2017年9月2日土曜日

『シルヴィ、から』 4

     複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩  
  [1982年作]

     (第四声)


 先行する声よ、なぜ、もっと詳らかに語ってくれないのか。
 身のまわりに起こった出来事の印象を、吐息のように宙に飛ばされただけでは、わたしは満たされない。

 あゝ、わたしなら、どう語ろう? 
声をひそめて語ろうか、それとも静かに語ろうか?
すべてが帰って来るようだ。

 あの時、わたしは高等学校の生徒だった。

 長いこと、17歳の時にヨーロッパを廻ったのだと思い込んでいたが、そうではない、わたしは16歳だった。
 わたしの高校は私立の男子校で、毎年、30人ほどの希望者を募って、夏、研修という名目でヨーロッパへの旅行を行っていた。
 学校がアングリカン・チャーチのキリスト教を教育の基礎としていたためか、この旅行では、その宗派を国教としているイギリスに重点が置かれていた。
イタリア、スイス、フランスを経て、わたしたちがイギリスに渡ったのは7月24日の土曜日で、88日までこの国に滞在する予定だった。最初の10日間はこの国の同年代の若者らに交じって、夏期の合宿生活に参加することになっていた。
わたしたちは、上陸した港町から首都まで急行列車で向い、そこから今度はバスで、首都からいくらか離れたウィンクフィールドという合宿の地を目指した。

到着したのはその日の夕方5時頃で、そこは広大な緑のグラウンドを持つ、少人数制の煉瓦造りの田舎の学校と見えた。
この学校の校舎やグラウンドを使って10日間合宿をするわけだが、いくらか大雑把な説明を聞かされてきたとはいえ、わたしたちはその10日間をどうやって過ごすのか、ほとんど知らなかった。10日間を徹底して遊ぶことで、イギリスの青少年たちと親睦を深めるという話だったが、たかが10日で外国人どうしが本当の交流などできるはずはないと、当時のわたしは思っていたので、この10日分は美術館や博物館などの詳しい見学にこそまわすべきだと、内心思っていた。旅行の栞を開いても、この10日間に関して得られるのは、Windsor Summer CampLambrookという記述だけだった。

バスは道を迷いながら、予定よりかなり遅れて到着した。わたしたちは疲れきってしまっていた。
わたしたちのことを待っていた数人のイギリスの若者が、門のかたわらの林沿いにバスのほうへ駆けよって来た。荷物をバスから降ろす手伝いやもろもろの案内のためだった。
こんなところでどうやって10日も潰すというのだろうと、やや皮肉げな疲れた疑問を交わしあいながら、わたしたちは到着時の慌ただしさに巻き込まれていくのだった。たった今、グラウンドをひと走りしてきたようなこの国の生き生きとした青年たちを前にして、わたしたちはこの時、今までになかったほどに、自分たちが異邦人であることを痛感した。しかし、活力は次第に蘇ってきた。どこからとも知れず力が湧いて、体中に行き渡っていくさまは、ほとんど、漸次大きくなっていく陽気な歌声に似ていた。

…昔に戻りたいなどとはわたしは思わない。

しかし、どうしたらあの頃の心持ちを蘇らせることができるのか。
今やりはじめたようなぐあいに、生真面目な個人的な旅行記のように語っていけばいいのか。

あゝ、誰も語ってはくれない。
なにひとつ帰ってはこない。
わたしは止むに止まれず語るものの、自分の内から漏れ出るこの言葉たちを見ていると、あたかもすべてが絵空事か、それとも未来のことのように定まらぬかに思えてくる。自身の言葉を信じる者はいないのだから、わたしもまたそうであってかまわないはずなのだが、そう観じたところでなんの安らぎも得られはしない。
その上、どうしてわたしは過去形でしか語れないのか。
すべてはいまだにわたしの内に生きているのに、なぜ語ろうとすると過去のことになってしまうのか。
真実までが、言葉に乗るやいなや流れ去ってしまうのだ。


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