2017年6月17日土曜日

だれもがコンビニの商品のように



いまの世の中
多かれ少なかれ
だれもがコンビニの商品のように
生きなければならない

あっちこっち
じぶんから規格に合わせ
ちゃんとバーコードも付けて
きれいにパッケージにも包まれ
わかりやすい
簡潔な説明書も付け
クダクダしくない
キリッとしたPRコピーまで備えて
プレゼンのかたまりになって
そうして商品の棚に
整然と並んでいなければならない

いまに始まったことではなく
社会なんていうのは
もともとこんなものだったが
人間の商品化が
加速度的に進行するようになったのは
この十数年ではないだろうか

あわれなものだと思う
病気になるにも
老いていくにも
死んでいくにも
理解されやすいかたちや
色あいであるのが要求される
喜怒哀楽のすべてに
だいたいの範囲と程度が規格化されていて
凡庸な他人たちに理解されづらい
喜怒哀楽は禁じられている
だからすぐに刈り込まれる

なにかに似ているなあと思ったら
そうだ
たとえば
曲がっているのを許されないキュウリ
同じ大きさであるのを求められるリンゴ
番号を焼きつけられて
狭いゲージの中で数か月飼育される豚鶏牛
食糧ばかりをそんなふうに管理しているのかと思ったら
いつのまにか
人間たちも社会機構の食料となっていたよ
すっかり規格化されて
個体差の極力少ない
いくらでも取り換えのきく材料になっていたよ



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