2017年3月7日火曜日

そんな手管のごった煮に

  

言語配列をするのに
読み手に媚び諂う必要はないのだが
それでも
文学ジャンルのひとつである
詩というものにかたちの上では似てしまうため
詩というものの特性である
書き手の側のボケを装ったり
知的レベルの低さをあえて装ってみたり
そういうことを
どうしてもしてしまいたくなる
ということは
起こる

もちろん
高度の言語操作力をそのまま露わにして
ポストモダン期の詩歌のように
象徴の極みの構造物を重層使用し
抽象化も極めて
さらには現代思想の用語を塗して
読み手を煙に巻く(…あゝ、そんなことはさんざんやった!)ことも
時季は過ぎたというのに
まだまだ
やろうと思えばできるのだが
もう1980年代ではないのだし
古色蒼然
やっぱりオフザケや
すっとボケ
オヤジ風味を振りかけたり
かと思えば
ふいに
青臭い青年っぽさを露出させ直したり
そんな手管のごった煮に
やっぱりなる
という
わけ




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