だれもがじぶんを生きているようでも
ほんとうのじぶんを生きているかどうか
なかなかむずかしいし
できているかどうか
できるのかどうか
わかったもんじゃない
けれども必要やら義務やらに迫られて
忙しく楽しくわれも忘れて生きているのは
どうもやっぱりじぶんを生きているのとは
違うんじゃないのかと思えてしまう
他人や世の中からなんにも要請が来ないと
忘れ去られたようでさびしがる人は多いようだが
ほんとうにじぶんを生きるチャンスは
そんな時にこそようやく打ち寄せているんじゃないのか
いろいろなかたちで他人に見られたり
他人と反応しあったりしているあいだは
とてもではないがじぶんを生きているとは言えない
ほんとうのじぶんは他人に見られないところで生きはじめる
だれにも見られず心配もされずしかし面倒がられもしない時に
たとえば目覚めてから水を飲むだけでいいかそれとも
なにか食べておこうかもう少し後にしようか
そんなことをじぶんだけと相談することから具体的な生が
じぶん自身だけとようやく始まってくる
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