もっとも美味しかったフランス料理は
たったひとり
広尾の料理店で
ゆっくりと
コース料理を食べたとき
昼のコースで
もう時間も終わり近く
他にはだれも客はいなかった
前菜を終えた頃に
イタリア人が数人入ってきて
遠くの席に着き
すこし賑やかになった
好きなように
ナイフとフォークで分け
小さく口に運び
しゃべる必要もないものだから
好きなだけ噛み
ときどき
口に運ぶのをやめて
庭のほうに目をやったり
店内の絵画の
気づきづらい美点を見つけたり
構造を見抜いた気になったりして
また皿のほうに戻る
りっぱなグラスにもらった
赤ワインも
ゆっくりと口に含む
グラスに唇をつける前は
唇をナプキンで拭い
肉料理から付いた油を除いて
ほかのたくさんのことにあわせ
そんなグラス扱いのしぐさも
教えてくれた友の死を
はっきりとその祖国に登録するために
フランス領事館を訪ね
領事と話し
書類作成を終えて
あゝ
長かった闘病の付添いも
数日前のふいの死によって終わり
すっかりひとりになって
よくあれだけ
自分を殺して友を助けたもの
次々と調整のつかなくなる紛糾を
よくもあれだけ
持ちこたえ続けたものと
本当にひさしぶりの
じぶんだけでの休息のように
領事館からの帰り
ひょいと入ってみた
フランス料理店
死んだ友と
いっしょに入った気持ちで――
などとは言わない
ながいこと会っていなかった
会えないでいた
じぶんに
ようやくひさしぶりに会えた気になって
たったひとりで
じぶんだけといっしょに
好きなように
好きなだけ時間をかけて
食べた
閑雅なフランス料理
―やあ
戻って来たね
じぶんよ
苦しかっただろう
よくがんばったじゃないか
と
温かく
ほんとうにしっとりと
じぶん自身に
じぶんだけに
迎えられて
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