表現
ということを考え続けている
じぶんがどう表現するか
ではなくて
どうして人は表現に執着してしまうのかということを
意識の中にあることがらは
いつも
どうにかしてモノに憑依しようとする
連中はためつすがめつ
憑依できそうな対象や素材を探している
たいていの表現者は
意識のそうした内容物に操縦され続けている
あわれなものではないか
意識以外の生がふんだんに生成し続けているのに
人はいつまでも
そんな内容物の奴隷であり続けている
非表現主義、だよね?
こんな
メモ
するなんて
反表現主義、かもね
しかも
表現の牙城である言葉で
こんな
メモ
するなんて
でも
言葉って
本当に表現かな?
これも
いつも
疑っている
安易に
コトダマがどうとか
そんな不正確な
妄念に
流れるのとは
また
違うんだけども
ね
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