2011年12月11日日曜日

たちあがりの遅いパソコンも…



わたしの未来がしずかに階段をのぼる…
エミリ・ディッキンスン





たちあがりの遅いパソコンも
そのうち
懐かしくなるだろう
霧がかかりはじめている湖のコテージで
ぼくは厚手の
やや黄いろがかったペン書き用紙をひろげる
靄はどのあたりから
霧になるのだろう
手に触れて来ているこれは
まだ靄だろうか

この世にもう読み手のいない
遠い書き物を続けている
ぼくにだけ
届けばいいのだ
たいていのものが
ぼくに届いてこない世界だから
いろいろなことが過ぎ去った後で
恵まれたのは
しずかな心
靄を喜び
曖昧なものを愉しむ
まだ現われぬもの
消えゆくもの
物質らしからぬふるまいを
物質たちがするところ
たとえば
蓮の葉とか
また
それが消えた後の水面の
空の反映
とか

どうやら永遠らしい
時の停止を生きてきた
若葉
それのありかがわかれば
落ち着いてしまう
なにもかも
…いても
いなくても
あるものって
さあ
なんでしょう?

たちあがりの遅いパソコンさえ
持たず
やや黄いろがかったペン書き用紙をひろげる
靄のなか
ぼくにだけ届けばいい
遠い書き物

…懐かしくなるだろう
すべて
靄はどのあたりから
霧になるのだろう
手に触れて来ているこれは
まだ靄だろうか…

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