いまの世の中
多かれ少なかれ
だれもがコンビニの商品のように
生きなければならない
あっちこっち
じぶんから規格に合わせ
ちゃんとバーコードも付けて
きれいにパッケージにも包まれ
わかりやすい
簡潔な説明書も付け
クダクダしくない
キリッとしたPRコピーまで備えて
プレゼンのかたまりになって
そうして商品の棚に
整然と並んでいなければならない
いまに始まったことではなく
社会なんていうのは
もともとこんなものだったが
人間の商品化が
加速度的に進行するようになったのは
この十数年ではないだろうか
あわれなものだと思う
病気になるにも
老いていくにも
死んでいくにも
理解されやすいかたちや
色あいであるのが要求される
喜怒哀楽のすべてに
だいたいの範囲と程度が規格化されていて
凡庸な他人たちに理解されづらい
喜怒哀楽は禁じられている
だからすぐに刈り込まれる
なにかに似ているなあと思ったら
そうだ
たとえば
曲がっているのを許されないキュウリ
同じ大きさであるのを求められるリンゴ
番号を焼きつけられて
狭いゲージの中で数か月飼育される豚鶏牛
食糧ばかりをそんなふうに管理しているのかと思ったら
いつのまにか
人間たちも社会機構の食料となっていたよ
すっかり規格化されて
個体差の極力少ない
いくらでも取り換えのきく材料になっていたよ
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