社会のことを扱うのか
扱わないのか
どこまで扱って
どこから扱わないのか
そんなことを思ってから
詩歌に向かわなければいけないっていうのは
いやだな
ビー玉のように
おはじきのように
気まぐれに
ことばを扱いたい
気まぐれには
きのう今日の天気だとか
食べたお菓子の味だとか
すれ違ったひとの笑顔だとか
たくさんのことが溶け込んでいる
だから
ほんとうは
気まぐれなんかじゃなくて
だいじな
だいじな
生の瞬間なのさ
社会
の前に
だいじな
だいじな
気まぐれがあるだろう
って思うのさ
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