2016年12月22日木曜日

安手の田舎芝居が続く地上で (あるいは 非私は来る)



じぶんを価値ある者のように見せる者たちの物々しい安手の田舎芝居が
地球上で続いていて
どれも
見るには値しない

彼らの思念も行動も制作物も
見るには値しない

たゞ 地球環境と肉体とマインドの重なりの中に居て
瞬間瞬間 それらのよりよい調和を試みることだけに生の価値はある
他の過剰の行為や欲望は削ぎ落とさなければならない

あらゆる自我は相手にするに値しない
自我から発せられた言葉・表現・製作物に真面目に向きあう必要はない
自分の自我であれ
他人の自我であれ
それらは時間と力を奪う窃盗犯に過ぎない

顔はいらない
見栄えよく飾り立てた顔
微笑みや愛想よさ
個性や人格
それらはいらない
それらを削ぎ落した地上を招来しなければいけない

安手芝居の中で騒ぎ続け ぶつかり合い 足を引っ張りあう者たちに交じり
過剰の行為や欲望に意識を浸されないようにするのは困難だが
どのような者でもある程度以上の年齢を重ねればできるようになる
それは世への倦怠や生への疲れとして現われることが多いが
じつは一見ネガティヴなそうした感覚にこそ超克の契機はある

安手芝居は精神の幼稚園
幼稚園児を価値の枠の一切ない大自然の中に放り出すわけにはいかないので
それにも一定の意義はある
しかし精神の年齢が幼稚園児のそれをとうに超えた者たちが
いつまでもそこに留まるわけにはいかない
精神の幼稚園で唱えられる価値の脱落を激しく冷え冷えと経験し
たとえば命の尊重自由平等連帯などの
価値のディズニーランドのメインキャラクターたちを捨て去らねばならない

精神性の低い者たちが
個性
自我
人格
にこだわり続ける
それらがなにより重要であるかのように叫び続ける

それらを
ついに ようやく 破壊せよ

それらは
なんの価値もない安手の人類史遊びにおいて
とりわけヨーロッパに
根を下ろそうとした

それらを
ついに ようやく 破壊せよ

人類を
ついに ようやく 破壊せよ

その期は来つつある

非私は来る




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