2017年6月5日月曜日

荘子でも読み直してから



みんな社会に絡めとられているから
そこで生きるために
しかたなしになにがしかやっているらしいのだが
そんなことをするための
せっかくの命だったのかと思うと
あまり自信は持てないんじゃないのかと見える

他人のことはどうこう言わないことにしているし
他人の夢や希望や実際の生き方にも
どうこう言わないようにしているけれども
正直なところ誰ひとり羨ましい生き方をしている人はいない
富裕で安楽で気がかりの少ない生活をしている人へは
まァ羨ましい…と言ってあげるのが通例のようになっているが
通例に従ってそう言っておけば無難で
気まじめな価値論に入り込まなくていいからというだけのことで
いくら富裕でも安楽でも気がかりが少なくても
こんな人となりでは…などと哀れに思っていたりする

わたしは自分がなにを好きかよく知っているし
その好きなことを日々続けるのにさほど富裕である必要はないし
本当に必要なのはその好きなことをさらに深めるための
自分自身の根気と知力と継続力と時間や体力のやりくりだと知っているので
他の人の生きざまや条件を見聞きしても羨ましくも思わない
ほしいものはもうすべて持っているし
行きたいところはすべて行ってしまった
観光地には行きたくないし人が並ぶ料理屋にも行きたくない
最良の女たちにはもう会ってしまったし
けっこう人も羨むような奇想天外な運命に見舞われてきた
確かにマルコ・ポーロではなかったし
シーザーでもナポレオンでもなくユゴーでも漱石でもなかったが
彼らよりもはるかに恵まれていた部分が少なくはなかった
なんといってもまだ生きていて今の世の混乱と秩序をともに見られ
21世紀の今の空気を吸い水を飲み21世紀の疲れとむなしさを知っている
これが幸せということなので他のなにが幸せとも本当には思えない
だいたい本心から生きていても死んでもどっちでもいいと思っているが
そう思えているということがなにより全てうまく行っているということで
まァがたがた騒ぐほどのことはないじゃないか
こんなものでいいじゃないかと思えてならないのであるよ
野心のないチッチャイやつだなァと言われたってかまわない
大きなことは大きなことがしたくて本当にできる連中に任せて
べつに小さなことだけやるゾなどとこだわるわけでもないが
こんなちっちゃな地球に数十年いるだけのことで
大きいだの小さいだのと比べ続ける暇人っぽさにはあまり魅力を感じない
それよりは空っぽのすっからかんの器であったほうがよく
そうすれば青空もまわりのどんな風景もいっぱいに受けることができる
これは荘子が書いていたのに近い話になるけれど
そうだなァ、荘子でも読み直してから価値論はやらかそうじゃないか





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