いま再び
こんなふうに始めるように
詩のかたちで書く時
じつはいつも
なにも考えていないし
なにを書くか決めてもいない
霊の言うままにペンを走らせるやり方や
無意識のままに書く自動筆記というのがあるが
それに近いぐらい
なにも決めないで書きはじめる
過去のなにかの問題や
気がかりな経験などを書いているようでも
本当は
ついさっきまで
心にもなかったこと
嘘ではないが
それらを心に抱えてきたのではない
ものを書くと
どうしてもなにかに悩んでいたり
考え込んでいたりしたように見えてしまうけれど
本当になんにも考えていなかったんだ、さっきまで
チョコレートをひとつ摘まんだり
たまにはショートケーキが食べたいと思ったり
時間の都合がついたら
美術館をいくつか廻らなければと思ったり
朝顔を今年はどう蒔こうかと考えたり
そんな頭の使い方はしていたけれど
詩に書くべき内容なんて
まったく考えてもいなかった
まわりでよく人が死んでいくので
死について書くことは自然に多くなるのだけれど
だからといって虚しいとか
哀しいとか
空虚だとか思っているわけではない
そういう表現もよく使うかもしれないけれど
虚しいと言うのは楽しいし
哀しさはうれしいし
空虚はちょっとかっこいい
それだけのこと
大事故や戦争が起きたり
大量に人が死んだりする時にも
やっぱり死を語りながらそういう表現をすると思うけれど
そうすることで脳に快楽を得るからなのだと思う
そうじゃなきゃ言いません
そうじゃなきゃ書きません
そういうもんですよ、詩を書くっていうことは
…ここまでこの詩を書いてきて思うのは
さて
なにかモノを書きこもうか
どうしようか
ということ
思念というかおしゃべりというか
ずっとそれだけで今回はここまで通してきたから
少し違う色を付けて終えようかとは思う
そのほうが効果が出て
読む人の心になにか残りやすいから
でも
なんとなく譲歩でもあるし
へつらいでもあるし
卑屈でもある
そんな効果を計算して詩を書くのは
で
今回は他の色を無理には加えず
おしゃべりというか
しゃべくりというか
駄弁というか
まぁそんなものだけで終わります
季節は四月
染井吉野はだいたい散って
これから楽しいのは山桜
次には藤
次には牡丹
ただ花々が次々咲いて
みどりがだんだん深くなる
ただそれだけで
いい季節
これに寄りそうのが
人生のあるべきかたち
四季の草木や
山川海の
うつりかわりを我として
透明な風のように
ただ居るだけが
いいかたち
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