2013年5月16日木曜日

正しい道にいる証拠






正直なところ自我というものはずいぶん希薄になったと思う

しあわせになろうとも思わないし不幸とも不満とも思わない
がんばってもっと長くこれ以上生きようと思うわけでもない
かといって進んで体を損ねこの世を足蹴しようとも思わない

もちろん戦争地域にいるのならこんな心持ちではいられまい
が事実としてそうでないところにいればちがう心持ちとなる

戦争地域でも災害地域でもないところに生きている者たちは
季節のよろこびを細かく見つめ花や鳥を愛で清い流れや光や
若葉青葉に見とれ空や海の青に吸われ続けなければならない
まずまず平穏に生きられる人間たちにはそうする義務がある

不幸や残虐の皺寄せが方々にできる地球の上ではいつも
だれかが地球のうつくしさと素晴らしさを日々経験しつづけ
そこ此処のよろこびやうつくしさを記憶しつづけていかねば

そうする時にわたしだのぼくだのはたいていはどうでもよい

たまに青空や雲を見上げるだけでは足りないのだろうけれど
数万回もながくながく青空や雲の妙を見つづけてみた者らは
わたしだのぼくだのというレンズを通さずに青空や雲を見る

あいもかわらぬ自分だと思うし外からもふつうに見えようが

季節のよろこびを細かく見つめ花や鳥を愛で清い流れや光や
若葉青葉に見とれ空や海の青に何万回も吸われ続けたならば
自分のわたしだの自分のぼくだのを頑固に押し続ける自我は
いつのまにか焼きつくされてしまうかあるいは透けてしまう

そういうものなのでなんの不思議もなく特別な練習もいらず
人びとはみな透明にからっぽに軽くかるくかるくなっていく

じぶんはどうでもいいとかじぶんなどいらないとかじぶんは
そもそもいないも同じだったしほんとにからっぽだと感じて
うきうきうれしくなってくるようならば正しい道にいる証拠

                          
   



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