創造を本当に行おうとすれば
神に繋がるしかない…
そう言っている人のことばを
ちらっと読んだが
(危険な真実
(これは
(危険だが真実
(真実だが危険
たとえば
なぜ生活用の言葉の外で
言葉をわざわざ書きつけるのかといえば
それは神を呼ぶため
神ががるため
憑かれるため
(危険な真実
(これは
(危険だが真実
(真実だが危険
憑いてくる神
呼びおろしてしまう神は
どんな神か
(危険な真実
(これは
(危険だが真実
(真実だが危険
ふさわしくない神
よからぬ神に
憑かれないようにするには
経験を重ねて
学んでいくしかない
神がかりは
思念ばかりか感情や神経にも
べったりとくっ付いてくるので
感情や神経や思念の切断や引き剝がしの
修練が十分にできていないと
かならず誤っていく
その修練にもっとも効果的なのは
ごくふつうに世の中で生活すること
朝昼晩をふつうに活動し
疲れ
些事に悩まされ
煩わしさに追いまくられ
病気もし喜怒哀楽に翻弄され
しかし
それらがじつはみな修練で
修行なのだと
知っていること
この長いくり返しの過程で
よき神がかりの芯がおのずと出来上がっていく
(危険な真実
(これは
(危険だが真実
(真実だが危険
近づかず
関わらないのも
賢明といえないこともないが
それは霊的な逃げ
つぎの転生やその次の転生で
かならずや窮地に追い込まれる
宗教戦争の渦中に生まれて
いやおうもなく宗教的殺戮の行為者や
殺される側に置かれるというような
逃れようもない宿命に
(危険な真実
(これは
(危険だが真実
(真実だが危険
ともかく
神がかりを端から否定するような者たちに
創造などありえない
無から発生するものはなく
すべては絶対の有からのみ出てくる
(危険な真実
(これは
(危険だが真実
(真実だが危険
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