2017年6月4日日曜日

私生活



ひと月前から住むことになった現在の居所を
「確保できました」
と不動産屋が電話してくれた夕方
ちょうどぼくは
九歳の時に離れたほんとうの心の故郷を再訪していた時で
しかも
五歳から九歳まで住んだ建物をまさに目の前にして
ただならぬ感動に浸っていた時だった

そこを離れて関東に来てから
ぼくは傷心から十五歳まで不治の病に罹り
離れた故郷を痛切に懐かしむ思いを
心の底の底の底の底の底の底に
隠し分解し浸透させた

そのことについては
いくらでも言うべきことがあるが
誰の興味も引かないことだから
この世では言うべき時期は来ないだろう

けれども不動産屋から電話を貰った時
(あゝぼくはほんとうの心の故郷にいて
(しかも懐かしい当時の住まいを前にして
(まさにこの場所に居て次の引越し先が決まったとは
(これは大きな回帰を意味する引越しだろう
(まったく新たな場所に越すというのに
(これまでの何処とも違う故郷への回帰となろう
と直感的に思われた

新たな場所への移転がこうして故郷への回帰に重なると思われ
九歳の時に移り住んだ関東での数十年が
すべて清算され消滅し去ることになると感じて
ぼくは九歳の時に離れたほんとうの故郷で
予期もしなかった蘇りの感情に浸った
その地を離れて以来の数十年を
ぼくはまったくじぶんを生きてはこなかったのだとまで思い
なんとも軽々とそれまでの関東での全時間を
思いと心のなかで否定して捨て去ってしまった

すべてが捨てられ
すべてが新しくされ
すべてが回帰するという内的経験を
ぼくはこの数カ月し続けているところだ

九歳以降の関東でのすべての経験を捨て去り
その間に出会った人々をはっきりと捨て去り
ぼくは九歳の頃のゼロのじぶんに戻って
いま東京をはじめて生きることになった気がする

誰にもわからないだろうし
誰にも共感してもらえ得ないだろうが
これこそ私的ということ
これこそ私生活ということ
これこそリアル
これこそ現実的
これこそ具体的ということなのだ

今年の春から初夏に
ぼくはひさしぶりに生きはじめることになり
長らく分裂していた多層のじぶんを統合し
はじめて東京を生きることになったということなのだ

九歳からそれまでのじぶんを
ぼくはもう
一顧だにしない
歳月だの
人生だの
あるいは青春だの働き盛りだのと人が感傷的に呼ぶものへの
なんという麗しい冷酷
残虐
報復であることか
小気味よい
この自己否定から来る
なんという力
エネルギー
若さ
よろこび



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