大病とともにしか
少年時代はなかったので
屈託なく
夏を楽しんでいる子たちを目にすると
失われ尽したものを
いまだに
心のどこかは
回収しようとしているように
感じる
毎週の診療に通う
医院への道で
まだ
じぶんを漠然としか
意識もしていなかったのに
もう死ぬまで
思いっきり走ったり
好き勝手に運動したりも
できないのか…
そう思って
手や腕や足を眺めたことがあった
なぜだか
その瞬間をよく覚えている
握りしめていた財布には
五百円札だったか
いくらか入っていて
医院からの帰路
それはいつも
たくさんの薬に
姿を変えてしまう
腕の血管にも
太い注射の後が青く残り
下手な看護婦にかかった日には
針先から逃げる血管を
針を刺してから探すものだから
紫にまでなった
なにひとつ
疲れるほど熱中してはいけない
運動はいけない
勉強はいけない
と注意され続けながら
六年間が
過ぎていった
もう
認めてやっても
いいのではないか
あゝいう
少年時代だったのだと
この無限の
多様性のあらわれの世で
あのような少年も
たぶん
いてよかったのだと
他人から
見れば
じぶんも屈託なく
夏を楽しんでいる子だったかも
しれないと
失われ尽したものは
なんだったか
そんなもの
あった?
ほんとうに?
屈託なく
夏を楽しんでいる子たちを目にすると…
屈託なく
夏を楽しんでいる子たちを目にすると…
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