2016年11月6日日曜日

なぁんにも



いやなのは
まじめに生きている
とか
いう人たち

モノとなら
まじめにつき合うしかない
そうしないと
役に立ってくれないから
モノには
モノのあり方が
頑としてあるから

けれど
まじめに生きている
というのは
なにを
まじめに生きている

数十年
モノの世に滞在したら
停止して
朽ちていくにすぎない身をもってして
まじめに生きる
まじめに生きている
というのは
なにを
まじめに?

崩れるのがわかっている
砂の城
それを作るのも
好き好き
だが

砂の城
それを作らなくても
いい
砂浜に居たら
いい
海に入ったり出たりで
いい
海に入ったままで
遠くまで
泳いで行って
しまっても
いい

どれも
まじめに生きている
なんて
呼ぶ必要はない

まじめに
じぶんを見つめる
なんて
言い出す人たちもいる

じぶん
って
まずはことば
ことばに過ぎず

さらには
記憶の
いいかげんな
歪んだ
像の数々
動画もいくらか

そうして
だいたいは
結局
ことば
何年に生まれて
何年何月にあそこで…
みんな
たゞのことば

たくさんの像や
もっとたくさんのことば
ちょっとの動画
それらを
じぶんと呼んで
まじめに見つめる
って
何だろう

なぁんにも
ない
んだよ
土台もなければ
あり続けているものも
なぁんにも

なぁんにも



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