病死した友のことは
大病で衰弱していく刹那刹那を撮ったから
たくさんの写真が残っている
デジタルの時代になっていたのが幸い
外付け大容量ハードディスクに貯蔵できているから
選んだ写真を人に見せることもあるが
見せづらい写真もいっぱいある
憔悴して痩せて
骨と皮ばかりになった姿は
いつも傍にいた者には友の像の一部だが
ちょっと遠ざかって見直せば
餓死寸前の人の姿だし
ふつうの生活をしている健常者には
やはり見るのは辛いかもしれない
意識が戻らなかったらどうしようと思いながら
大手術の後でベッドに寝ている姿を撮ったものもあれば
その時の美しかった大きな夕暮れが見晴らせた窓から
刻々と暗くなっていく西空を撮った何枚かもある
手術で摘出した内臓の写真もある
本人が確認できないのでかわりに確認したのだが
ここにガンの転移が
こことここにも転移が
と執刀医師から説明を受けながら
カメラを近づけて撮影しておいたもの
人に見せづらいほどでもないが
病院の廊下さえ疲れて歩けなくなって
ベンチにぐったりと座ってしまった姿や
浮腫んでゾウの足のようになってしまう脚を
毎日マッサージして少しでも細めようとしていた姿
病院食のまずさやつまらなさに辟易して
つまらなそうな顔でお盆を眺めている時間
いろいろなクリニックに無理して出かける際に
タクシーに乗りながら目をつぶって耐えている顔
ふらふらしながらでも自力で立って歩いて
洗面所に歯磨きに行こうとする姿
そんな様々な場面の写真もいっぱい残してある
それらを時どき見直しながら
けっきょく
友はどんなイメージに収束していくのだろうと今も思う
元気で若々しく
美しかった頃の写真のイメージに
けっきょくはまとめておけばいいのか
それとも
病気になってからの
ちょっと苦さの混じった微笑みを撮った写真なども
イメージのひろがりに混ぜていいのか
息を引き取った後の
胸の上で手を組んでいる写真や
死後の時間の経過とともに
顔の険しさややつれがどんどん失せて
子どもの顔のようになっていく刻々の姿や
写真には撮らなかったけれども
火葬が終わって出てきた骨の
よく見つめあったあの目のあたりや
疲れた時に押していたこめかみのあたり
注意して治療したり磨いて
死の直前まで歯間ブラシやフロスも欠かさなかった
あれらの歯がすっかり燃えてしまって
奥歯の何本かに
銀だかアマルガムだかが黒く燃え残って
くすぶっていた様子も
友のイメージのひろがりのうちに
しっかり混ぜて
記憶していき続けるべきだろうか
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