2017年2月10日金曜日

(ミゾレ、というのね?



…霧のように、小さな滴のように降り出し、
寒さがさらに下って来ると、

白い粒となった

雪ニナッタカ…と思ったものの、
まだ、ミゾレ、というべきなのだろう、
漢字はどう書くのだったか、と思い出そうとして、
ようやく、霙、と浮かんでくるものの、
めったに書かない字なので、
思い浮かべながら、おぼろげで、
    (慣れない異国の言葉の一部のようだ…
   (僕はどこを生きてきたのだろう、こんなに
      (長い間、長くて、短い間、…

 独りで、いつかの年の二月、まだ
会ったこともない、ひどく親しい人に、遭遇しに行くかのように、
  二尊院に、(四季おりおり、いつものように、…)
 あゝ、寒い寒い曇りの日に、午後も遅くに歩み入って、
忘れもしない、劇の一幕のような、霙に降られたことがあった…

      あゝ、寒い寒い曇りの日に、

 そうして、なんと独りだったろう、
  中古からの、たくさんの、巡る墓、巡る墓、
   二条家、三条家、四条家、三条西家、嵯峨家、鷹司家などの
    大納言だの、大政大臣だの、左大臣だの、右大臣だの、
もうどれも覚え込んでしまった大きな石の墓の数々の間を
  昔の友らの凍った影を石の屹立に見ようとするようにして
    彷徨い、彷徨い、うつそみを凍えさせていく…

 そこへ来た、霙、
   降る、降ってくる、というより、
来た、
 と、霙、…

     すぐにも凍えは募り、あゝ、頬はこんなに枯れて、
   友らよ、もう君らの墓の表面のようだよ、
          …思いながら、
       時々立ち止まって、たゞ、ぼーっとしたり、
    少し、熱でも出てきたような頭で、
          ざっく、ざざざ、
         ざざざ、ざく、
            と靴を進めて、
 あゝ、寒くて、冷たくて、いい日だ、
   僕も透けていくようだ、たぶん今、この世の人では、
だいぶ、なくなってきているだろう、
    この、終わった者たちの場所で、
  もう、終わりも、存続も、ないような、冷たさだ… 

白い粒となって、…思い出は自然に来る、
    僕が思い出すのでなく、思い出には思い出の命が動く…

静かだった。
雪は殆ど垂直に降って、
歩道にも、
荒涼とした街路にも
雪の敷物がしかれていた。
通行人の影もなく、
何の物音も聞こえなかった。
陰気臭く、
果無い様に
街燈がちらついていた。
二百歩許りを四つ辻まで走り、
立ち止った。
彼女は何処へ行ったか。
何の為に自分は
後を追って来たか。*

…霧のように、小さな滴のように降り出し、
寒さがさらに下って来て、…

白い粒、
霙、

      (ミゾレ、というのね?
      (そうだよ、ミゾレというんだよ、
      (雪なら知ってる…
      (雪なら、もうちょっと慣れてるね…
      (そうね、ミゾレ、知らないね、あまり…
      (これだよ、ミゾレ、
      (そうね、ミゾレ、…

姉さん…                                                              

  生まれなくって、(そんな話さえ、あったわけではなくって…)、
   霙のむこうからなら、近づいてくる…
     幽かな音のように、 本当に稀に、

白い粒、
霙、

      僕は、手風琴に合して
歌っているのを聞くのが
好きなんだ、
水っぽい雪でも
降っているような時、
それも風が無くて真直ぐに
降っているような時、
雪を通して向うの方には、
瓦斯燈の灯が
ちらちらしている。**
      

         (ミゾレ、というのね?

         (そうだよ、ミゾレというんだよ、




*ドストエフスキー『地下室の手記』(小林秀雄訳、「『地下室の手記』と『永遠の夫』」所収)
**ドストエフスキー『罪と罰』(小林秀雄訳、「『地下室の手記』と『永遠の夫』」所収)




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