2014年8月19日火曜日

詩セヨ


  

ことばを使えば
だんだん
深みにいく
どうにも
こうにも
どうしても

いつ頃からか
この国のひとら
他人の深みも
他人が掘っていく深みも
わずらわしくなって

あ、深まってきた
と思うと
それじゃあ、
そろそろ
おいとまを―
となる

詩であれ
詩のようなものであれ
このあたりには
敏感
である他
ない

このあたりに
敏感
 な
生モノが
だから

なにか
主張する
道具
じゃないから

説得の
メガホンじゃ
ないから

急に
くだらないことを書いたり
調子を変えたり
とぼけてみたり
バカな理屈を捏ねくりまわしたり
ふいに断ち切ってみたり
そうして
ナマを
なんとか
保持しようと
する

へんな生モノ
なんだ

でも
乾いてるのや
賞味期限
切れてんのが
いっぱいあるんだ
って謳う
雑誌
とかには

みんな
つるんでて

けっこう
権威主義
なんだ

おれ
偉いだろ
って
見せたがってんだ

ひとりで
30
40年ぐらい
書き続けてみて
もう
じぶんのじゃないぐらい
離れてから
小さな
薄いのでも
出したらいい
詩集
なんて

ディッキンソン
みたいに

なのに
すぐに出すんだ
早漏
なんだ

 で
何冊
売れた
とか
いくら
売れた
とか
言ってるんだ

なんだ、あれ?

いちばん
遠いじゃないか
詩人から

遠いじゃないか
から

ただの
ちっぽけな
目立ち屋
さん

他の世界では
ダメだったから
って

いくら
ことばが
貧者の玩具
だから
って

それで
ちょびっと
目立とう
なんて

過去の
あれこれの
詩みたいなものの
中途半端な
まねっこをして
 で
詩人でござい
なんて

それも
できなくなってくると
詩論だとか
詩人研究とか
評伝とか
始めちゃったりして

 で
なにかというと
近ごろのなになには
まったく近ごろの
あれ
これは
これ
それは

なんだ、あれ?

おまえが
批評の基準かよ?
って
 の
 さ

ぐちゃぐちゃ
なんだ
なにもかも
ホント
 は

もっと
ぐちゃぐちゃ
 に
なって
いく
エネルギー
だけ
 が
大事

それが
なくなったら
詩の
介護施設(だから
(詩
(じゃないノ
(もう
 で
黙っていなさい

詩の歴史
(という捏造編集読み物
の側に
とにかく
立つナ
過去の遺物の堆積の上で
偉そうにするナ

ぐちゃぐちゃ
 の
中で
生モノで
居続けろ

居られなくっても
生モノ
 で
あろうと
セヨ

腐敗臭ぐらい
発し続けろ
生モノ
 と
して

乾くナ
偉がるナ
体だけいい歳になったからといって
長老を気取るナ
何者かに
なったかのように
振舞うナ

詩だろ

詩人なんだろ

詩をセヨ
詩セヨ

詩ててヨ

詩セヨ





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