急がなければならぬ。
三島由紀夫『金閣寺』
書棚に入り切らない本の山の中に
ある本を探しているうち
山が崩れて(おゝ、Dieu merci!*小規模な崩れで済んで!)
床に瓦のように広がったが
片付けながら
一冊の文庫本に特に目が止まった
今の日本の小説で
買ったものの
読もうとしながら
まだ読めていない一冊
それを手に取って
少しめくって見ながら
そろそろ読まないといけないと思ううち
光景は過去へと一気に戻り
7年も前に退去した
以前の住まいの書庫が蘇った
三十年も住んだ区の
点々としたうちの
繁華な街なかの住まいで
文庫本はみな奥の部屋に押し込んでいた
壁じゅうに書架を並べ
どの棚にも奥と手前の二段置きで
それでも並べ切らないので
床にもいくつも山ができていた
そんな文庫部屋の中で
ときどき本を探しながら
やはりたびたび崩れを引き起こし
真夜中であろうと
日曜の午後であろうと
本の積み直しや分類に時間を取られたものだったが
そんな積み直しの最中
いま手に取った文庫本の小説を
やはり同じような状況で手に取り
同じように少しめくって見ながら
そろそろ読まないといけない
と思ったのだ
その光景が一瞬に開け
本を手にしながら
自分はあの住まいの
あの文庫部屋の
ある日のある時間の中にいた
7年経っても
まだ読んでおらず
同じように
そろそろ読まないといけない
と思ったことに
ほほ笑ましさと懐かしさが染み上がってきたが
しかし思った
たった一冊の小説本が
7年間読み終えられていない
6万冊の蔵書があるから
こんな本が他にもいっぱいあって
7年どころか
10年も
20年も読み終えられていない
読み終えたものにしても
まだ内容を汲み尽せてはいない
そんな本がいっぱい
そう思うと
たましいの目が
くらくらとするようだった
いまから7年後にも
また思うのではないか
崩れた山を直しながら
この本を手に取って
そろそろ読まないといけないと
7年後のその時には
まだ自分はいるかもしれないが
そのさらに7年後は
どうかわからない
まだいても
もう多量の蔵書を支えてはいられない
体になっているだろうか
7年という単位で思ってみると
あゝ、なんと生は短く
いろいろ煩瑣に複雑に
ごたついているようでも
なんとシンプル
なんと風通しのよい
時間の立方体のならび
7年経っても
けっきょく読まない小説本なら
けっきょく自分には重要ではなく
けっきょく必要ではないのだろうが
教えてくれている
こんなにも
急げ、死を宣告された肉体よ**
と
*ディユ・メルスィ(神よ、感謝します)
**ジャン・ブルデレット『手のなかの星々』より。
Hâte-toi, chair condamnée.
Jean Bourdeillette
(in « Les étoiles dans la main »)
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