2017年7月8日土曜日

いまも求めているのかもしれない



まよい込んできたカブトムシを
木箱に入れて
もらってきたことがある
八百屋をしていた
父方の
祖父母の家から

大きくて
黒々と頑丈そうで
子どもには
持っているだけで
頼りがいが
あるようだった

真夏の
暑い日だったというのに
どんな用事が
あったのか
ゲルマントのほうならぬ
母方の
祖父母の家にもまわって

次の日の昼日なか
庭に出しっぱなしにしておいたら
夕方には
カブトムシはのびてしまった

まだ幼稚園にも入らぬ頃で
この喪失は
ぼくには応えた

太陽のせいだとか
(まだカミュの『異邦人』を知らなかったナ…)
暑さのせいだとか
いろいろ
理由を考えたり
じぶんへの弁解を
くつくつ
ぐずぐず
考えたりしたが
すべては
カブトムシの弱みを
知らないでいたじぶんのせいだと
身に染みてきて
なにもかも
イヤになるようだった

その後
カブトムシ採りは
飽きもせず
さんざん重ねていくようになったが

父方の祖父母の家から
カブトムシをもらってくることは
もう二度となかった

大きくて
黒々と頑丈そうで
子どもには
持っているだけで
頼りがいがあるような

そんな
カブトムシには
もう出会うことはなく
どの虫も
どの虫も
もう庇護の対象でしかなくなった

カブトムシは
小さな子どものぼくより
弱いのだと
知ってしまったから

夏の太陽にも
昼日なかの暑さにも
ビクともしない
大きくて
黒々と頑丈そうで
持っているだけで
頼りがいが
あるようなカブトムシを
幼い頃
ぼくは求めていたのかもしれなかった

いまも
求めているのかもしれない




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