あたりまえのことだが
映画は
見ているかぎり
永遠に現在
過去に撮られたに決まっているけれど
映写しているあいだ
そこには
現在しかない
スクリーン上や
モニター上
そこには
現在しかない
ここに映画の魔術がある
魔も
写真はどうかな?
写真は違うかな
と
思ってきたけれども
写され
そこにあるイメージは
現在そのもの
現在がある
なんてものではなく
現在そのもの
見るということが現在そのものだから
撮った写真が
いっぱいありすぎて
整理に
困り切っていると
あゝ
ぼくって
誰でもないんだ
いないんだ
と
思ったりする
いっぱいの
いっぱい過ぎる
複数形現在を
テーブルの上に散らかして
それを
統括できるのは
誰でもない
いない
ひたすら主体でない誰かでしか
ない
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