2012年8月20日月曜日

生きることはどこに転がっているだろう



生きることは
どこに転がっているだろう

込んだ列車から降りた時
駅の柱のわきに落ちていた
キティーちゃんの小さなストラップ

いつもよりちょっと遠くに
サンドイッチを買いに出た街角で見た
外国の女の子のスカートの
鮮やかなプリント柄

混雑するデパ地下で
高価なおいしい惣菜を買って
知りあいの入院する病院に
助カラナクナルカモシレナイ…とも思いながら
急いでいく時の
夕雲の壮大な光景

たまの数日の休み
片付けや掃除のさなか
ふいにいつもと違う雰囲気で
やわらかい清潔な
畳まれた死体のように
整理ボックスに静まっている
たくさんの衣類

仕事や用事や人づきあいに追われ
こんな日々のくりかえしでは
生きているとはいえないと思い
自分も
よりよく生きる希望も
投げ出してばかりだけれども

生きているのかもしれない
生きてきたのかもしれなかった
気づきが追いつかないだけで
生きることに
たっぷりと
本当は浸されながら

死んでいった人たちの
いつもより
もっともっと
顔の力を抜いた
深い忘却の眠り顔の秘密は
それに気づいたこと?

死の間際になって
大急ぎで宿題をするように
全人生分の気づきを
駆け足でやり終え
ホッとした顔なのかもしれない

どうこう言っても
生きてきたじゃないか
あんなにも
生きてきたんだった…

そんなふうに安堵し
生きることの本を
ゆっくりと閉じたような
あれらの顔


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