2015年1月7日水曜日

逃れようもなくありありと見える



衰弱した人たちを見慣れてきた目には
ほんとうのことを言うと
町中で健康そうにしている人たちも
衰弱者予備軍にしか見えない

赤ん坊を抱いた若い母親や
買い物袋を提げてその脇にいる若い父親も
病床で身動きできなくなった姿で
わたしの目には映ってくる
疲れ切ってそのふたりを介護している
中年になった子どもの姿も見える

商店の前にワゴンを出して
売り出しの声を張り上げている若者も
走りまわっている宅急便の人も
遊園地で駆けまわっている子どもらも
警察官たちも消防士たちも
冷たい目をしたビジネスマンたちも
みんな為すすべもなく衰弱しきって
病床に転がっているさまが見える

彼らがもう楽々と起き上がれなくなった時の
シーツや布団カバーの皺くちゃのようすが
いまからとてもよく見える
自分の言うことをきかなくなった体を
ベッドの上に投げ出している他ない彼らが
日本ばかりか世界中にありありと見える
何十年も朝昼晩と動きまわり
まるでその先になにかいいことがあるかのように
生きるということが可能かのように
動きまわってきた彼らの終焉のようすが見える

動きづらくなった彼らの最後の居場所の
シーツや布団カバーの皺くちゃのようすが
この世のものでないかのように
この世の唯一のものであるかのように
わびしくわびしく
逃れようもなくありありと見える



  

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