言語配列をするのに
読み手に媚び諂う必要はないのだが
それでも
文学ジャンルのひとつである
詩というものにかたちの上では似てしまうため
詩というものの特性である
書き手の側のボケを装ったり
知的レベルの低さをあえて装ってみたり
そういうことを
どうしてもしてしまいたくなる
ということは
起こる
もちろん
高度の言語操作力をそのまま露わにして
ポストモダン期の詩歌のように
象徴の極みの構造物を重層使用し
抽象化も極めて
さらには現代思想の用語を塗して
読み手を煙に巻く(…あゝ、そんなことはさんざんやった!) ことも
時季は過ぎたというのに
まだまだ
やろうと思えばできるのだが
もう1980年代ではないのだし
古色蒼然
やっぱりオフザケや
すっとボケ
オヤジ風味を振りかけたり
かと思えば
ふいに
青臭い青年っぽさを露出させ直したり
と
そんな手管のごった煮に
やっぱりなる
という
わけ
さ
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