2026年6月3日水曜日

あなたは驚く

 

 

 

気づくと

街で見かけるひとびとが

みな

かわいらしくみえて

あなたは驚く

 

シャツのなかの肌に

じかに鼻でも寄せれば

きっと汗くさいに違いない

たっぷり贅肉の付いた男たちも

 

なにについても

いくらでも不平を浴びせそうな

不機嫌が顔にあらわに出た

中年の女たちも

 

まるでからっぽの脳だけを

あたまのなかに入れてあるだけのような

鳥類のつめたい目をした

こころの薄そうな若者たちも

 

あの贅肉にも

体臭にも

偏狭さや不機嫌さにも

点のようなつめたそうな目にも

なんと

容易な扱いようが

ちゃんとあって

どれもがやわらかく

やさしくなって

すすんで触れたくなるように

抱きしめたくさえなるように

すごく親わしく

かわいらしくなる

と気づいて

あなたは驚く







いま抱かれなばにほひたつべし


 

 

いい雨が降っている

 

 

こころはやわらぎ

たとえば

恋の近づきを

やわらかく

すなおに受けとめうる

水辺の土のように

はじまりの頃へ

戻っていく

かのよう

 

止まず

やみがたく

ひと思ふなり

 

という

藤井常世の歌などが

雨の季節には

しめやかに

いつのまにか

戻って

きている

 

いちにちを降りゐし雨の夜に入りても止まずやみがたく人思ふなり

 

恋するひとたちを

潤わせて

降りやまない雨

夜になってもやまない雨に

世界はしずかに

また

変貌していく

 

 

あるいは

また

そんな雨のやんだ後

大樹の下での

夜の

逢瀬の際

つめたい針のように

落ちてきて

感官を驚かせる

しずく

一滴

あるいは二滴

数滴

 

身を刺すは若葉のしづく(づく)のこゑいま抱かれなばにほひたつべし

 

「にほひたつ」のは

いちども表に出てきたことのない

我という仮面の底の

未知の

不可知の

しかし懐かしくもある

それ

かもしれない

 

 

思い出す必要もなく

繋げる必要も

まったく

ないが

響いてきてしまう

ランボー

『永遠』

 

 

見つかった。

なにが? ―永遠が。

 

Elle est retrouvée.
Quoi ? – L’Eternité.

Arthur Rimbaud L’Eternité

 



2026年6月2日火曜日

「a」と「o」の効能


 

 

  きのうの早朝

  このように教えは来て

  わたしに伝えられた

 

  如是我聞

(わたしはこのように聞いた)

   と

 むかしのひとなら

 言ったかもしれない

 

 

 

たとえば

からだと心をあわせ直し

整えたいのならば

a」の音を思ったらよいだろう

 

これは

人体を持つ地球滞在者にとって

もっとも自然な音

 

行者のように

むりに発声しなくてもよい

ただ「a」を思い

音をのばして「a~~~~」と思うだけで

じゅうぶん

それだけでもよい

 

地上に居るのは

なかなか

むりを伴った苦行なので

a」を思うことで

からだと呼吸と意識とこころと霊とを

あわせ直したらよい

 

からだのどこかを

もし治したいのならば

o」の音が効き目を発揮するだろう

ただ「o」を思えばいい

これは力の凝集した

重さのある非常につよい音で

発声してもいいし

音を出さずとも

o」の音に喉を帯びさせてもいいが

o」は「炎(ほのお=honoo=ooo)の核心なので

喉がすぐに渇いて

喉涸れしていくのを感じるだろう

注意しないと

o」はじぶんの喉さえ燃やしてしまう

なのでむりに発声しなくてもいい

ただ「o」を思い

からだや意識に響かせるだけで

いろいろなものが自然に癒やされていく

 

o」はつよい凝縮力を持ち

たいていの不調や病は癒やすことができるが

あわれな人間たちよ

誰もあなたがたに

このことを教えはしなかっただろう?

o~~~~」を思い止める時に

文化によってはわずかに「m」を響かせることがあるので

そこから「om」という認識が出たが

そのように言う必要はない

o~~~~~」だけを思えばよい

 

薬にも医療にも頼らず

みずからの不調を

じぶんで癒やすべき時代が来ている

あなたがたに「a」と「o」の効能を伝えておく

こころとからだにこの音を響かせて

内臓から血から細胞の数々を

みずから癒やすように

 

 


遅れるな、もう夏だぞ!

 

 

よい満月の見られた翌日には

ヤブカラシの生き生きと繁茂しはじめた鉄柵に

まだ6月のはじまりというのに

もうカラスウリの花が

いくつも咲いているのを見た

もちろんヒルガオも

なかなか丈夫そうな蕾をいくつも空に立て

ひときわ強く照りつける夏日のもと

花もいくつも咲かせていた

ビワの木にはいっぱいに実がなっていて

ゆたかな若い夏のさかりに

もう万物はすっかりとりまかれて

人間たちにも言っているようだ

遅れるな、もう夏だぞ!

夏の充実を遅れずに愉しめ!

みどりを見よ!

空を見よ!

すっかり夏仕様になった

雲たちを見よ!




2026年5月31日日曜日

ことば


 

 

子、川の上に在りて曰く、

逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎かず。

   孔子

 

子在川上曰、逝者如斯夫、舎晝夜。

   孔子

 

 

 

 

ことばなんか

ただの

ことばだ

 

ことばにすぎない

 

たしかに

そうも言える

 

しかし

ことばと呼びうることばに

多く出会えるか

出会えないか

 

これにより

ことばではないもの

こころとか

精神とか

たましいとか

意志とか

そんなものは

確実に

変わっていくのも

たしかだ

 

見たか

見なかったか

 

偶然

読んだか

読まなかったか

 

次のようなことばを

馬鹿にしては

いけないよ

若者よ


 

大隈言道

「人はよくもいへ

あしくもいへ

うけいひがたし。

ただ己に恥づ。」

 

葉隠

「不仕合せの時

草臥るる者は

益に立たざるなり。」

 

吉田松陰

「呉々も

人を哀しまんよりは

自ら勤むること肝要に御座候。」

 

吉田松陰

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。

生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」

 

榎本武揚

「捨華取実」

 

松尾芭蕉 『笈の小文』

「其貫通する物は一なり。

しかも風雅におけるもの、

造化にしたがひ四時を友とす。

見る処、花にあらずといふ事なし。

像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし、

心花にあらざる時は鳥獣に類す。

夷狄を出、鳥獣を離れて、

造化にしたがひ

造化にかへれとなり。」

 

 

 

 

寺院


  

神霊の修行者ならば

そう自覚したり

それに近い自覚を持つひとならば

からだが寺院

だと

だれもが思うだろう

わかっているだろう

 

だから

寺院にふさわしく

からだを整え

清潔にすべきだと

わかっているだろう

 

さて

からだが寺院ならば

時間も空間も寺院

ではないか

 

時間と空間に

さらになにかがプラスされた

現実

と呼ばれるものも

寺院

ではないか

 

そして

おそらく

無も

空も

寺院であろう

 

寺院

などという発想を

しないことも寺院であろうし

寺院か

寺院でないか

まよったり

定めがたかったりするのも

寺院であろう

 

目を開けても寺院であり

目を閉じても寺院であろう

 

見え

聞こえる世界が

寺院であり

見えること

聞こえることが

寺院であろう

 

ならば

見えないとき

聞こえないときも

寺院であり

見えないこと

聞こえないことも

寺院であろう

 

 


そういう意味でならば


 

 

「あゝ 今おれは彼に会ってる、確かに会ってる、今は」

        木下順二

 

 

 

「愛している」

と言う

 

これを聞いたり

言われたり

言うのを見たりする

 

困ってしまう

 

よくわからないのだ

この人たちが言う

「愛している」

という

表現の意味が

 

「好きだ」

とか

「大好きだ」

では

いけないのか?

 

ことに

ヨーロッパ人やアメリカ人は

頻繁に

「愛している」

と言う

 

もう

大安売りだ

 

夏になってきて

川のほとりに立つ

蚊柱のように

「愛している」の

総攻撃だ

雲集だ

大発生だ

 

アマゾンのインディオ

ヤノマミ族は

「愛している」という意味あいで

「わたしはあなたの存在に染められた」

とか

「あなたの一部がわたしのなかに入り込み

住みついて

だんだん大きくなっている」

とか

言うらしい

 

「愛している」が

そういう意味なのならば

わからないでもない

使えないでもない

 

そういう意味でならば

そのひとの「存在に染められた」

と感じたひとたちや

そのひとの「一部がわたしのなかに入り込み

住みついて

だんだん大きくなって」いった

と感じたひとたちに

遅ればせに

ほんとに

あまりに遅すぎではあるけれども

「愛している」

いま

言えるような気がする