2014年2月9日日曜日

ははははははははははははははははは





 この土地へ来て、俺は人間に対する信頼ってものを
 すっかり失ったぜ、曹長。
                   ベルトルト・ブレヒト 
                   『肝っ玉おっ母とその子どもたち』
                                              (岩淵達治訳)



  
ひさしぶりの大雪のあと
洗われた空はあっけらかんと晴れて
うつくしい青
いくらかは澄んだ空気
雪はまぶしく陽光を照りかえし
裸眼では
都知事選挙の投票所までも行くのもつらい

夏よりこのかた
仕舞っておいたサングラスをかけて
溶けていく雪道を歩く
グラス越しに空も雪もきれいで
2月のサングラスも悪くない

小まめにまじめに考える者が
誰を支持しようが
誰に入れようが
東京の選挙の最大の敵はつねに都民自身
どうせ低投票率で
いつも最悪の結果を呼ぶ
政治家が悪いという以前に
ギヴミーチョコレート状態のままの
一般大衆という痴呆症のわれら
ほんとうは福祉を崩壊させ
ほんとうは原発事故を頻発させ
ほんとうは税金を増やし続け
ほんとうはすべてを終焉させたがって
しっかりこの選挙も
最悪の結果に落とし込ませる

それはそれとして
サングラスなどしてみると
そこここの窓や鏡に映る自分が
どこかで見たような人に
ちょっと似て見える
誰だったかなと思ううち

あのナントカカワチノカミ
みたいな名前の人
全聾の天才音楽家だったはずの
いつもサングラスで
ぎりぎり落ち武者っぽい髪の毛に
胡散臭さ満載の黒衣装
ひょっとして
ちょっと時代遅れのスタイリスト付いちゃってる?
みたいな人

いやになっちゃうなあ
こちらは必要にかられて
雪でまぶしい今日のサングラス
まァあちらさんも
必要にかられてのグラサンだったろうが
今年はしばらく
サングラスは胡散臭くみられちゃうネ
誰がかけても

あのナントカカワチノカミ
みたいな名前の人
これから会見でもして
御本人にはいろいろ面倒な年になるだろうが
どこかの芸能プロダクションや
お笑いプロダクションにでも
サッと入ってしまって
「みなさん
「しょせん音楽じゃありませんか
「音楽は楽しみ
「音楽は快楽
「みなさんだってお楽しみになったでしょう?
「まァがたがた言いなさんナ
とでもぶちまければ
タイシタ奴やなァと堂目するネ
現代における音楽の
芸術性と娯楽性のあわいを
微妙に絡めとった
産業構造や聴衆の阿保さ加減までひっくるめての
コンセプチュアル・アートの
現代版の試みとして
ははははははははははははははははは
と喜ばしくなっちゃうね
寺山修司らの実験演劇をとっくのとうに忘れて硬直し
ただのファッション+ファッショとして
ブルジョア化の募る募る募る
現代にっぽんあーとシーンにあって
なによりもゲージツってのは
まずは気取った鑑賞者を徹底的に馬鹿にし
いたぶることだと思い出させてくれる
ひさしぶりの大成功になるかも
ナノダケドネ

あのナントカカワチノカミ
みたいな名前の人が
楽譜も書けず
全聾でもなく
作曲全体がインチキだったとしても
べつにどうってことはない
だいたい現代音楽の世界なんて
ホラー映画かパニック映画に使う以外
たいていの人にとってどうでもいいので
インチキでもホントでもかまわない
あれだけ大がかりに仕組まれていれば
マスコミも野次馬も
しばらくはネタが続くので
大喜びの大はしゃぎ
あのナントカカワチノカミ
みたいな名前の人
ホントに大した仕事人
多くの人たちに仕事と暇つぶしの
機会を提供してくれたのだもの

そういうわけだから
あのナントカカワチノカミ
みたいな名前の人も
ホントに曲を作っていたセンセも
このお愚劣なブルジョワにっぽんで
なんについても通ぶる連中の多い世上を
ぐっちゃりどろどろといたぶって
ようやっとるわい
がんばったね
と心底思うのだけれど


それにしてもなんだろうね
あの
識者と呼ぶならいなのか
先導役とでもいうのか
どうして持てるのかしらないが
奇妙な確信の上に立って
こんなふうにおっしゃった方々は――


●五木寛之さん(小説家)
「現代で1人だけ天才芸術家をあげろと言われれば、それは佐村河内守だ 

●野本由紀夫さん(玉川大学教授、音楽学者) 

 「言ってみれば1音符たりとも無駄な音は無い
「これは相当に命を削って生み出された音楽
「初めてこの曲を聴いたときに私は素直に感動した。そして非常に重い曲だと思った
「言葉で言い表す事自体が非常に薄っぺらになってしまう
1000年ぐらい前の音楽から現代に至るまでの音楽史上の様々な作品を知り尽くしていないと書けない作品
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽


●許光俊さん(音楽評論家、慶応大学教授)
「もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か? 
「耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。 
「それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。 
もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。 
「佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。 


●三枝成彰さん(作曲家。株式会社メイ・コーポレーション代表取締役、東京音楽大学教授。サイバー大学客員教授 
「作曲者はベートーベン並みの才能の持ち主

「佐村河内守の天才は一代で終わりです。ここ70年間音楽大学の作曲科では、佐村河内守のような超高度なロマン派音楽の創り方など微塵も教わらないできている訳ですから、佐村河内守の後に続けと言われても、誰もああいう超高度な大作は書けないのです。佐村河内音大なるものが設立されるなら話は別ですが。 悲しいですね。 


あのナントカカワチノカミ

みたいな名前の人より
先にこの方々に
じっくり
じっとり
ねちゃねちゃと
お話
うかがいたいわァ


その他
おひとりおひとりから
じっくり
じっとり
ねちゃねちゃと
お話を伺いたいとまでは
思わないけれど
世間一般の
チャンスがあればどこであれ
いいね!いいね!しまくり症候群の
ドドドッと昂ぶちゃう
感動傾向のヤケにつよい方々の
あれこれのコメントも
ホント
楽しかったわン

たとえば――


●世間一般の感動マニアで泣きたがり屋さんのAさん
「彼の作品には、被爆二世である、唯一の痛み、悲しみ、辛さを感じれます。 
「次第、オーケストラと合流し、壮大なマグマのごとく噴火する。彼の中に眠る遺伝が呼び冷まされたかのようです。 
「弦楽のハーモニクスがとても綺麗で魅了されます。 
「所々で奏でられるコラールでは、私の感情を揺さぶりまして、感極まってます。やはり、彼はタダモノではないと、改めて思いました。 
「私の隣にいた女性は感極まって、目頭を何度も押さえていたのが印象に残ります。 
「演奏が終わり、拍手喝采とブラボーの嵐。これだけ強大な作品を演奏した京響もそうだが、それを表現し的確に指示、長時間立って指揮した秋山氏も凄いと思った。 
「秋山氏が拍手に応え、客席にいた佐村河内氏に賛美した。彼は席を立ち、杖に必死に捕まりながら壇上に上がり、秋山さんと抱擁した時は、 拍手も一段と大きくなり自然と涙が出た。この拍手は彼のものです。 


世間一般の音楽通をどうやらアイデンティティにしているらしい音楽評論家ぶりの心身に染み込んでもいらっしゃるBさん
「クラシックも好きでコンサ-トによく行くが、この交響曲のCDを毎日、聞くことになるとは。 
「無駄のない一音、壮大で緻密な計算をされた構成、なによりもバタ-くさい、まねものではない1時間21分の超大作、佐村河内守の音楽。 
「名前にとらわれず、すなおになれば、この交響曲の凄さがわかると思う。絶対に現れることがないと思ってた、天才の作曲家と同じ時代にいることに、感謝をしたい。 


世間一般のちょっと仏教修行系趣味をお持ちでここぞと言う時にはポンポン安易に「魂」を口走ってしまうとともに「評価」なんてワタクシめには…と謙虚なところを見せるのもお忘れでないCさん
「気もち的には正座をして聴いているような心構え。 
「自然に目を閉じて、心が洗われていく。 
「佐村河内さんの生い立ちを聞くと、これは魂で作られているのが納得します。 
「評価もすること自体申し訳ない感じです。 


世間一般の平和愛好家で音楽と平和を絡ませる通俗な趣味をお持ちらしく、音楽鑑賞中に「天に昇るような光」さえご覧になるような気になるのがお好きらしいDさん
「まだ一度も演奏されることがない、二楽章は、三つある楽章の中で一番長いという、それがあり今まで演奏をしていなかったようです。 
「出だしは、管による洗練されたハーモニーから、この楽章自体、全体的に綺麗で彼の考えている音楽を伝えてくれたもです。途中でのチェレスタが良いアクセントとなっており、ささやかなコラールを奏でが、その後が嘘のように暗黒に染まる。あの一時は何だったのか?! 
「終了に差し掛かり、彼の中の不安が低音で表現されており、ハープも一音、小節ごとにあるののに、ハープとしての軽やかな音色はなく、ベースと共に暗闇へと誘い終了。 
「この楽章は、他とは違い、彼の気持ち・願いが音楽になっていたように思えました。 
「そして、総括とも呼べる三楽章は怒りに満ちたもの。私だけ何故?、この痛は何だ!言わんばかりに彼の痛みを音楽にぶつけているように感じ、その痛みと怒りはオーケストラ群となって我々の鼓膜を震わせます 
「そのかわり、コーダに近づくと音色が洗練され、今までの激しさが嘘のように弦楽がさざ波のように宥めてくれます。ハーモニーが綺麗で天に昇るような光を見た気がしました。
徐々にオーケストラと共有するかのように高らかと鐘が平和を祈ります。戦争、核兵器の不必要さを聴かせてくれており、平和の大切さを三楽章で教えてくれました。全ての楽章
に鐘が鳴っていたのは、平和の主張を感じました 


あゝ
おゝ
みなさん
まことにまことに
ご苦労さまでございます
頼まれもしないのに
ご自身は儲かりもしないのに
(いや
(ホントはみなさん
(レコード会社や広告代理店やプロモーション会社の面々で
(社長や上司に小突かれ仕方なく
(ぜんぶお仕事としての書き込みでいらっしゃる?
あのナントカカワチノカミ
みたいな名前の人と
その周辺にワンサとしがみつく業界人たちを
ひたすら富ませんがために
コメントだァ書き込みだァと
お盛んなことで

…と言っているうちに
ホレ見たことかの
都知事選
60何パーセントの棄権者とか?
600万人が棄権したことになるとか?

あゝ
おゝ
ナントカカワチノカミ
みたいな名前の人よ
あなたの出番
ここにこそ
あなたがどうやら必要
全聾の剛腕政治家現わる
とかなんとかで
政治的原爆自爆を続けているこの
政治的HIROSHIMA
…まァ
どうしようもない惨状だから
やっぱり
鎮魂歌を作って
もらおうかネ





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