2011年5月22日日曜日

燐の明り



若いころは
無理にも人の目をみつめ
真摯なふりをして会話したのに
歳を重ねてからは
むしろ目を逸らして話す
そんな自分になっているなあと
気づく

だれと話していても
展開は見え切っている
結論にも
新しいものにも
言葉では行きつかない
ことに近ごろは
なにかと冗談に落とさないと
へんに真面目な人や
意固地な人と映る

会話さえ
お笑いなしには
できなくなってしまった国
上っつらのじゃれ合いが
過ぎ去ったバーゲンの広告旗のように
はたはた
はたはた
はためくほどに
募るさびしさ

冗談に落とし込みながら
こいつもダメかと
会話から魂を引き抜きはじめる
その場の言葉が
なめらかに滑っていくことばかりに
とりあえず気を配って
たいていの人が
言葉のいのちを終えていくらしい
生まじめに
ふつうの言葉で
ふつうの人たちが話しあいをする
外国の映像や本に
こんな時は
また手が伸びる

冗談や笑いは
仮面の口からばかり出て
あたりの人びとに
もっと分厚い仮面を付けさせる
こいつもダメかと
だれもが魂を引き抜きはじめ
抜け殻たちのさんざめきが
宴の場に響く
きらびやかな明りは
燐の明り
今宵も亡霊たちが
燐火の群舞を続けている

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