2017年4月5日水曜日

ひたすら主体でない誰かでしか


  
あたりまえのことだが

映画は
見ているかぎり
永遠に現在

過去に撮られたに決まっているけれど
映写しているあいだ
そこには
現在しかない

スクリーン上や
モニター上
そこには
現在しかない

ここに映画の魔術がある
魔も

写真はどうかな?

写真は違うかな
思ってきたけれども
写され
そこにあるイメージは
現在そのもの

現在がある
なんてものではなく
現在そのもの

見るということが現在そのものだから

撮った写真が
いっぱいありすぎて
整理に
困り切っていると

あゝ
ぼくって
誰でもないんだ
いないんだ
思ったりする

いっぱいの
いっぱい過ぎる
複数形現在を
テーブルの上に散らかして
それを
統括できるのは
誰でもない
いない
ひたすら主体でない誰かでしか
ない



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