2015年9月12日土曜日

ドナルド的なるものこそ幸いなるかな



ドナルドダックの短い動画を
なんの気なしに見ていて

こんなドナルドがいることで
ディズニー世界には幅ができたんだな
とわかった

ミッキーだけではどうしても拓けない
ずれっぱなしのムダに騒がしいキャラクターのおかげで
あたらしい領域が生まれた

ちょっとでもかしこまった公的な場で
主催者(たらんとする)側の押し付けてくる空気を
断じて読めず
かといって
すぐに硬直しがちな「反抗」やら「抵抗」やらの意志を持つでもなく
身のまわりのあれこれのモノの扱いに
手間取り続けるドナルド

いつであれ
どこであれ
場の主人公というものがあり得るのをこれっぽっちも認めないし
そもそも
場とか事態というものの成立を感じとりもしない
ある観点や方向性から捏ね上げられる
歴史や物語や作品はすべて
ドナルド的なるものによって即座に溶解し
統一場理論は永遠に遠ざかり続ける

方向も目的もなしに
モノひとつひとつの扱いに手間取って
宇宙の生成や消滅も気にせず
ドタバタし続ける
ドナルド的なるものこそ
幸いなるかな

ドナルド的なるものこそ
幸いなるかな




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