2016年8月15日月曜日

それが何だっていうのさ?



じぶんに興味がないとか
じぶんを捨て去って云々などと書くのはそれ自体
清涼飲料効果があるが

もちろん嘘で
じぶん以外のなににも興味がないというのが本当のところ
これほどのじぶん亡者もいないだろうと
本当はよくよく監視中
じぶんではネ “じぶん”では

どうしてこれほど他人に興味がないのかと感心するぐらい
興味がまるでない
しかし人の話を聞くふりをするのは上手いので
年中それで誤魔化してきた
ときどき誤魔化すのにも疲れるし
飽きるしね
人が本当に思っていることなんてどうでもいいし
あれこれについての感想や意見なんて聞く気にならないし
編み物から始まって絵画だの俳句だの詩だの小説だの写真だの
はい、私の表現です作品です、なんて出されてくると
まるで興味がなくなる

ところがそういったものでも
作者から切り離されて
モノ
としてふと転がっていたりすると
興味が湧く
これって、なんだろうね
これって、けっこう純粋な感情なんだよ

作者の死、ということが
むかしソレルス批評の一環として
ロラン・バルトによって言われたことがある
フーコーやブランショなんかも取り上げていたし
だいぶ70年代の批評シーンでは流行った決まり文句だけど
今になってまさに
作者の死、かもな、って思う
作者がちゃんと死んで孤児になっちゃわないと
作品はほんとうに作品にならないんじゃないのか、って

死を通過してこその誕生だ、とか
さらには
死こそ生だ、とか
ここまできっぱり言っちゃうと
古くなっちゃうんだよね
言い過ぎない
ぼやかしながら言う
そういうのが今ふうなんだけど

…でも
それも近頃
はやくも、というか
ようやく、というか
凄まじい速度で古びてきたように感じる

ぼくみたいな天邪鬼は
作者の死、なんてオールドファッションドを弄って
死の作者、なんて言ってみたくなるが

もちろん
これだって、もっと古風
もろ19世紀しちゃうものね
ノディエやユゴーあたりなら言うだろうか
リラダンならもう避けるかな

そう思うと面倒になってくるから
作者の死であれ
死の作者であれ
丸ごと投げ出したくなってしまって

今日も
暑く始まる
夏の
ひと日
71年目の敗戦記念日の…

などと記したくなってしまうものの
これは
ぼくには逃げ
この国の
マスコミ事情や
実態のあやしい庶民なるものの
捏造された感受性に
侵され切っては
やはり
いけない
それにシミッタレているしねぇ
ニッポンゴしちゃってて
ニッポン感性しちゃってて

武満徹が戦中
隠されていたシャンソンのレコードを
学校で密かに
音楽の先生に聴かされて
音楽の道を進むのを決めた話を聞いたことがある
たしか
Parlez-moi damour*だったのではないか
リュシエンヌ・ボワイエの
Mon coeur est un violon**ではなかっただろう
こちらは1945年発表だから
戦中の日本には届いていなかったはず…
彼はそのシャンソンを
学校の防空壕の奥かなんかで
いかにも悪いことをするように
先生も含めてみんなで陰謀に加担するようにして
決定的に聴いてしまった
ドゥルーズなら「強度を以て」などとお得意のドゥルーズ語で言うところ
それが武満徹を変えた
それがToru Takemituへ彼を向かわせたのだ
壮大でこの上なく悲劇的でアホらしい大戦のさなか
敵国のポップスのレコードをちょいと小耳に
しかし決定的に挟んで
強度を以て聴き刻んで
ひとりの少年が敵の欧米音楽に一生を捧げる決意を魂においてしてしまう
たまたま小さな極東の列島国になにかの偶然で流れついた
一枚の通俗歌謡のレコード一枚によって

デリダなら
ディセミナスィオン(散種)とでもいうだろうか
系統的には全く関わりのないところへ
モノがまさにモノの力で偶然にまかせて流れ着き
種が風に揉まれ揉まれて舞っていくように飛ばされ
そこでこれまでの文脈とは切り離された全く異なった意味を
そこの人間によって勝手に付与されることで別の文化圏をつくり始める
この行き当たりばったりから無限に無意味に発生してくる力
レヴィ=ストロースならブリコラージュというであろう
とりあえず今ここにあるもので
元の意味や機能なんかの記憶も理解もなしに
寄り集め
現地人も寄り集まって
どうにかこうにかやりくりしていくとんでもない文化力

これは
ディドロがはやくも18世紀
『運命論者ジャックとその主人』で言っていた言い方を借りれば

「彼ら、どう出会ったかって? 
「偶然からさ、みんなみたいに。
「彼ら、どんな名前だって? 
「それが何だっていうのさ?
「彼らがどこから来たかって?
「いちばん遠いところからさ。
「で、彼ら、どこに行くのかって?
「どこに行くかなんて、じぶんでわかっている奴がいるかい?

これだ
ぼくも同じ
どこに行くかなんてわかったもんじゃない
「どこに行くかなんて、じぶんでわかっている奴がいるかい?
究極の救いの言葉とはこれだ
そうして
ただ偶然からぼくらは出会い続けるだろう
名前もいい加減でいい
どんな名だって
名なしだっていい
「それが何だっていうのさ?
ほんとうに
それが何だっていうのさ?










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