木を愛し
草を愛しているわたしだから
病気でもない木に
このようなことはしないでほしいと思う
https://x.com/labbe_tonniere2/status/2108263852232310837
ひとりの人間の
感情も
思想も
夢も
希望も
まったく重要ではない
すべては
なにをしているか
なにをしていないか
それだけで
決まる
このように木を切り倒し
なにごとかを為したかのように
よろこんだり
偉がったり
はしゃいだりするなら
その瞬間から
その人は
わたしにとって人ではなくなる
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
木を愛し
草を愛しているわたしだから
病気でもない木に
このようなことはしないでほしいと思う
https://x.com/labbe_tonniere2/status/2108263852232310837
ひとりの人間の
感情も
思想も
夢も
希望も
まったく重要ではない
すべては
なにをしているか
なにをしていないか
それだけで
決まる
このように木を切り倒し
なにごとかを為したかのように
よろこんだり
偉がったり
はしゃいだりするなら
その瞬間から
その人は
わたしにとって人ではなくなる
結局は謎の中を
知恵は通っていかなければならない
エミリー・ディキンソン
9月29日から10月7日まで
パリでは
2027年ウイメンズ春夏のコレクションだったので
ちょっとパリに行ってみていたが
すべてのコレクション会場に
入るわけでもないので
ハローウィンを先取りした路上でのデモ騒ぎや
大声張り上げ騒ぎなどを
遠巻きにちらちら見たりしていたが
なにせ
連帯趣味もないし
主張が嫌いだし
わがミューズはマラルメと同じく
「〈無力〉という近代のミューズ…」でもあるし*
ミルトンの『失楽園』のサタンの言うように
さらにはまた
ジェイムズ・ジョイスの座右銘でもあったように
NON SERVIAM
(われは仕えず)
こそ
わが銘であるし
なにより
エミリー・ディキンソンの書いたように
大声で生きるなんて耐えられない
大さわぎはいつも恥ずかしかった
のだから
面白くもない人体がごそごそ集まっての
アリごっこ
を見ているのには
すぐに
飽きてしまって
結局は
やはりいつものように古本屋を
ぽちぽち
まわったりして
やはりいつものように
どうでもいいような
どうでもよくないような
本を
またちょっといっぱい買っちゃって
ちゃんと読む
というのではなしに
ぱらぱら
ぱらぱら
あっちこっちのページをめくって
豪華な
贅沢な
蕩尽的な時間の使い方の
最たるものを
またやらかしてしまうためにカフェのテラスにちょこなんと座って
もちろんエスプレッソのドゥブルを頼んで
洋梨のタルトも頼んじゃって
ちゃんと読み直していなかったモリエールの何冊かも
もちろん面白そうだったが
むかし1985年のこと
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグさんの家に呼ばれていった時に
マンディアルグさんがふと洩した言葉
「サドだったら
私はいま
『ジュスティーヌ』が面白いかな…」
この言葉に誘われて
家にあるというのに買い直してしまったポッシュ版の
ベアトリス・ディディエ校訂版の『ジュスティーヌ』を
よく熱が入ってとろとろになった洋梨を舌の上にほろほろさせながら
ページを繰り始めると
ああ
これって三島由紀夫の文体!
って懐かしくなり
そうかサドって三島由紀夫だったんだなやっぱり
と奇妙なふいの納得
1985年にわたしをマンディアルグさんに会わせてくれたのは
マレー区住まいの老女リュースで
髪はボサボサ
着ている物はいつもモコモコの古い毛皮だったが
昔はアンドレ・ブルトンの愛人で
本人も美術評論家になりかけたそうだったが
うまく続かなくて
マレー区の文化的放浪女のようになった
らしい人
ぶっきらぼうで
いつも
酒の臭いをぷんぷんさせて
議論で激すると
食事の際に握っているナイフを振り回すので
まわりの友人知人たちはヒヤヒヤしていたものだったが
なぜかわたしには親しくしてくれて
あるディナーの時
「アンドレに会わせるわ」
と言ったものだった
アンドレ
なんてフランス人にはいっぱいいるので
「どのアンドレなの?
ひょっとして、死んでいるはずのブルトン?
降霊会で呼び出すとか?」
などと聞くと
「マンディアルグよ」
というものだから
「へええええええ」
と驚いてしまった
リュースはとうに死んでいるはずだが
なぜだか
いつのまにか
リュースとは疎遠になってしまって
どのように老い募っていったか
どのように死んでいったか
わたしには伝わってこなくなってしまった
フランスの二代や三代前ほどの世代の
一時期は
もっとも親しくつき合った人たちのうちのひとりで
かつてはシュールレアリストたちと親しんでいた
マレー地区のリュースよ
その霊の安らかならんことを
https://www.youtube.com/watch?v=r99lvk32nIY
https://www.youtube.com/watch?v=1V2cQhMj9FY
https://www.youtube.com/watch?v=yJMkhstsLpY
https://www.youtube.com/watch?v=bHucumEDoWU
https://www.youtube.com/watch?v=QJAhSRJLhrU
https://www.youtube.com/watch?v=eWOl2RhllrE
https://www.youtube.com/watch?v=weNFjc2l1Hw
https://www.youtube.com/watch?v=kzLdQeh1vBs
*マラルメ『文学的交響曲』
船が港に入ると
わたしに最も愛された卵が別れを惜しんで床に落ち
しかし割れず
レストランフロアの奥の
開いていたドアから廊下へと転げまわっていって
その後はどこをどう辿っていったのかわたしにはわからないが
海へと飛び降りた
という
アーメン
おお 処女なる卵よ
海の神はおまえに敬意を表して
きっといつまでも割れることのないように水でやさしく守り
何年も何十年も
ひょっとしたら何百年も
塩のたおやかな海水でおもてを揉んで
ほどよい塩味を中に浸透させて
格別にうまい黄身と白身を育んでいってくれるだろう
ここまで
あえておまえの名を言わないで来たが
メアリ・きみこ・クラランス・ジェーンというのが
おまえの名
航海のさなかに卵を食べる時
わたしはいつもひとつひとつに名を付けて慈しみ
しばらくは指で貴重な玉のように回し
手のひらに取っては
両の手のひらでやわらかな餅のようになで続けたりするのだが
たいていは複数個載せてある卵台の上に
それぞれ名の付いた卵たちに
つい今しがたまで触れていた卵を戻しては
べつの卵を取ってみたり
それもすぐに戻して
また別の卵を取ってみたり
メアリ・きみこ・クラランス・ジェーンのことは
なぜか
すぐに食べてしまわず
何度も卵台に戻してはまた取り
また戻しては
また取り
をくりかえして
思えば長い逢瀬を愉しんだものであった
愛というのか?
これを?
永遠に海へと失われてしまった今となっては
おお
メアリ・きみこ・クラランス・ジェーンよ
おまえを適当なところで割って
殻の裏側の
そう
頭蓋骨の裏側のような
処女なる白さを
しっかりと見ておくべきだった
と悔やまれる
卵を割って
殻の裏を見ることの
ああ
なんという猥褻!
思えば
それだけを日々愉しみに
待ち望んでの
小さくつましい
わが悦楽!
フランスで騒乱が続いている
マスメディアでは
高校生たちが
学校での教育条件の悪さに対して抗議している
と報じている
報じたがっている
しかし
XやYouTubeにアップされた映像を
いろいろと見てみると
路上に出て騒いでいるのは
高校生だけでなく
黒づくめのアンティファたちのような姿も目に付く
フランス全土で
騒乱がいっせいに起こっているのも
これまで各国で起こった騒乱を思い出させる
夏にモロッコからスペイン領セウタに流入した不法移民のことも
思い出させる
単に高校生たちだけが起こした騒乱ではない
と見ておくのが
やはり正しいのではないかと思われる
ともあれ
世界中のニュースは大騒ぎだし
SNSでもたいへんな騒ぎになっている
ここでひとつ
怪談じみた話をしておこう
ようやく
秋も深まってきての
怪談である
フランスのこの騒乱について
マスメディアより詳しく報じているSNSやYouTubeを選んで
私なりに編集して
フランス語を学んでいたり
フランスに興味のある何人かに
送ってみた
結果は
みごとに無反応だった
パリの街角情報や
グルメ情報や
観光情報などには
なにかしら
反応してくる人たちなのに
フランス全土を揺るがすような騒乱沙汰には
いっさいの無反応
そんなことは起こっていない
とでも
いうように
ピクリとも反応しない
こうした無反応は
これまでのフランスでの騒乱の際にも
同じだったし
なんらかの政治的問題の際にも
同じだった
フランスが好きだとか
フランスに興味があるとか
だから
フランス語を勉強し始めた
という
日本人のほとんどが
観光や
グルメや
ファッション以外には
フランスについて
いっさい無反応になるのだ
とりわけ
社会問題のこととなると
驚きを通り越して
恐ろしいまでに
不感症のようになってしまう
怪談
というのは
フランスに興味があって
フランス語もちょっと勉強している日本人の
この無反応さの
あまりの異常さや異様さの
ことである
フランスで起こっている
高校生たちの反乱や
それを裏で動かした組織的な勢力よりも
はるかに
日本人の無反応さのほうが
私には恐い
今に始まったことではない
やさしい
善良な
ごくふつうの日本人たちは
ガザでの虐殺にも無反応だったし
裏の闇の巨大すぎるウクライナ問題にも無反応だったし
諸国で起こる天候異常による災害にもほぼ無反応だし
国内のさまざまな災害にも
自分が当事者にならないかぎりは
まず
無反応である
これ以上の怪談が
ほかに
あるだろうか
フランスで騒ぎ
建物を壊したり焼いたり
車やバスや消防車を焼いている
高校生やアンティファが異常だとか
それらを間違って解釈したり
わざとねじ曲げて解釈したりしている評者たちが異常だとか
思われるかもしれないが
現に迫ってきている危機や変化に
とにかくも過敏に対応するフランスのほうが
あらゆることに無反応なまますべてを済ましていき
また済まされてもいくであろう日本人よりも
よほど正常な気がしてならない
ごく普通に私が使う聖書は
日本聖書協会の新共同訳聖書(2013)で
表紙は黒いビニール装だが
上にライト・グリーニッシュ・ブルーの紙カバーが掛っている
その紙カバーは捨ててしまってもいいのだが
ライト・グリーニッシュ・ブルーの色が
またはグリーニッシュ・スカイともいうらしい色が
書庫に置くにはきれいに軽くて
そのまま掛け続けている
日本語でならば
みずいろ
みず色
水色
などと呼ばれそうな
その色合いの
軽さは
1973年のあべ静江の「みずいろの手紙」の
軽やかで
はっきりした
日本語発音の快さを
ちょっと
思い起こさせる
https://www.youtube.com/watch?v=qp-_LBQCRnk
そのライト・グリーニッシュ・ブルーに
しきりに惹かれて
手に取ってみて
よくドストエフスキーがやっていたように
でたらめにページを繰ってみると
歴代誌下のソロモン王の記述やシェバ女王の来訪のことなどが
2026年の今まさに読み直されるべきこととして
角膜に吸い込まれるように飛び込んできたが
ソロモン王の父であるダビデ王のことに少し戻って
見直しておきたく思い
いくらか遡ると
ダビデ王による神殿建築の宣言の章(歴代誌上28)に突き当たった
そうして
ダビデがイスラエルの長たる者をすべてエルサレムに召集し
立ち上がって言った言葉に
少し驚かされた
「わたしの兄弟たち、わたしの民よ、聞け。
わたしは主の契約の箱、
わたしたちの神の足台を安置する神殿を建てる志を抱き、
その建築のために準備を進めてきた。
しかし、神はわたしに言われた。
『あなたは戦いに明け暮れ、人の血を流した。
それゆえ、あなたが
わたしの名のために神殿を築くことは許されない』
と。」
今ふうに言えば
「神」と呼ばれる高次存在とチャネリングしていたダビデだが
その「神」は
ダビデが戦いに明け暮れ
人の血を流したから
ダビデが「神」の名のために神殿を築くことは
許されない
と明言していたのだ
この言葉は
現代では
巧妙に
都合よく
忘れられてしまっているようだが
ダビデの「神」は
厳しく
想像以上に真の「神」であったことが
こんなひと言からも
わかるように思う
旧約聖書は
ユダヤ教に属さない者たちから見れば
ユダヤ人の経典であり聖書であるかに見えるが
素直に読んでみればすぐわかるように
預言者たちによる厳しいユダヤ人批判の書であり
旧約聖書の「神」とユダヤ人の間には深すぎる断層が存在し
その両者は完全に分断された別物であり
ここに逆に
旧約聖書の普遍的な人類的な価値が湧出してくる
たとえばエレミヤ書の
栄えある都、わが喜びの町は
どうして捨てられたのか。
(49.25)
あるいは
また
立て、攻め上れ。
安らかに暮らしている
穏やかな国に向かって、と主は言われる。
(49.31)
などが
ユダヤ教の内外と関係なしに
強くすべての人間の意識を刺激してくる理由が
ここに発生する
ところで
私の聖書の紙カバーの
ライト・グリーニッシュ・ブルーの色
またはグリーニッシュ・スカイともいうらしい色
みずいろ
みず色
水色
のほうに寄り添い直して
あべ静江の
「みずいろの手紙」へと向き直ってみると
みずいろは涙いろ
と
歌われていて
そんな便箋に
泣きそうな心をたくします
と
阿久悠の作った歌詞は
続けられていく
ライト・グリーニッシュ・ブルーの色
またはグリーニッシュ・スカイともいうらしい色
みずいろ
みず色
水色
の
紙カバーの日本語訳聖書が
涙いろの
便箋に
たくされた
泣きそうな心
とまでは
もちろん考える必要は
ないのだが
お元気ですか
そして
いまでも
愛していると
言ってくださいますか
とか
愛していると言われた時が
だんだん
遠くなるみたい
手紙読んだら
少しでいいから
わたしのもとへ来てください
わたしのもとへ来てください
という歌詞を
聴き直していると
神よ、わたしは貧しく、身を屈めています。
速やかにわたしを訪れてください。
あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。
主よ、遅れないでください。
(詩編70.6)
といった詩想の
すぐ近くを
あべ静江の明瞭な声は
飛んでいるように
感じられる