2017年1月4日水曜日

老いよ 老いよ



おばあさんになる人と
おばあさんにならない人と
歳をとっても

スーパーちかくで
膝まであるダウンを着ている
おばさん以上おばあさん未満のおふたり
立ち止って
お話中

ひとりのダウンはベージュみたいな
もっと赤みがかっているみたいな
サーモンピンクみたいな

もうひとりのダウンは薄いお茶色みたいな
灰がかったような
シルバーっぽくもあるような

見ながら
おばあさんまでのグラデーションを
考えさせられる
現代日本語はちゃんとそのグラデーションを捉えているのか

おばさん
おば・さん
おばーさん
おば…さん
おばあさん
おばば
ばさま

おばあさんまで行かないように
ヘンな努力を強いられる世間になってしまっている感じだが
おばあさんでなんでいけないのかと
よく思う
歳をとっていく人たちが
おばーさん
おば…さん
ぐらいで留めておきたがっている
あわよくば
おば・さん
ぐらいで

せつないなァ
さびしいなァ
じつは
思う

ちゃんと
おばあさんになってから
しばらくは
腰を曲げて生きて
そうして
亡くなるのが
しあわせではないのか

こういう見方があった
「『老』を単に肉体的なもののみと考えるのはあやまりである。
「『老』は古来『長け(たけ)』たものわざや、
「深く見、深く思う力への敬いの言葉であった。*

もっと
しっかり老いようではないか
どこかで宣言したいような気になるが

じぶんに向かって
宣言する他
ない
だろうが

老いよ
老いよ
心の中で言葉が鳴り始めた

スーパーちかくで
おば…さんぐらいのおふたりの
膝まであるダウン
そのふた色の違いを見ていて
鳴り始めた

老いよ
老いよ



*馬場あき子『現代短歌に架ける橋』





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