2026年6月10日水曜日

歯みがき粉と練り歯みがき


 

 

小津安二郎の映画『お早よう』(1959)

17:56あたりで

林家の父親役を演じる笠智衆が

勤めから帰宅して

手を洗ったりした後に

「誰だ、洗面所で、歯みがき、こぼしたの?」

ちょっと詰問する調子で

子どもたちに聞く

 

https://www.youtube.com/watch?v=j0O3linOmGw

 

 

なんとなく

チューブから出した練り歯磨きを

洗面所の流しに落した光景を想像してみていたが

この映画を十回近く見直すうち

1959年頃

あるいは

映画制作時の1958年頃ならば

粉歯みがきの粉末を

洗面所の流しに落した

想像したほうがいいかもしれない

と思い直した

 

昭和の30年代や40年代ならば

喫煙家の家では

粉歯みがきのスモカを使っている家が多かった

ライオン製の粉歯みがきもあったらしい

 

もっとも

1958年頃に粉歯みがきばかりで

練り歯みがきがなかったかというと間違いで

厚生省と日本歯科医師会が主催し

ライオン歯磨(現・ライオン)が協賛した
1952
(昭和27)年の

1回「母と子のよい歯コンクール」のポスターには

「ライオン練歯磨」の絵が載っている

 

「母と子のよい歯コンクール」のポスター

 

ライオン歯磨株式会社としては

いつ頃まで粉歯みがきを中心として売り

いつ頃から練り歯みがきを売るようになったのか?

ライオン歯科衛生研究所のホームページによれば

1896(明治29)年に

「獅子印ライオン歯磨」が発売されたというが

この時は

粉歯みがきだったのだろう

 

獅子印ライオン歯磨第1号のパッケージ

 

 

一宮市の長坂歯科・矯正歯科の歯科助手の田中氏のサイト

「歯磨き粉の歴史」の説明によれば

「現在のようなチューブに入った歯磨き粉

1907年にドイツで生まれました。

日本では、明治44(1911)

初めてのチューブ入り練り歯磨き粉
小林富次郎商店の「ライオン固練りチューブ入り歯磨」が発売されました」

という記述があるので

「獅子印ライオン歯磨」が発売された後

15年後には

ライオンがチューブ入り練り歯みがきを広め始めたことになる

https://nagasaka-dental.com/2022/01/30/%E6%AD%AF%E7%A3%A8%E3%81%8D%E7%B2%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/


もちろん

「ライオン固練りチューブ入り歯磨」は

金属チューブ入りだったはずで

昭和の戦後しばらくの間も

歯みがきといえば金属チューブを押したり

絞ったりして中身を出して使ったものだった

金属チューブというのは

同じところが折れ曲がり続けると破れ

そこから練り歯みがきが漏れてきたものだが

1969(昭和44)

ライオン(当時の社名は「ライオン歯磨」)が

「ホワイト&ホワイト」の充填用容器として

ラミネートチューブを開発してからは

そんな金属チューブの不便さからも解放されるようになった

ライオンが持っていた特許が1976(昭和51)に切れると

他のメーカーもラミネートチューブを使い始め

現代のラミネートチューブ全盛時代に入った

 

現在では

歯みがき関係から

石鹸やトイレタリー用品や医薬品まで手がけて

当たり前に日本社会の至るところに見られるライオン株式会社だが

もともとは小林富次郎商店という名で

この小林富次郎という創業者のことをちょっと見てみると

これがなかなか興味ぶかい

 

1852(嘉永5)年に

酒造業を営む裕福な家庭の四男として生まれ

20歳過ぎに家業の没落を経験したらしい

上京して石けん工場に入ったが

会社は不況で倒産

その後も試練に遭い続けたという

39歳にして

東京神田柳原河岸に

石けんやマッチの原料を扱う小林富次郎商店を開業し

1896(明治29)年に

歯磨き粉の製造方法を研究し

「獅子印ライオン歯磨」を発売するに至った

 

明治時代の子どもたちのむし歯罹患率は96%にも達しており

それに危機感を抱いて

口腔衛生思想の普及活動に乗り出した小林富次郎は

使命感をもって製造販売を進めたという

歯磨き粉メーカーとしては後発だったが

優れた製品品質と巧みな宣伝手法で事業を拡大させていった


   「この歯みがきを使えば歯臭を治し、むし歯を予防すること妙なり」


と新聞広告し

口腔衛生思想の普及活動を行っていったが

1915(大正4)年の商品カタログは

海外での使用も見込んで

日本語、中国語、英語の3カ国語で書かれている

「獅子印ライオン歯磨」は

中国語で「獅子牙粉」

英語では“LION BRAND DENTIFRICES”

だった


小林富次郎は「算盤の聖者」と呼ばれたが

熱心で有能な事業家であるとともに

慈善の心に溢れたクリスチャンであったという

「事業収益は社会に奉仕すべし」を事業理念として掲げ

売り上げの一部を福祉施設などの慈善団体へ寄付するべく

「慈善券付ライオン歯磨」を販売するなどし

社会奉仕活動にも力を入れたという

 



 

2026年6月9日火曜日

夏は来ぬ


 

 

いろいろな花が

つぎつぎと咲いていく初夏は

あの花

この花

きょうはあそこ

あしたはここ

花々を追うだけでも

いそがしい

 

この時期に

忘れないようにと

聴き直しておくべき歌も

いっぱいあって

佐佐木信綱が作詞した『夏は来ぬ』も

そのうちの代表格だろう

 

誰もが知る唱歌だが

古語から現代語への過渡期の

日本語の粋を極めた

高雅な歌詞となっていて

いまの時代からふり返れば

これこそが

日本語の故郷であるかのような

望ましき原風景であるような

みごとな詩境となっている

 

卯の花の 匂う垣根に 
ホトトギス 早も来鳴きて 
忍び音もらす 
夏は来ぬ

 

五月雨(さみだれ)の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 
夏は来ぬ

 

橘(タチバナ)の 
薫る軒端(のきば)の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 
夏は来ぬ

 

楝(おうち)ちる 

川べの宿の 門(かど)遠く 

水鶏(クイナ)声して

夕月すずしき 

夏は来ぬ

 

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 
夏は来ぬ

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=qa6PvmbLyq0&list=RDqa6PvmbLyq0&start_radio=1

https://www.youtube.com/watch?v=2ExZlXbfoKM&list=RD2ExZlXbfoKM&start_radio=1

https://www.youtube.com/watch?v=UZQFbSaWzzg&list=RDUZQFbSaWzzg&start_radio=1

 

 

初夏の物の名を効果的に散らし

おのずと風景が浮かび上がるように歌い進め

理想の初夏の風土感を醸し出す技は

圧倒的といえるが

あくまで自然でやわらかく優しく

そうして爽やかである

 

万葉集や新古今和歌集の研究者にして

明治期の短歌隆盛の運動の軸のひとりであり

18歳にしてはやくも父と『日本歌学全書』全12册を刊行し

24歳にして森鴎外の「めざまし草」に歌を発表

落合直文や与謝野鉄幹らと新詩会を興し

短歌結社竹柏会を主宰して歌誌「心の花」を発行し

帝国学士院会員や帝国芸術院会員となり

御歌所寄人として歌会始撰者でもあり

文化勲章も受賞した大文学者ならではの

余技といっては語弊があるかもしれないが

日本の唱歌の世界に残されることになった至宝といえるだろう

 

大歌人であることも

忘れようもないはずなのに

あらゆる文物があまりに多くなりすぎて

意識や情報や知識の

忙し過ぎるようになってしまった

現代にあっては

ともすれば

佐佐木信綱の短歌を

しっかり

ふり返り直すのも

なおざりにされがちに

なってしまう

 

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

 

幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ

 

などといった

教科書に載せるのに欠かせない名歌は

もちろんのことだが

『夏は来ぬ』の語彙えらびや

風景えらびに

近い歌の数々は

これら

ということに

なろうか

 

みづうみにむかへる窓の薄あかりしらじらと夏の夜はあけにけり

 

やまぶきの花にふる雨細くしてこれの世を楽しとおもふ一とき

 

たでの花ゆふべの風にゆられをり人の憂は人のものなる

 

坂道の木がくれ道の木間もり夕日色こきいてふの落葉

 

春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり

 

音、光、心、相照り月と人と滝とただにある夜の深山に

 

くろみたぎつ荒磯くろしほ直下に見、潮の岬の秋風に立つ

 

門いづれば紫川のおと近み澄み浄き朝のわが心かも

 

山の色微かに明けて朝鳥の声おこる、谷のあなたこなたに

 

夕日しづみ木々の光り葉光消えて山静かにも暮れむとすなり

 

ゆふべとみに風ふきおこり(むか)()の杉の()()を雨もや走る

 

わた中のかかる島にも人すみて家もありけり墓もありけり

 

みづうみを越えてにほへる虹の輪の中を舟ゆく君が舟ゆく

 

秋の夜をふと眼さむれば明らかに洋燈の点いて居るが嬉しき

 

ますぐなる電車の道のまむかひにぽっかり赤き月のぼりたり

 

もちろん

稀代の万葉集学者であったから

万葉集や奈良や明日香に関わる歌に

忘れがたいものも多い

 

我が行くは憶良の家にあらじかとふと思ひけり春日の月夜

 

世は人はうつりいゆけど常春に霞める塔よ何を夢見る

 

靄ごもる布留の川添とめゆかば昔少女にけだし逢はむかも

 

ぬばたまのやみの野路ゆき山路ゆきまぼろし人を追ひ労れたり

 

ちらばれる耳成山や香具山や菜の花黄なる春の大和に

 

秋さむき唐招提寺鵄尾の上に夕日うすれて山鳩の鳴く

 

大門のいしづゑ苔にうづもれて七堂伽藍ただ秋の風

 

山高きみ寺のうちにあるほどは我もしばしの仏なりけり

 

春の日や絡繹としてやちまたを人行く、われは夢の野を行く

 

わが舎人松明の火を明うせよゆめの少女の行方もとめよ

 

からうじてわがものとなりし古き書も表紙つくろふ秋の夜のひえ

 

吾はもや此のうた巻を初に見つ千とせに近く人知らざりし

 

万葉の道は一道生のきはみ踏みもてゆかむこころつつしみ

 

とりわけ

二十巻しかないはずの万葉集の二十五巻目を見出した

という夢を見て

胸のとどろきが止まないという

万葉集学者ならばこその

ときめきを歌った

 

万葉集巻二十五を見いでたる夢さめて胸のとどろきやまず

 

などは

いま読んでもスリリングである

 

次のような埴輪の歌も

万葉集への傾倒の一環として

生まれてきたものだっただろう

 

人の世の千年は長き年月を埴輪の少女(をとめ)笑みつつあるかも

少女なれば諸頬(もろほ)につけし紅のいろも額の櫛も可愛しき埴輪

 

上つ代のわざをぎ人かおどけたる顔かたちせり裸形の埴輪

 

むかひをれば埴輪の面の親しもよそがうつろなる眼の親しもよ

 

他方で

学者としての仕事や歌人としての仕事に

日々

精魂を注いで

その合間合間の疲れや

ふと感じるむなしさを歌ったものにも

佳品が多い

 

仕事終へ今はも安きうつそみの身をよこたへて心さびしも

 

わが世に又あひがたき今日の日の一日も暮れぬ筆をおきて思ふ

 

夜に入れば秋らしき冷校正のインク薄きにわが目しぶるも

 

ひと巻の書かきをへつ夕庭の木蘭の花にしづかに対ふ

 

わが心くもらひ暗し海は山は昨日のままの海山なるを

 

歌おもひ日毎よりましし文机にわれはた倚りてここら年経ぬ

 

いつまでか此のたそがれの鐘はひびく物皆うつりくだかるる世に

 

道の上に残らむ跡はありもあらずもわれ虔みてわが道ゆかむ

 

もちろん

「心の花」の主催者として

作歌に対しては

ずいぶんと純真な

澄んだ夢を抱いてもいて

それを扱った歌にも

やさしさが溢れていた

 

願はくばわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや

   声ひくしひくくしあれど真心のこゑ天地にとほらざらめや

(あめ)にいますわが父のみはきこしめさむ我がうたふ歌調ひくくとも

 

おだやかな歌を歌う人でありながら

 

蘭の花のかをりめでたしすがすがしきよき人()べきよき夕べなり

 

こんな音の遊びも

すらっとできる人でもあった

 

友をつぎつぎ失って

老境に入っていく頃には

さすがに

孤絶の思いも

強まっていくようだった

 

渓の秋は夕日つめたし天地にただ一つなるわが影を見る

 

人いづら吾がかげ一つのこりをりこの山峡の秋かぜの家

 

呼べど呼べど遠山彦のかそかなる声はこたへて人かへりこず

 

この秋や暮れゆく秋の寂しさの身にしみじみとしみとほるかも

 

まさやかに見えつつもとな夢人の影追ひ()くとよろぼひあゆむ

 

人いゆき日ゆき月ゆく門庭の山茶花の花もちりつくしたり

 

とはいえ

絶筆

というわけではないものの

穏やかにたどり着いた心境として

この歌などは

ひろく記憶されるべき秀歌

と思われる

 

ありがたし今日の一日もわが命めぐみたまへり天と地と人と




2026年6月8日月曜日

ぴっち ぴっち ちゃっぷ ちゃっぷ

 

 

   都に雨の降るごとく
   わが心にも涙ふる。
   心の底ににじみいる
   このわびしさは何ならむ。

歌ったのは

ヴェルレーヌだったか

 

訳は

鈴木信太郎だったか

 

そうして


   大地に屋根に降りしきる
   雨のひびきのしめやかさ。
   うらさびわたる心には
   おお 雨の音 雨の歌。

続くのだったか

 

しかし

雨と都とわびしさを

ぼくときたら

結びつけたことはなかったし

外に降る雨を

こころに降る涙と接合したことも

なかった

 

どちらかといえば

わが北原白秋おじさんの発明した

 

ぴっち ぴっち ちゃっぷ ちゃっぷ

らん らん らん *

 

のほうが

雨にはぴったり来た

 

北原白秋おじさんの後に生まれた

にっぽんのガキを

バカにするでないぞよ

 

ヴェルレーヌなんかより

北原白秋おじさんのほうが

どう見たって

上なのだ

 

あめあめ ふれふれ

かあさんの

じゃのめでおむかえ

うれしいな

 

なのだ

 

 ぴっち ぴっち ちゃっぷ ちゃっぷ

らん らん らん

 

なのだ

 

 

 

 

 

*あめふり

https://www.youtube.com/watch?v=gDYcUk2GmNk&list=RDgDYcUk2GmNk&start_radio=1

 

https://www.youtube.com/watch?v=sj0JM3_KWyk&list=RDsj0JM3_KWyk&start_radio=1

 

https://www.youtube.com/watch?v=HJKUPlil5_Q&list=RDHJKUPlil5_Q&start_radio=1




世の中や人生のなかに来るのとは違う明日へ


 

 

関東地方も

梅雨に

入ったそうな

 

梅雨と呼ぶのも

悪くないが

雨季とか

雨期と呼んでみたくもある

 

雨期

という言葉の好きだった女詩人と

むかし

親しかったこともある

 

傘さして

雨のなかを

ああ

なんとたくさんの女たちと

そぞろ歩いたことか

 

荷物が多くなければ

雨中の散策も

わるくないもの

あまりに雨が吹きつければ

それはそれ

面倒だが

梅雨の頃の雨は

吹きつけるような雨でもないし

 

大きな公園の

亭の下へ雨やどりすれば

どの女とも

たちまち別世界が立つようで

若さと

人生のさかりとは

そのまま

夢の蔓を繁茂させていく草に

似ていた

 

大樹の下で

雨のあたらないベンチでも見つかれば

ちょっと座って

むかしなら誰でも持っていた

両切りの

強い煙草に火を付けて

ゆっくりと一本

吸ったりしたものだった

 

吸っているあいだの

遠く

近くの

雨の音を

聖なる音のように

聴きながら

世の中や

人生のなかに来るのとは違う

明日を

思い見ようとしたりした

 

そうして

一本を

吸い終わると

立ち上がり

歩き出したものだ

 

世の中や

人生のなかに来るのとは違う

明日へ