことがちらついて

不必要なまでに

悲愴さを曲の背後に聴き取ってしまおうとしがちになるし

深いところで

どこか

意識が乱されるような感じがしてしまう

 

そんな

悲愴さと乱れを保ちつつ

Ground in c minorを聴く時には

ヴァディム・コロデンコの美しい名人芸よりも

アレクサンダー・マロフェーエフの

まだ若いというのに

衰亡と枯淡を指先から香らせはじめている演奏や

https://www.youtube.com/watch?v=uc3AkWPDGpg

ポリーナ・オセティンスカヤの

どこか朴訥な

即物的な点描的演奏のほうが

ふさわしいような気になる

https://www.youtube.com/watch?v=KiUy5WBHRK4

 

ということとパーセルを結びつけて

思ってしまいがちになるのは

彼が若くして逝ってしまったからだけではなく

キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』で使われた

『メアリー女王のための葬送曲』

Funeral Sentences for the Death of Queen Mary 

の印象の強さもある

https://www.youtube.com/watch?v=AVVpIoeBAO4

 

https://www.youtube.com/watch?v=87w599dyp3g

 

https://www.youtube.com/watch?v=xWRcx9LHBJU

 

https://www.youtube.com/watch?v=5e3izA4EsJk

 

もっとも

パーセルの死については

真偽不確かな

というより

まず外れているであろう伝説として

こんな話もある

 

大変な酒好きだったパーセルが

外で酒を飲んでばかりいて

なかなか家に帰ってこないので

妻が怒って

寒いある夜に

家に入れないようにしてしまった

しかたなく外で夜を明かしたパーセルは

風邪をこじらせて死んでしまった

というものだ

 

この話が

まず

違っているだろうと思われる理由としては

パーセルが閉め出されたらしい日は

ロンドンの天気はよかったという記録があることもあるし

死の数ヶ月前から病気だったということもわかっており

さらには

死の直前に走り書きした遺書には

全財産を愛する妻に捧げる

と書かれてもいる

ということも

ある

 

死んだのは

16951121日で

埋葬は26日だった

葬儀はウェストミンスター寺院で行われ

パーセルが教会音楽をたくさん作っておいたおかげで

彼自身の音楽で包まれたという

費用はウェストミンスター寺院が出してくれたというのだから

お得だったというか

役得だったというべきか

 

ところで

1900年代になると

パーセルは

急に

日本に親しい存在になってくる

 

パーセルの作品を多く含む楽譜の写本が

1917年(大正6年)に

徳川侯爵に売却され

侯爵家の文庫に

収められたのだった

 

この文庫とは

1901年に当主だった徳川頼倫(よりみち)が

麻布飯倉の自邸敷地内に開設した私設図書館「南葵文庫」で

ここには

代々伝えられてきた古文書・典籍類が収められた

「南葵」は

紀州徳川家のことを意味する

 

日本のものが収められたはずの「南葵文庫」に

ヨーロッパの楽譜が収められることになったのは

長男の徳川頼貞がケンブリッジ大学に留学し

音楽学を修めたことによる

 

頼貞はロンドンで

1917

合唱指揮者・音楽史家のウィリアム・ヘイマン・カミングズの

旧蔵楽譜・古書籍類がオークションに出たのを幸い

巨費を投じて購入した

この中に

ヘンリー・パーセルの歌劇『ダイドーとイニーアス(ディドとアエネアス)』の

現存するものとしてはおそらく最古の筆写譜を含む

1719世紀イギリス音楽の

貴重なマニュスクリプトが数多く含まれていた

 

帰国すると頼貞は

洋風の本格的な音楽ホールを建てて

地下に音楽図書館を併設する壮大な夢を持った

そうして実際に

1918

日本初の洋楽専用の音楽堂と音楽図書館を設立した

 

当時の日本では

演奏会を催せる場所としては

上野の東京音楽学校の奏楽堂があるばかりであり

さらには帝国劇場が

多目的ホールとしてリサイタルに使われるぐらいで

音楽専用のホールはなかった

という

 

頼貞は

手書き楽譜を含む膨大な

かつ貴重な

音楽資料をひろく一般に向けて公開した

 

父の徳川頼倫侯爵から

「徳川たる者

人様から金銭を貰ってはならぬ」

と固く教えられていたので
閲覧料は一切取らなかった

音楽堂で催されるコンサートもすべて無料で

日本近代の音楽文化を進めるのに

多大の寄与をしたことになる

もっとも

世間からは

「湯水の如く散財する道楽好きの殿様」

と馬鹿にされていたらしい

 

希有の貴重な存在であり

試みだった

この南葵音楽堂と音楽図書館は

しかしながら

世界大恐慌による経済危機のなか

徳川侯爵家の衰亡によって

1931

閉館となった

 

その後

父の徳川頼倫侯爵の建てた「南葵文庫」のほうは

熱海の伊豆山に移築され

「ヴィラ・デル・ソル」という名の洋館ホテルとして営業されている

という

 

作曲家ベンジャミン・ブリテンは

1956年に来日し

パーセルの『ダイドー』の古譜面を求めて奔走した

という

ブリテンの要請で

1958年から59年にロンドンで催された「パーセル三百年祭」の際

『ダイドー』の古譜面は里帰りを果たした



 

 

 

 

*徳川頼倫と徳川頼貞、「南葵文庫」と南葵音楽堂と音楽図書館については、沼辺信一氏のブログ「私たちは20世紀に生まれた」から、面白く貴重な文章の内容を全面的に使用させていただいた。

https://numabe.exblog.jp/7886455/

 

 

 


2026年5月12日火曜日

トイレのドアを細く開いておく

 

 

ちょっと

へんな話をします

 

トイレに入ったとき

便座にすわるとき

ドアをぴっちり閉めてしまわずに

細く開いておくのが

好き

 

ただし

他人のいないときに

限る

 

そうすると

ときどき

人でないものが通っていくのが

見える

 

ときどき

のぞきに来る

顔がある

 

のぞきに来る

目がある

 

できれば

廊下は真っ暗にしておくのが

最良だが

あかりがついていても

かまわない

 

廊下があかるくても

人でないものは通っていく

 

のぞきに来る

顔はある

 

のぞきに来る

目はある

 



いい初夏


 

気温が

もう

24度も25度もある

 

でも

空気はなぜか涼しく

気持ちよく

汗をかかないで

いられる

 

見上げれば青空

むこうには

まっしろく沸きたつ真夏の雲が

大きな入道のように

いくつも膨らんでいる

 

よく上る坂道の鉄柵には

はやくも

ずいぶんヒルガオが巻き付いていて

しかも

ピンクの花を

たくさん咲かせている

 

夏をこれから飾り

繁茂していくものたちが

どんどん背丈を伸し

張り出し

面積をひろげていこうとしていて

それでもまだ

湿り気が少なくて

さわやかさが肌にはあって

いい初夏だ

 

いい初夏だ




ゴールは死

 

 

人生はマラソンだ

などと

陳腐な比喩を

たまには

言ってみたくもなる

 

ゴールは死

 

速く走っても

ずいぶん差をつけられて

遅れてしまっても

 

だれのゴールも

 

こんな

チープな比喩を弄びながら

人生は

徹底的に設計ミスをした

くだらないアトラクションであり

出来の悪いイベントだ

知れ

だれかに言っても

みたくなる

 

ゴールは死

 

速く走って得たトロフィーも

遅れてゴールした結果の悔しさも

なにひとつ

ゴールのむこうへは

持って行けない

 

持って行かないで済む

 

 


2026年5月10日日曜日

道とはすでに異界である


  

 

車の往来の多い

すっかり夜になった表通りに沿って

舗道を歩いていく

 

道とは不思議なものだ

 

自分と同じ生存条件にある人間たちが

そこここを歩いており

同時刻

同じ場所を

行き交ってはいる

 

ところが

知っている人はふつう誰ひとりおらず

どこの誰よりも他人どうし

 

さらに言えば

他人という以上に

ただ「此処」の「今」をともにしているという他には

過去にも未来にも

仕事の上でも

どんな人間関係においても

人生的になんの接点も持たない

異界の者どうし

 

そんな存在たちが

右にも

左にも

前にも

後ろにも

蠢いていて

まっとうに「人間でござい!」

と見せている

 

少し時間が経ち

少し歩き続けて行ってしまえば

この地上で

金輪際見かけることもなく

顔をあわせることも

なくなってしまう

 

こちらも

むこうの存在たちも

同じ「人間」だと思い込んで見ているから

不安にもならず

慌てもしないのだが

ふと思い返して

考え直してみると

なんと異様この上ない事態だろう

なんと不思議な

抽象的な

非人間的な場を

当たり前の

ありきたりの

日常そのもの

だなどと

思い込んで

平気で行き来したりできている

ものだろう

 

道とはすでに異界である