2016年9月16日金曜日

わたし以外には誰にも



その労働交渉には
たくさんの出席者があったので
それを控えた打ち合わせも
大きくもない部屋で
大テーブルを囲んでの
詰めあっての会合となった

たくさん弁護士も来て
その中には他の仕事の後で
遅れてくる人もいたので
ひとりひとり来るたびに
プラスチックコップに茶を注いで
手渡してやる
そのため席を立たねばならないことが
何度かあった
書類やノートやペンを
テーブルに置いたままで

何度目か
お茶を手渡しに席を立ってから
戻ってみると
自分の前のテーブルの
小さな面積のうちに
書類とノートは置かれたままだが
ペンがなくなっていた

下に落したのかと思って
テーブルの下をさがしたが
見つからない
シャツのポケットにでも
無意識に挿したのかなと見ても
やはり見あたらない

もう一度
と思ってテーブルの下を見ると
となりの高年の労働運動家が
膝の上で両手のこぶしを握っていて
右手のほうに
ペンをふたつ持っている
そのうちの一本は
あきらかにわたしのペンだった

見ていると
右手に握っていた私のペンを
左手のほうに移して
手のひらには収まらない長さなのに
手のひらの中になんとか
丸め込もう
隠そうとしている
テーブルの下のことで
誰にも見えていないけれど
わたし以外には誰にも

その人に声をかけ
あれ?
それ、わたしのですよね?
ハハハ、間違えちゃったんですね?
まわりに聞こえ過ぎないように
小声で言いながら
そうっと
やわらかく
ペンを奪い返した
テーブルの下のことで
誰にも見えていないまま
わたし以外には誰にも

正義、正義、といつも言い続け
民主主義がいま危機だと説き
都知事は元ジャーナリストでないと
もう東京は終わりだと言っていて
サヨクの党派に属する人で
わたしはこちらの意見も主張もせずに
すべての人の意見をまずは
長く長く何年もかけて
同意も賛同もせずに聞くタチだから
この人の話も主義も
聴き続けてきたのだが

この後
ノートの上にまたペンを置いて
他の色のもう一本も合わせ
今度は二本置いて
話をしている人のほうに耳を立てながら
書類を精読していて
ノートのほうに目を落としたら

また一本
なくなっていた

となりの労働運動家のこぶしには
なにか特別な力によってか
稀な現象が働いてなのか
またわたしのペンが移動していて
あれ?
それわたしのですよね?
ハハハ、間違えちゃったんですね?
同じ小さなシークエンスが
同じ小さな物語の一部が
くり返されることになった




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