2024年6月5日水曜日

書いた、愛した、生きた


  

 

Henri Beyle. Milanais. Il écrivit, Il aima, Il vécut

Romain Colomb,

le cousin et ami d'enfance,

exécuteur testamentaire de Stendhal

 

 

 



 

寝落ちしていた

 

夢のなかで

海沿いの崖の大きなくぼみに

大きな机を据えて

書斎にしていた

 

椅子のうしろは

舗装された道になっていて

ひとも車も

平気で通っていく

 

道の端には

ガードレールがあって

そこから下は

断崖絶壁の海

喜ぶぞ

ヒッチコック

この断崖を見たら

 

寝室とか

べつの部屋は

となりのくぼみに作ってあって

そっちのほうは

書斎みたいにオープンにしていなくて

ちゃんと壁があって

家になっている

 

椅子から立ち上がると

くるっと

うしろを向いて

よく

海を見晴らす

 

まったく

なんてすばらしいところに

住むことにしたんだ!

机にしばらく向かって

ちょっと振り向けば

いつでも

こんなふうに大海原!

これ以上の幸せは

そうあるもんじゃない!

 

道路に

すっかり開けっぴろげにしている

オープンな書斎だから

机に向かっていると

歩いて行くひとも

なにをやっているんだろう?

とちょっと知りたげだが

邪魔してくるひとはいない

 

ときどき

すこし強まる海風が

袖をはたはたさせたり

机の上の紙を

持っていこうとしたりするのが

邪魔といえば

まあ

邪魔かな

 

でも

大丈夫

 

ヴァレリーの本を

開いたり

閉じたりした海風ほど

強くは吹いて来ない風だから

 

見晴らす海には

岩も見えず

波が飛沫となるさまもなく

陸へと押し寄せて

屋根や机や紙束を

打ち破るとも

見えない波たちだから

 

「風が立つ! 生きねばなるまい!」*

とヴァレリーは歌ったが

もう十分

生きたから

スタンダールが1842年に死んで

たった三人だけの会葬者で行なわれた葬儀の後

従兄弟ロマン・コロンブが

モンマルトル墓地の墓に刻ませた

「書いた、愛した、生きた」**

という文句のほうを

いまは

呟いておくべきかもしれない

 

そういえば

生前

軽蔑され

嘲られさえしていた彼は

予言するように

「ぼくは1880年に知られるだろう

1930年に理解されるだろう」***

と言っていた

 

バルザックだけは

はやくも

1840年の時点で

『パルムの僧院』に讃辞を捧げていた

 

 




 

* Paul Valéry : Le cimetière marin (「海辺の墓地」)
**《
Henri Beyle. Milanais. Il écrivit, Il aima, Il vécut》

*** « Je serai connu en 1880. Je serai compris en 1930 »

 





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