台所から
居間の食卓へオレンジと
バナナと
豆乳を注いだカップを運ぶ際に
大きめの白いお皿に
いっしょに
載せて運んだら*
偶然
配置のぐあいや色あいや
それ以外の
なんともうまく
言い表しづらいものの
なにかのぐあい**が
とっても
かわいかった
ふいを突かれたように
皿を持ったまま
しばらく
立ち止って見続けてしまった
皿を食卓に置いても
見続けてしまった
*いつもはオレンジとバナナだけを皿に載せて運び、 豆乳のカップはその後でべつに運ぶ。その後、紅茶をはじめ、 いろいろなものを、さらに別に運ぶ。ここに記された瞬間は、 そうした習慣が崩れた瞬間であり、 おそらくは十年に一度あるかどうかの朝食時の決定的な事件の時で あった。
**そう、この「それ以外の/なんともうまく/言い表しづらいも のの/なにかのぐあい」をひとつでも多く意識に吸い取るために、 そのかたちや色や感触は忘却の底に沈み込んでいくかのようでも、 それが数分後、数時間後からの意識の血肉となって、 世界から受け取る印象や認識そのものを変容させていくためにのみ 、私たちの時空体験は続いていくのではないか…
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