いやなのは
まじめに生きている
とか
いう人たち
モノとなら
まじめにつき合うしかない
そうしないと
役に立ってくれないから
モノには
モノのあり方が
頑としてあるから
けれど
まじめに生きている
というのは
なにを
まじめに生きている
の
か
数十年
モノの世に滞在したら
停止して
朽ちていくにすぎない身をもってして
まじめに生きる
まじめに生きている
というのは
なにを
まじめに?
崩れるのがわかっている
砂の城
それを作るのも
好き好き
だが
砂の城
それを作らなくても
いい
砂浜に居たら
いい
海に入ったり出たりで
いい
海に入ったままで
遠くまで
泳いで行って
しまっても
いい
どれも
まじめに生きている
なんて
呼ぶ必要はない
まじめに
じぶんを見つめる
なんて
言い出す人たちもいる
じぶん
って
まずはことば
ことばに過ぎず
さらには
記憶の
いいかげんな
歪んだ
像の数々
動画もいくらか
そうして
だいたいは
結局
ことば
何年に生まれて
何年何月にあそこで…
みんな
たゞのことば
たくさんの像や
もっとたくさんのことば
ちょっとの動画
それらを
じぶんと呼んで
まじめに見つめる
って
何だろう
ね
なぁんにも
ない
んだよ
土台もなければ
あり続けているものも
なぁんにも
なぁんにも
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