2013年7月8日月曜日

まだまだ!






いまはむかし
1980年代のこと
夏のお盆の頃に組まれた
お昼のワイドショーの怪奇特集は
じっくりと作られていて
よかった
本当か作り話か
わからないとはいえ
読者からの投稿をもとにしていて
お化けばなしが
どれもちゃんとした人間ばなしになっていて
わざとらしい叫びや
大げさなこわがりなしに
しっとりと
じとっと
いい感じの怪談になっていた
新倉イワオさんという
放送作家だったか
プロデューサーだったかが
出ていたが
落ちついた口調で
霊の事情を解説していて
説得力があった
ずいぶん長い年数続いたように思うが
これがなくなった頃から
どれであれ
テレビの怪談物の質は
急激に悪化した

その頃
ぼくはエレーヌと暮らしていて
ふたりとも心霊マニアだったものだから
仕事も休みの夏のお盆の週は
昼食のフルーツや
ライ麦パン
全粒粉パン
ミッシュブロート
ソビエト製のはちみつ
ときにはサラダなんかも
準備しておいて
食卓のローテーブルを
お昼の12時からテレビの前に移し
40分ほどを
一時も聞き逃すまいと
喰い入るように
テレビを見つづけた
そもそもからして
出会って
八時間ほどの長きにわたって
喫茶店でお化けばなしをし続けたのが
なれそめだったのだから
東に幽霊出たとあれば東に行き
西に怪異現象発生とあれば西に赴き…と
あわただしい
怪異ハンター二人組とは
あいなったものだった

お昼のワイドショーの
恒例!お盆の怪奇特集!が終わると
午後の一時頃となり
なんとなく昼寝をしたり
本を読んだり
ながくヨガをやったり
しばらくすると
近くの下北沢に買い物に出たり
そんなふうに
夏のヴァカンスは過ごす

夕方になると
サラダばかりの
軽いかるい食事をし
夜も遅くなると
散歩に出るのだった
駒場のほうへ
東大の暗くなった構内や
駒場野公園や
ときには代々木まで
渋谷まで
ずっと歩きに出るのだが
ひとの少なくなった
夜遅くのアスファルトの道は
どこか未来の光景のようで
どこもかしこも不思議だった
公園があると
大きくても
小さくても
ベンチをみつけては座り
いつも持っていた
ゴロワーズをエレーヌは取り出して
ふたりで一本ずつ
たっぷりと吸い
両切り煙草なものだから
口に入る刻まれた葉を
ときどき吐きだしながら
人生には
ちょっと毒が必要だと言っては
また歩き出すのだった

あの頃がいちばんよかった…
とは
フローベールとはちがって
ぼくは言わない
いちばんいいのは
いつも今
この今
エレーヌは死んでしまっても
あれらすべてが
過ぎ去ってしまっても

生きている人が死んでいて
死んでいる人こそ生きているような
…と、鈴木清順は
『ツィゴイネルワイゼン』で言わせていたが
「死は、ない…」と言った
タルコフスキーの思いを引き受けながら
ぼくは言う、
なにもかもが生きつづけていて
なにもかもがあり続けている
と…
なにもかもがあまりにあり続ける
そんな事実に耐えかねて
意識は生成の直近しか見えないふりをするようになったのだと
ぼくは思う

たくさんのものを
テーブルの上に投げ出してみるだけでも
もう
ぼくらは見切れない
ひとつを見れば
他のものを見れない
いま見ているもののために
さっき見たものが意識の表面から後退する
さっきのものをよく思い出そうとすれば
目の前のものが霞んでしまう
おお老いて衰弱していくと自称する人びとよ
老いて衰弱していく暇はないぞ
ひとつを見れば他のものが見えなくなるこのこととは
どういうことか
意識と世界生成の秘密の根幹の根幹はなにか
まだまだ体験的把握が足りない!
意識に騙され続けてきたぼくらなのか?
それともこんな地上体験のしかたでも十二分だったのか?
まだまだ確認すべきことが残っているではないか!
とにかく知ったかぶりだけはやめて!
疲労困憊ぶりや衰弱といういいわけもやめて!

まだまだ!

まだまだ!








0 件のコメント:

コメントを投稿